きみと僕はこんな夜のとばりに始まった。思い出と突き放せるほど遠い日のできごとでもない。さりとて時間は絶えず走っていて、このしゅんかんにも“いま”がぽろぽろとこぼれ落ちていく。そして二度とはかえらない。
何から始めればいいだろう。僕の来歴でも語ろうか。それがかたちを変えてきみとの出会いにつながる。僕は青春時代を走ることに捧げた。1500m、中距離走。ゆえあって大学生活を半分ほど消化したころに引退した。
トラックを降りて、僕は小説を書き始めた。トレーニングとレースに明け暮れた時間がぽっかりと空いてしまい、暇で胸がきしむほどだった。季節はずれの台風が過ぎ去った翌日のこと。雲ひとつない青空、昂然と輝く太陽をさえぎるものはなく、10月にしてはひどく蒸し暑いそんな日。僕は大学を抜け出して、コンビニでロング缶のビールを買いこみ、公園で飲みふけった。ベンチに寝転んでふと空を見上げると、木の葉のすき間から漏れた光のつぶが風に揺れて明滅していた。それを僕はきれいだと思った。だれかに伝えたいと思った。でも、ただ“きれいだ”と言うだけでは、僕が感じたこの印象を再現できないだろう。ならば、どんな言葉で切り取ればいいのだろうか、と考え直した。
僕はリュックサックをかき混ぜて大学ノートを取り出し、思い浮かぶ言葉を書き殴った。書き連ねては黒く塗りつぶし、また書いた。それが萌芽だった。単語はやがて文章をつむぎ、半年という時間を経て小説になった。
このときの作品で僕は地方の小さな文学賞の最終選考に残った。受賞は逃したもののこの賞には東京の出版社も運営に関わっていて、その会社の編集者が僕の書いた作品を気に入り、アドバイザーを買って出てくれた。
──荒削りだけど、ただならぬセンスを感じる。しかし、いまはまだプロとして戦えるレベルにはない。筆力を磨いて、すぐに芥川賞も狙えるような大きい新人賞を獲って、それから華々しくデビューといきたいね。と、彼は言った。なに、まだ若いんだし大丈夫さ、と。
僕は彼の描いた青写真を鵜呑みにして執筆にはげみ、意見を仰いではせっせと投稿をつづけた。けれど僕の作品はいずれもデビューを勝ち取るには至らなかった。それから6年。僕は28歳になった。そろそろ手放しで若いとは言えない年齢に差し掛かっている。もはや彼から連絡がくることはない。彼の気持ちを代弁するなら、とんだはずれくじを掴まされた、というところだろうか。
人生は続いていく。自分の食いぶちは自分で稼がねばならない。僕は三軒茶屋のファミレスでアルバイトをしている。10時から19時の勤務で時給1100円。週3~4日のシフト。服をひとつ新調するにしたって悩んでしまう貧しい生活だ。とはいえ、瀬田にある母方の祖父が生前暮らしていた家を、相続した母親からゆずってもらい、おかげで執筆のために十分な時間を充てられる。
築60年、年数なりの劣化があり、現代の基準からすると古くさい物件ではある。けれど雨漏りもなく、床が抜けたりすることもない。自分がそうとう恵まれた境遇にあることは自覚している。
いま、母は父と長野に土地を買い、移住先で二人、農業をしながら暮らす。おじいちゃん、この家、気に入ってたし、あんたが住んでくれるんならきっと喜ぶよ、と母は微笑んだ。幼い日の僕はそうとうなおじいちゃん子だったらしいが、あまり記憶に残っていない。
迷路のような隘路を抜け出し、坂を下って、二子玉川駅から電車に乗る。ホームは多摩川に架かる橋梁まで延び、隅の方で電車を待っていると青々とした河川敷の景色が広がる。
僕はこの街が嫌いだ。空が広いうえに、建物の塗り方もやたら白っぽく、ガラスやらアルミやらの素材が多くてまぶしい。目が痛くなる。それに引き換え、三茶は古びた建物が多いし、漆喰に排ガスがしみついてうす汚れている。おまけに首都高が道のど真ん中に鎮座して目障りな日光をさえぎる。素晴らしい。これぞ東京という風景である。
その日、夕方のシフトを埋める予備校生がバックレたということで、急きょ、その穴埋めに残業することとなった。時間帯が違うからもともと顔を合わせることも少なかったけれど、二度と彼の顔を見ることはなかった。このあいだの模試で早大E判定だったらしいし、それかなあ、とか、失恋じゃない? なんか二股かけられてたらしいよ、あんなに貢いでたのに、とか夕方のスタッフ同士が休憩室でうわさしていた。どこまで本当のことなのかはわからない。
そういうわけで「アルタイル」のドアをくぐったとき、23時半を過ぎていた。ふだんは、終業後ふらりと訪れては、1杯ひっかけて21時までには帰る。これだけ遅くなったなら出直すところだが実に疲労困憊としていて酒を飲まなければどうにもやりきれない気分だった。鋼鉄のドアを引いたときに呼び鈴がチリンと鳴った。ホールに出ると、カウンターの内側で赤いバンダナを巻いたマスターがにぱっと笑った。向かって右側の窓際に先客がいた。僕の知る顔ではなかった。この時間の客層はまったくの未知だった。真逆の壁際に腰掛け、生ビールを注文する。
246に面した雑居ビルのかたすみにあるこの小さなバーへ初めて訪れたのは、2年前。前年に応募していた短編が最終選考まで残った。最終選考まで残った作品はウェブ上で公開され一般投票を行い、最も得票数の多い作品に「読者賞」が贈られる。それを文学好きのマスターが読んでいた。
受賞は逃したものの、彼は僕の作品に感動したと言い、自らの連絡先を出版社に残した。僕は出版社から伝言された連絡先へメールを打ち、そこから交流が始まった。三茶でバーをやっているから遊びに来たらいい、とメールにはあった。それから一ヶ月に一回くらいのペースで訪れるようになった。例の編集者からの連絡も少なくなったころだ。創作について話ができるひとならきっと僕はだれでもよかった。
横目でちらりと、隣を見る。卵のようなかたちのいい頭に沿って切り揃ったショートカット。照度の低い灯りを鈍くたたえるすべやかなうなじへ、くせひとつないえりあしが流れる。うすい耳元でささやかに光る小さなパールのピアス。アイロンのきいたダークグリーンのボタンダウンシャツと、濃紺のクロップドパンツに磨かれたローファーという衣装の合わせかた。底辺労働者の僕とは住む世界がまるで違う。
窓を見やるつんとすました薄化粧の横顔が夜の首都高を借景によく映えた。例えるなら血統書付きのネコのような。潔癖なたたずまいのなかに、手なずけられない野生の烈しさを燻らせている。うつくしいひとだと思った。
それが、きみだった。
マスターがカウンターから出てきみに釣りを渡す。どうやら既にチェックを済ませていたようだ。きみは彼に会釈をして、なにか言葉をかけた。抑制の効いた、涼しい声。なにか話ができたらよかったのに、と残念に思った。その淡い好意もきっと翌日、アルコールと一緒にふきとばしてしまっていたはずだ。
山代くん。マスターが僕の名前を呼んだ。僕の身分をきみに説明している。小説を書いていてデビューも間近だと大げさに笑った。彼はきみを指さして僕を向いたとき、なにか言いかけて口をもごもごさせた。
「……“彼”ね、多賀くん。この近くの編プロで雑誌編集の仕事してるの。よかったら、いろいろ相談してみたら? コネとかツテとか、紹介してもらえるかもよ!」
ぐふぐふと笑い声を立てるマスターの裏で、僕は驚きを隠せず、きみを丸い目で見た。きみはうすく微笑んで、僕に会釈をしてみせた。もうすぐ退職するので、あんまりお役には立てないかもしれませんけど。きみは言った。その表情の裏になにを思っていたのか、この時点の僕は知らない。きみは背を向けた。
呼び鈴が鳴る。ドアが閉まる。
「あ、ごめんね。ビール、いま出すからね」
「いまのひと、男のひとなんですか」
僕はきみの後ろ姿を見送ると、訪ねた。
「あの子、自分を女の子だって思っててね、私もそういう風に思ってる。こころの中では“彼女”って呼んでるんだよ」
マスターはタンブラーを取り出し、サーバーのレバーを引いて、手元を見ながら話を続けた。
「でも、ほかのお客さんに紹介する手前は“彼”って言わないといけないでしょ。多賀くん自身がどう思っていてもからだは男だから」
僕はマスターの言うことをまるで理解できなかった。僕が問うたのは、きみ自身がどう思っているか、ということだ。見た目だけをとって“女性”だと判断したなら大変失礼なことだと思った。そう思われることにコンプレックスを持つひとだっているだろう。
僕は、マスターの手元でなめらかに層を作る泡を見つめていた。
「まあでも、しょうがないよね。身内だけならいいけど、世間はそう理解してくれないし、ひとさまに個人的なアイデンティティを押しつけるのはなんか違うって思うからさ」
コースターの上につぎたてのビールが置かれる。霧のような冷気を帯びて曇ったタンブラーのなかを、黄金色の炭酸が沸いていた。いますぐにでものどへ流し込みたい。
「おれは、あのひとのこと、フツーに女性だと思ってましたけど」
けれど僕は、それに勇んで口つける気にはなれずに、泡のつぶが立ち上るのを見つめた。
「あのひとがだれかれ構わず自分のことをカミングアウトして歩きたいのなら余計なお世話かもしれませんけど、もしそうじゃないんだったら、ひどいんじゃないですか……」
マスターは自分のしたことの重みをまるで理解していないように首を傾げていた。僕は半ば投げやりにビールをあおった。
それ以来「アルタイル」には足が向かなくなった。きみが秘密の暴露を受けた一方、僕に対しても作品をほめる素振りで万年最終選考止まりのワナビー、とやゆしているのかも……などと考えているうちに気持ちが悪くなった。“ワナビー”は僕にとって最上級のスティグマだ。
きみと再会したのはその数週間後のことだ。仕事上がりに店のエントランスですれ違った。ガラス扉の内側から客の接近する姿が見えて、僕はドアを引き、そのひとが通過するのを待った。ブルーのストライプシャツに、ベージュのチノパン、ヌメ革のトートバック、そして手入れの行き届いたローファー。同じような印象のひとをどこかで見ていた。
「多賀さん……?」
ほとんど無意識にその名前が声になって出た。行き違いざまに名前を呼ばれたきみは鳩が豆鉄砲を食らったような丸い目で僕を見た。
「えと、どこかでお仕事ご一緒しました?」
「いえ、ちょっと前に“アルタイル”でお会いした山代というものです」
僕が答えるや、きみの表情へ明らかに失望の色が乗るのを見た。
「この店で働いてるんです」
「すみません、用事を思い出したので」
きみはそれきりきびすを返して、来た道を戻ろうとした。
「僕は、」その背中へ、とっさに声を投げる。
「僕だって、あの晩、マスターがあなたにした仕打ちを正しいとは思わない。あんなに軽くあなたのアイデンティティが踏みにじられていいわけがない」
僕は、わらをも掴む気持ちでまくし立てた。
「世間は」とマスターは言ったけれど、その無神経な“世間”のなかに僕自身もカウントされていると思うと、無性に腹立たしくなった。されど、そうとも言えず、“世間”の側に加担してしまった自分が歯がゆくて、あの夜以来、重く沈み込んだ後悔の念とともに時を過ごすことになった。
きっと、いずれは消えていってしまう、気まぐれな感情ではあったはずだ。忘れてしまえば、それでおわりだった。それでも……いや、だからこそ伝えておかなければならないと思った。ここで、会えたのだから。
きみはようやく僕を見てくれた。かといって僕に心を開いてくれているというわけじゃない。当たり前だ。だから、切り出すのにとても勇気が要った。
「もしよかったら、一緒に飲みませんか」
それでも僕は結局、そのハードルを飛び越えたのだ。あんなことがあってもなくても、僕はきみと話がしてみたかった。この再会を手放しで喜ぶことなんてことはとてもできないけれど僕はそんな状況さえ有効利用した。
「すごくビール飲みたい気分だったんですけど、ひとりだと居酒屋って入りづらいんです。ちょっと付き合ってくれませんか?」
でも、きみの方だって、なにか感ずるものがあったからこそ、逃げずに僕の言い分を聞いてくれたし、この誘いを断らずについてきてくれた。そうだろ?
この際、バイト仲間とでよく来る、世田谷線の乗り場近くにあるお好み焼き屋を僕は選んだ。初老の夫婦で回す家庭的な雰囲気の店で、ビールがとにかく安い。中ジョッキ、内税で330円は奇跡の値段だ。きみを連れて行くことに気後れするところが無かったかと問われたら無くはなかったけれど、会計のことを気にせずアルコールを浴びたいと思ったときに、ここくらいしか思い浮かぶところがなかった。
テーブル席に通され生ビールを注文すると、きみはテーブルの真ん中にある鉄板をまたいで名刺を僕に渡してくれた。「多賀 奏(かなで)」。それがきみの名前だった。市民オーケストラで出会った両親のなれそめをそのまま反映している、という。男でも女でも、どちらでも通る名前にしてくれたことは救いですね、ときみは皮肉っぽくにやけた。
僕は名刺を持っていないから、ネタを書き留めている手帳の1ページを破り、乱雑に名前と電話番号を書いて差し出した。本名・山代信司の下に、筆名・岩木啓次を加えて。
「岩木」は青森県を流れる岩木川から取った。数年前、太宰治「津軽」の行路通りに旅行をしてみようと思い立って、なけなしの金で東北を旅行した。その旅で訪れた十三湖の堂々たるうつくしさに心を奪われた。白神山地に端をなし十三湖に注ぐのが岩木川である。
一方、「啓次」は中学時代の恩師の名前だ。僕に走るセンスがあることを見つけ、一緒に走りながら、さまざまなことを教えてくれた。それは競技のテクニックを越えて、僕の人生観にまで影響している。焼きごてで痕をつけられたように。陸上でなにか記録を残すことはできなくても、書くことで受けた恩を返したい、という気持ちでこの名前を選んだ。いつか賞を獲ったあかつきには、この筆名を頂いたことを伝えに行きたいものだが、その日はなかなか訪れない。
店のおばさんがビールと、タネを持ってきてくれた。僕たちはささやかに乾杯をしてステンレスのボウルの中身を鉄板へ流し込んだ。湯気が立ちのぼり、油のはねる景気のいい音と香ばしいにおいでテーブルが満たされる。焼き上がるときみはおばさんに小さなヘラを頼んだ。鉄板の上の生地を細かく区切りながら、取り皿も箸も使わずヘラで器用に口へと運んだ。感心してその手つきに見とれていると、広島出身の人間ならだれでもこれくらいできますよ、ときみは涼しい声で言った。
何しろ、知らないことばかりだった。きみが広島のひとだということも、このときにはじめて知った。プロフィールを箇条書きにしてやればいっしゅんでわかることに違いない。でも、そもそも、そんなお行儀のいい出会いかたでは、僕たちは交わることもなかっただろう。それくらいお互いに生きていた場所が遠かったのだから。
だったら広島焼きの店にすればよかったかな、と僕が言うと、これはこれで美味しいから好きです、ときみはほおを少しだけ緩めた。そのあどけない笑みがまぶしかった。僕は気を紛らすように、鉄板から立ちのぼる熱でむず痒くなったほおを掻いた。きみはまたすぐ真顔に戻って、ぼそとつぶやいた。広島焼き、って広島のひとの前で言わないほうがいいですよ、あのひとたち、本気で、お好み焼きは広島が元祖なんだって思いこんでるんだから。
きみはビールを空けたあとは日本酒を飲んでいた。泡の出る酒は本当は好みではないのだと。こちらにも勧めてくれたけど、「夜の帝王」などというものものしいネーミングを前におじけずいて、僕はかたくなにビールを飲み続けた。きみがあまりに気持ちよくするするとお猪口を空けていくので、しまいに僕は左手でジョッキを持ちつつ、右手を徳利にスタンバイしていた。アルコールが入るごと、きみの化けの皮は剥がれ落ちていった。
「ちくしょう、もう行かねえよ、あんな店!」
きみは強く握った左手を、テーブルへ振り下ろした。
「お客様は神様じゃのおて言う気もさらさらないけど、なして自分のカネで飲みに行って、あんなイヤな思いせにゃならんのじゃ。クソじゃ。クソ以下のクソじゃ! シットじゃ!!」
その怒号とテーブルの振動に僕は身震いした。周囲の客が一斉に僕たちを注目する。
「尊敬する先輩がね、連れてってくれたんよ。彼の行きつけでさ。日本酒もええけど、洋酒飲めると世界が広がるよって。でも、まあ結果、今日まであんましそんな気になれなかったね。そこにきてこの仕打ちじゃ」
きみは両手で顔を覆った。
「思い知った。なにものもぼくを変えることはできん。これからは晴れて日本酒だけを支えに生きるよ」
「“ぼく”?」
僕は空っぽのお猪口に酒を注いでやった。
「おかしい?自分のことを女だって思うんなら、“あたし”って言え、って?」
きみはそれを持ち上げ、へりを噛むように飲んだ。
「でもさ、自分が自分のことをどう思っていようとさ、生まれてからの20数年を男の子として生きてしもぉたんじゃけ。そう簡単に変われるもんじゃないんよね」
きみはぐっとお猪口をあおった。空になったそれに徳利を傾けると、ちょうど半分くらいまで注いだところで小川のごとき流れがしずくとなり注ぎ口をぽたぽたと垂れた。そろそろタオルを投げてやるべきか、いや、もう1合くらい飲ませてもおもしろいかも、などと僕の頭で天使と悪魔が交互にささやいた。
きみは妙に据わった目で僕を見た。
「それにね、“あたし”とか言うと、こころの深いところまで、女のイヤなところに侵されちゃいそうで怖いんじゃ。君、知ってますか? 女というのはじつに性悪で醜いいきものなのですよ。本人のおらんところでそいつの悪口ばっか言うてるくせに、表面上はネコなで声で“ランチどこいくぅ?”とかやっとる。アホかと。陰でなに言われてるのかなんてわかりゃせん。マウンティング合戦なんてもーう日常茶飯事。“見てくれだけ女に近づいても、やっぱり男は男”って言うんよ。“あんた生理の苦しさも知らないし、夜ひとりで歩く怖さもわからないでしょう?”。は? こっちだってレイプされかかったことありますけど。“いやいや、そういうことじゃないの。望まない妊娠をさせられる恐怖感。あんたにそれ、わかる?だから女性に対する強姦罪は男性に対するわいせつ罪よりも罪が重いのよ”って、はあ?いつの時代に生きてんだよ。そんな法律もう存在せんわい」
きみはまくし立てるだけまくし立てたあと、急に黙りこんでこぶしをぎゅっと握った。肩が小刻みにふるえている。嵐の前の静けさ。
「ぼくは、あんなクソヤローにだけはぜってーーーなりたくねーーんだあっ!!」
絶叫して、きみは握りこぶしを振り下ろした。テーブルが割れんばかりの激しい音に僕は揺さぶられた。もちろんきみ自身もだいぶダメージを受けていたみたいで、手首を振って痛みを紛らわせていた。おばさんがすぐさま飛んできて、ちょっと困るよ、とあきれ顔でとがめると、きみは先ほどまでの剣幕はどこへやら、ただひたすらに頭を垂れる。おとななのか、子どもなのか。そのギャップがどうにもおかしくて僕は噴き出してしまった。
このひとがあんまり飲ませるもんだから、ついエキサイトしてしもうて。きみが僕を指さすと、おばさんがこちらをギロリとにらんだ。僕は飛んできたその火の粉を払うがごとく、両手を挙げて首をぶんぶんと振った。
僕たちはしたたかに飲んで246沿いを歩いた。はしごして飲んで、電車はとうになかった。これまで、こんなに深酒をしたことはなかった。学生時代はとにかく走って、走り込んで、タイムを出すことが人生の第一優先で、アルコールもニコチンも僕にとっては害でしかなかった。中学時代がおわるころに花が開いて、高校になって急に実を結びだした。大学には特待生として入った。テレビで眺めることしかなかった世界の舞台が存外、近いところにあると意識したのもこのころだ。
“啓次”先生は僕に言った。
想像しろ。ゴールのそのさきにいる自分を、強く思い描くんだ。わき目もふらず、ただ、まっすぐとその未来をイメージするんだ。
僕はその教えどおり、大舞台を走り抜ける自分自身を想像した。そのさきにある、栄光とともに。輝かしい未来へ向かっていることを、疑いもせず信じ切っていた。
それはもろく、泡と消えた。世界大会への切符をかけた選考会で熱中症になったのだ。スタートダッシュを小気味よく決め、快走を続けていたところにめまいがやってきた。なんとか逃げ切りたいと思ってぐっと歯を噛みしめるも、寒気とともにからだが地面へめりこむがごとく重くなって脚を上げられなくなった。とうとうゴールラインを越えることもできずに僕は地面へへたり込み、後続のランナーに追い抜かれていく悔しさだけを生々しく残したまま、目が痛くなるほどまぶしい混沌のなかへ飲み込まれていった。
あれが予兆だったのか、というサインは確かにあった。ものごとのまっただ中にあってそれに気づける人間がどれほどいるのだろう。とはいえ、まだ挽回できる時間は十分にあった。これほどの衆目を集める舞台に立つということは僕にとってはじめての経験だった。挫折を知って大きくなっていくものさ、とコーチは笑っていた。僕自身、その言葉に深くうなずいた。
でもその後、僕は二度と思うようにトラックを走ることはできなかった。このときの記憶は僕自身うかがい知らぬところでからだのあちこちに転移していた。取り返しのつかないほど。スタートラインに立つといつも歯がふるえた。倒れたときの記憶がフラッシュバックすれば腕も脚もツルに巻かれたように鈍くなる。もがくほどにタイムは落ちていった。周囲の叱咤と激励、そして失望。自分の尊厳を守るには引退を選ぶ他なかった。未来を思い描くことも、過去を打ち壊すこともできない、僕の想像力は脆弱だった。
「センセイ、岩木センセイ」
きみが僕を呼んだ。僕があいまいにうなずくと、きみはいたずらっ子のように口をイのかたちにして白い歯を見せた。なんとなく照れくさくなって、僕は前髪をもてあそんだ。皮脂できしんだ毛束がざらざらしていた。
「センセイは、どこ住みなん?」
「瀬田」
「世田谷区のほうの?」
僕はうなずいた。
「マジかー。じゃあ、ぼくんち、川はさんですぐお向かいじゃ」
きみは黄色い声を上げた。口調にふるさとから連れてきた訛りの面影が残っている。
「神奈川県川崎市高津区瀬田。市も違えば県さえ違うんに字(あざ)がおんなじっておもしろいよねえ。家賃も川崎側が1万円くらい安いんじゃと」
それじゃ途中まで一緒にタクろうよ。きみは歩道のふちに立ってタクシーを呼び止めた。黒塗りの車に乗り込むと、人工的なコロンの香りと革の匂いが互いに溶け合うことなく層になって漂っていた。初老のドライバーのしゃがれた声に行き先を聞かれ、246を直進するように答えた。
無数のテールランプが流れていく道はまるで川のようだ。走り出すときみは窓を開けた。ぬるさと冷気の折り重なった風が車内に流れる。すっかり春も葉桜の季節になっていた。
「うちの店、よく来るの?」
僕はなんとなく聞いた。
「たまーに」
きみは車窓に流れる景色を見ていた。
「ローテがあるわけですよ、晩ご飯の。基本、自炊はしない主義なのさ」
「じゃあメシ食いたいとき、おれの家、寄れば。うちもひとりだからさ」
僕は酔ったいきおいで、軽口をたたいた。
底辺労働者であるところの僕は、外食に頼るわけにはいかない。とはいえ、ひとり身であると材料を余らせてしまったり、毎日、変わり映えないものばかりこしらえて、食事というものが半ば苦痛な作業になってくる。乗り合わせてくれるひとがいるならありがたい。
「えー、それは悪いよ」
きみは振り返り、渋い顔で僕を見た。僕が思うところを説明しても納得はしてくれず、あごを何度もつまんでずっと考えこんでいた。
「あ、じゃあこうしよう。センセイ、ぼくの原案で小説書いてよ」
きみはとつぜん、なにかが閃いたという風に手を打った。
「ぼくね、再来月、手術するんじゃ。いわゆるセイテンカンってやつ。終わったら戸籍も女性に変えて、転職もして……もう二度とぼくを男だって扱う人間はおらんようになるって思うと本当に清々する」
街灯のオレンジが色という色を塗りつぶす。さながら白黒映画のように。街路樹、黒革のシート、なめらかな肌。ゆるやかな風を受けてきみの横髪がそよいだ。
「でも全身麻酔なんてはじめてじゃけね、どうかしたらもう目覚めないかもしれないって考えるとなんかさみしくなってさ、自分の生きた証、っていうん? 残しておきたいって思ったんじゃ。センセイは作家だから、そういうこころのグズグズしたところ面白がってくれそうだなって」
きみは僕を向いて、ゆるく微笑んだ。
「いまじゃなくてもええの。いま書いてるのが仕上がったらでも。それに雑誌編集が仕事なんだから、畑違いでも一緒にいて少しは役に立てると思うよ。資料集めとかインタビューの文字起こしとか、そういうの任せてよ」
浮かれた声できみは言った。
「ちなみにいま、どんなの書いてるん?」
急ブレーキがかかる。ドライバーが覇気のない声で、すみませんと言った。赤信号、歩道に差し掛かってようやく車は止まった。
「書けてない」
僕は苦虫を噛みつぶすようにつぶやいた。
7月末で締め切られる賞に向け長編を書いていた。本来なら佳境に入っているはずの時期だが、途中でつまづいてしまったのだ。来る日も来る日も格闘したものの、陳腐な言葉が埃のように落ちてくるばかりだった。じきに三十路を迎える身だ。このまま続けていてもいいのか、という迷いのなか、高く積もった重みでいつしか僕のこころは身動きが取れなくなっていた。
きみは僕の背中に手のひらを置いた。
「じゃあ、まずは、また走り出すことからはじめましょうよ」
きみのほてった肌がシャツの生地をじんわりと温める。それが僕の芯へと伝わって、氷を溶かすように鼓動を強く鳴らした。ひとの体温が、これほどの煮えるような熱を持っていることさえ、忘れていた。
「“転がる石は苔生さない(Rolling stones gathers no moss)”って言うじゃろ?必要なのは推進力、それを止めん勇気、これだけさ」
横を向くと、きみの笑顔があった。ネコがあくびをするときのように、またたきしたまぶたは細くゆるやかなカーブを描いた。
「センセイ。走ってみましょう、一緒に!」
後編を読む
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