もしもあなたが成し遂げられない何かを、時代や環境のせいにしているとしたら、顔を洗ってシャネルの言葉を魂に染み込ませよう。
”私は楽しくなかった、だから自分で人生を創造したの” -ガブリエル・シャネル-
ブラックドレス・パンツスタイル・シャネルスーツ。
女性の服装の可能性を広げ、現代のスタイルを築き上げてきたデザイナー、ココ・シャネル。
可憐な中にも凛とした強さと、クールさを感じさせるエレガントベーシックともいえるスタイルは、今も世界を魅了し続けている。
彼女の活躍や創造の源は、青年期までの生い立ちと、その経験から創られた考え方が根源となっている事をご存知だろうか?若きクリエイターだけではなく、1人の人間として心に留めておきたい教訓が、シャネルの生き様にはある。
ココ・シャネルこと本名ガブリエル・シャネルは、フランスの西、ソミュールという小さな街で生まれた。
医者を呼べない貧しい人々の為の”救済院”で生まれた時、すでに傍らには父の姿はなく、救済院の父親の記名欄には、代理の人物の名前が記されていた。
街を点々としながらモノを売る、行商人だった父は自宅へ帰ることは数える程しかなく、シャネルはその幼少期のほとんどを母の手で育てられた。父は行商で訪れた先で浮気を繰り返していたが、母はそれでも、ただまっすぐに父のことを愛していた。
後にこの頃を振り返ってシャネルは、
”貧しさは苦ではなかった。ただ愛されないことが辛かった”と語っている。
しかし、シャネルの愛に飢える人生はここからも続く。
12歳の頃、唯一身近にいた母、ジャンヌが病のため亡くなる。
この先の人生をどう生きて行けばいいかも分からない、少女シャネルの前に、ある日のこと行商人の父が現れる。
「来てくれた!」と喜ぶシャネルに父は、
「お前を迎えに来るからね。また一緒に暮らそう」と伝え、その場を立ち去り、それきり姿を現すことはなかった。
こうしてシャネルは、12歳から18歳までの多感な時期を修道院で過ごす事になる。
厳しい戒律や規律があり、日の出と共に起床し、冬は凍てつく張りつめた寒さの中、ひたすらに祈りを捧げる生活。彩りのない日々が続いた。
そんな生活を送るシャネルにも、1つだけ楽しみがあった。
それは、洋裁の得意なルイーズおばさんの自宅で、裁縫をしたり、叔母の飼っている馬を乗り回す事だった。ルーズおばさんと会えるのは年に2,3回だったが、シャネルの修道服をリメイクするおばさんに、彼女の目は輝き、心は踊っていた。
少女期に自立するしかなかったシャネルは、この頃からとても勝ち気な性格で、ルイーズおばさんの馬を自己流で乗り回していた。つかの間の自由を味わい、魂の底から、自分の可能性を掘り起こしているかの様に。
そしてシャネルは18歳を迎え、この頃から人生は動き出す。
ムーランの街の洋装店で住み込みで働くようになったシャネル。低賃金だが、ステージで歌手が歌う、華やかな「グランカフェ」へいく事が楽しみとなった。常連客に促されステージに立つようになったシャネルが歌っていた「ココをみたのはどなた」と言う曲から、騎兵たちは彼女をココと呼び、とても愛した。
「私は歌手になる!」人生で初めて夢を描いたシャネルだったが、受けるオーディションにはことごとく落選。
落胆する彼女を支えた、上流階級バルザンに連れられ、この頃から社交会に足を運ぶようになる。当時の貴婦人は長いたっぷりとしたスカートに、男の目を引く様飾り付けられた、大きな帽子を被っていた。
”装飾過剰が女たちの身体のラインを殺し、まるで熱帯雨林の寄生植物が樹木を殺すみたいに身体を押しつぶしていた” -ガブリエル・シャネル-
シャネルはこの経験から、女は男の飾りに過ぎないと感じ、自らのスタイルを構築していくことになる。
浮ついた上流階級への反発として、バルザンの乗馬服を、当時女性が履くことのなかったパンツスタイルにリメイクし、シャネルはそれを着る様になった。また、男物の帽子やコートも着る様になった彼女のスタイルに支持が集まり始める。その支持の中心は、大きな帽子を被った貴婦人たちだった。
シャネル26歳。帽子職人となった彼女は新たな夢を描く。「帽子店を開きたい!」
夢に向かって努力するシャネルの前に、実業家アーサーカペルが現れる。実の父に認知されずに育ったカペルの境遇に自分の生い立ちを重ね合わせたシャネルは、深く恋に落ちた。カペルは彼女の将来を思い、哲学や詩を書いたノートを送り、シャネルは白い花をいくつも送り続けた。
カペルの応援もあり、翌年ついにシャネルはパリの高級店が立ち並ぶエリアに、帽子店「シャネル・モード」を開業する。開店してからもカペルは、純粋なシャネルに教養を与えようと、大切にしながらも、厳しく叱咤しながら彼女の成長を支えていた。
そして30歳を迎えた頃、2号店を出店。この頃から男物の服をリメイクした、女性向けの洋服を作り販売を始める。乗馬服からヒントを得た、エレガントでありながら動きやすいシャネルのスタイルは、瞬く間に人気となり、フランスのみならずアメリカなど海外にも広く知れ渡った。
「シャネルの服を一着も持っていない女性は、取り返しがつかないぐらい流行遅れだ」
絶頂を迎えたシャネルに、カペルは別れを告げる。最愛のカペルを失ったシャネルは、この後の人生も多くの著名人と浮世を流したが、生涯独身のまま、ファッションにその身を捧げる事となる。
そうして数年後、香水「NO.5」や「ブラックドレス」などを次々と発表し、現代にも続く彼女のブランド「シャネル」を確立していった。
“翼を持たずに生まれてきたなら、翼を生やすためにどんなことでもしなさい” -ココ・シャネル-
時代や環境に左右されない強さと愛が、揺るぎないブランドを今も成長させている。
逆境に立ち向かう勇気と、自分を信じる信念も、言葉と一緒に魂に染み込ませておきたい。
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著者名:czvich
フリーライター
大阪在住。出雲出身。
コラム、ビジネス文書、企画、取材まで
ゆるく、あたたかく、幅広く活動中。