イラストレーター・へりき 特別インタビュー!- BUNCA -

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クラウドファンディング「新作イラスト本 制作プロジェクト」を開催中のイラストレーター:へりきさんのロングインタビュー!

――本日はよろしくお願いいたします。ひとまず改めて自己紹介からお願い致します。

へりき:イラストレーターのへりきです。

人物を直接描かず、人の存在や痕跡をあらわす“椅子”のある風景イラストを描いています。
人それぞれの中にある虚しさや寂しさにそっと寄り添い、一筋の光を差すことの出来るような絵を目指して活動・制作を行っています。

よろしくお願いいたします。

【とにかく僕、なんていうんですかね、べらぼうな少年だったんですよ】

――今現在は風景画メインで活動されているとのことなのですが、そもそもいつ頃からこういった活動を始めたんですか?

へりき:実際に今みたいにインターネット上に、世に作品を出すという意味では2005年ごろですね。
中学2、3年生くらいの時に「個人サイトブーム」があって、そこで色んな人がイラストをあげてるのをみて、僕もやりたい!となったのがきっかけですね。


――その頃はどんな作品を書いてたんですか?

へりき:最初はアニメキャラ書いたりとかしていましたね、しかもペンタブとかも無いのでマウスで。GIFアニメってご存知ですか?


――「インターネット版パラパラ漫画」的なものですよね?棒人間が闘うやつとか有名ですよね。

へりき:そうですそうです。結構スタイリッシュでかっこいいですよね。
ちょうど活動を始めたくらいに「PAG」っていう今でいうSNSみたいなものがありまして。そこでは土曜の23時に毎回お題がだされて、そのお題にそったGIFアニメを1時間以内に作成してみんなで見せ合うんです。そうして出来たものをお互い褒め合ったり、アドバイスし合ったり。ネット上で活動する楽しさを知ったのはそこですね。


――今でもTwitterでお題に対して絵を描くハッシュタグとかありますけど、もっと前からこういう文化は存在していたんですね。

へりき:それこそその時活動していたメンバーの一人が、PAGの閉鎖後も意志を継いでTwitterでお題出しをやっていたり、アニメの作画でプロとして活躍していたり、ここ出身の人達がいろんなところで活躍してるんですよ。部活っていうとあれですけど、遊びの延長で作品を世に出していたのはとてもいい経験でした。

あ、話がそれちゃいましたが、とにかく当時はイラストとGIFアニメメインで活動していました。

ただ高校生になるにつれて、時間的にアニメが作れなくなっちゃって。
お題に対して1時間以内という制限時間付きなのに朝までやってたりしましたね、給料ももらえるわけでもないのに(笑)


――そうやってインターネット上で活動する前も絵は描いてたんですか?

へりき:そうですね、インターネットの楽しさを知る前も絵は好きでした。とにかく僕、なんていうんですかね、べらぼうな少年だったんですよ。


――べらぼうな少年??(笑)

へりき:そう、べらぼうな少年。
とにかく僕は「世界中の物をなんでも食べられる」と思ってたんです。この世に存在してるものはすべて食べることが出来る。

だから落ち葉と小石とか、あとカタツムリの殻とか食べてました。


――あっ、なんでも食べれるってそういうことですか!?

へりき:そうです。そのあたりにあるものはなんでも。
ただそんなことしていたので、やはりちゃんと「カンピロバクター」という病気になって入院しまして・・・。熱も41度まであがって本当に死にかけました。それが3~4歳の時で。


――べらぼうですね確かに。

へりき:そこから幼稚園に上がってもかなり落ち着きのない、いつも走り回ってるような子供でした。


――話しているととても落ち着きのある方なので全然想像つかないです。

へりき:それで今度は交通事故に遭うんですよね。


――幼少期から壮絶ですね・・・。

へりき:セブンティーンアイスってご存知ですか?僕当時あれが大好きで。
おばあちゃんの家に行くときに家族みんなで車で向かうんですけど、途中の大通りでセブンティーンアイスを買うのが家族内のルーティンになってたんです。

それでその時もアイスを買うために大通りに車を止めたんですけど、僕テンション上がり過ぎちゃって。車が止まってドアが開いた瞬間に大通りに思い切り飛び出したんですよね。そしたら車に轢かれてました。


――めちゃくちゃ怖いです。ただでさえ子供ってなにするかわかんないのに。

へりき:結構ちゃんと大事故で、母親曰く「流石にだめかと思った」らしいです。轢かれた直後とにかく背中が痛くて泣いてたのだけは記憶にあります。

その事故で頭蓋骨にひびが入る大けがをして、数カ月の入院生活を送るんです。


――全然無事じゃないですけど、命に別条が無くてよかったです・・・。

へりき:その入院生活で初めて「何もしない無の時間」ができたんです。走り回るわけにもいかないし。その時初めて暇つぶしで絵を描くんですよ。

入院してた病院がリニューアルするからってことで、壁に無限に落書きできたんです。


――すごく素敵ですねそれ!今へりきさんは風景画作品を多く手掛けてますが、その頃は何を描いていたんですか?

へりき:うんちをひたすら書いてました。


――うんちですか。

へりき:そうです、いろんな種類のうんちをひたすら壁に描きまくってました。「うんこ」は固くて、「うんち」は柔らかい感じ、「うんちゃん」はもっと柔らかくて 「うんちっち」は長くて細い、みたいな。


――悔しいですけどそのニュアンスはとてもわかります。子供の頃の感覚って結構みんな同じなんですね。うんちゃんは初めて聞きました。

へりき:という感じでまあとにかく落ち着きが無くべらぼうだったので、親も教師からも見事に要注意の監視対象になってまして。けど、絵を描いてるときはおとなしくなるってことで、いろんな画材を渡されてましたね。画材と言っても色鉛筆とか紙とか。

それ以降は、ゲームしてるときか絵描いてるときはすごくおとなしかったみたいです。


――絵を描くことにそんなにも心を惹かれたんですね。

へりき:とにかく「生み出す」ことが快感でした。
それと、あとでわかったことなんですけど、軽度の自閉症やADHDの類だったんですよね。だから自身の領域をとにかく広げたかったんだと思います。

そうやって絵を描いてるともちろんどんどん絵は上手くなっていきました。
監視対象にまでなっていた僕が、絵だけは唯一褒められていたんです。「これはやっていいんだ!」って、嬉しかったですね。

小学時代にクラスでの歯磨きの絵画コンクールってのがあって、そこでもう肌の色もいろんな色を使って、ふざけ半分で思い切り大胆に書いたんです。そしたら最優秀賞をいただけたんですよ。


――そこでの経験が「絵を描くこと」の大きな成功体験になってるんですね。

へりき:成功体験もそうなんですけど、ここで「絵を描くこと=自分」というのができあがりましたね。
シンプルな自己顕示欲から始まった絵が、僕のアイデンティティに変わっていきました。絵を描いてさえいれば「生きていていい」と言われるような感覚でした。

【いじられることはある種仕方のないことだと思っていた】

へりき:さっき僕に「落ち着きがある」って言っていただきましたけど、べらぼうな性格から決定的に変わらなければならないと思った出来事が美大生の時に訪れるんです。


高校生までは、「右に倣え」な感じに少し生きづらさを感じていたのですが、「自分には絵があるから」って割とポジティブに過ごしていたんです。

その後美大に通うことになって、そこでは「鋳金作品」という金属を溶かして鋳造して作品を作るっていうことをやっていたんです。

金属を溶かすので。結構危険な作業が伴うんですけど、普通は絶対にやらないような無茶な作業ばかり独自にやっていたんです。そしたら案の定、あるときそこで上半身火だるまになってしまって。


――これまた壮絶な事件ですね・・・。

へりき:幸い他の物にも燃え移らず、すぐに消火もされたので1週間程度の入院で済んだんですけど、そのあたりから「自分がけがをしたりするならまだしも、このままじゃ他人を傷つけてしまう」って思ったんです。「このまま社会に出てしまったら、本当に大変なことになる」という強い不安と恐怖を覚えました。そこから心療内科に通って自分自身と向き合い始めました。


――その事件が「べらぼう」から変わる大きなきっかけになったんですね。

へりき:そうですね。たぶん「べらぼう」を貫いていたら大きな成功を掴んでいたのかもしれないですけど、なんというか、その先に希望は無いな、と。
そこから自分自身から徐々に周りにも目を向けるようになってきたんです。自分を取り巻く社会に目を向けるようになっていきました。
僕はいわゆる、「発達障害グレーゾーン」と呼ばれているような状態だったんです。だからなかなか理解が得られないこともあって。弱音を吐く=自分を守りたいだけじゃないか、って他人にも自分にも思っていました。

「いじり」ってあるじゃないですか。
僕も当時はいじられることはある種仕方のないことだと思っていたので、お笑いのノリで返したり、逆にそのお笑いノリで人をいじったりしてました。周りを楽しませたいという側面もあると思うし、関係性によって良し悪しは変わると思うんですけど、「根っこは自己正当化にあるんじゃないか」と思い初めて。このあたりから、「いじられるのは本当にその人だけのせいで仕方ないことなのか?」という考えに変わりましたね。それとともに、今まで僕の存在が周囲に多大な迷惑と負担をかけてきた事実が浮き彫りになりました。

それまでは、生きづらさを感じつつも「べらぼう」は相変わらずだったので、「自分が楽しいこと=他の人も楽しい」って言う価値観をもっていたんですよ。
「いじり」に対しても「自分はこれくらいのことをされても平気だから、他の人も平気でしょ?」、多少迷惑をかけたとしても、「それ以上の価値を提供してるからいいでしょ?」って感じで。


――自己と他者の境界が曖昧な感じだったんですね。

へりき:曖昧だったし、ありていに言えば「自分が世界の中心」だと思ってましたね。 それまではちょっと過激なネタに走った面白イラストみたいなのを描いていたりしたんですけど、なんだかもうネタイラストの発想すら出なくなっちゃって。それ以降は風景画のみ制作するようになりました。


――それ以降、今の「人物を直接描かず、人の存在や痕跡をあらわす“椅子”のある風景」を描くようになったんですか?


へりき:風景画自体は、予備校の課題で書いたのがきっかけなんです。





椅子の作品を描くのはもう少し後なんですけど、この頃からなんとなく、風景の中に人がいることへの違和感はもっていました。絵に登場する人物だけの風景になってしまう、というか。
この自転車の作品みたいに、「絵のメインではないけど想像力が膨らむもの」にすごく魅力に感じてました。

徐々に風景のみを描くようになっていくんですけど、あるとき写実的に描くことの限界が見えてくるんです。
こういった作品を描いていたんですけど。





――これ絵なんですか?すごい!

へりき:そうなんですよ。「すごい」になってしまうんです。もちろん、すごいと誉めてもらえるのはとても嬉しいことなのですが、技術力の誇示みたいでちょっと違和感があって。写実的な絵を否定してるわけでは無くて、「僕の本当にしたいことはこれではない」って思ったんです。


――そこから椅子の作品にたどり着くまでいろんな作品を制作したり?

へりき:これは不思議なんですけど、ある日、当時はまっていたアーティストの音楽を聴いてたら、ふと絵のイメージが湧いてきて、それを描かないといけないという感覚になって。
そのまま勢いで描いたのが初めての「椅子」の作品です。





今思えば特殊な作り方をしていて、先に絵の具を置いていって、後からボールペンでハッチングしてるんです。


――これは実際にある風景ではないんですか?

へりき:実際の風景ではないんですけど、実際にある風景のいろんな要素を引っ張ってきて自分の中で構成して描いた絵ですね。

なんとなくモチーフが被る作品を作るのが嫌で、この作品の次に椅子のある風景画を描くのは2年後とかになるんですけど、椅子の絵が生まれたのはこの時です。



【根っこは怒りですね。】

――今回のクラウドファンディング・プロジェクトの最後にある文章がとても印象的で

「正直なことを申し上げますと、(あくまでひとつの解釈として、ですが)私の絵は『明るい・元気・楽しい』といったポジティブなものとは逆の位置にあります。
それは作者である私が、『よろこびや安らぎ、希望や夢に溢れる場所へ到達出来たとしても、そこに居続けることは出来ない・居続けてはならない』という確信めいたものをいつも持っているからなのでしょう。」

これはどんなバックグラウンドがあってこの考えに至ったんですか?


へりき:直接的だったのは、美大での経験ですね。

鋳金作品って、作品を作る場所は工場みたいな感じなので、男性性中心・力第一のようなとこなんです。
所謂「男らしくない人」とかは男女問わず居場所がない。それを見てきた経験が始まりです。

自分が「いじり」に対して抱いてきた違和感とリンクしたんです。

あとは美大のカースト上位の考え方がどうしても「作品さえ良ければなんでも許される」というような感じで。
多少の辛いことがあっても、それを乗り越えなければ作家になることは出来ない。という考え方が主流だったんです。


――作品の良さ=そのコミュニティ内での攻撃力そのものでもあったんですね。

へりき:まさにそうですね。

今となってはもう直接的な暴言やハラスメントとかは減ってきましたけど、未だに年齢も権力も上の人が、自分より立場的に弱い人に対して心を病むような言葉を何の気なしに使っていたり。 そういう部分が今の絵の世界観と強くリンクしています。

作品でこういった問題を表して、「気付いて!」って、なるべく押し付けにならないような方法で言っている感覚ですね。

ある人にとっては些細なことでも、それは「些細」なのではなくて「身近」なことだから恐ろしいんだよ。差別やいじめ、虐待や戦争などの原因も結局、些細なことに見えがちな身近なところから始まるから怖いんだよ、って。

――絵だけど、叫びというか。

へりき:根っこは怒りですね。

怒りとやるせなさです。自分自身や社会に対しての。

もはや嘔吐に近いと思います。
生きていく中で蓄積された違和感とか、他人にとって害に成り得るものの発散場所を見つけて、「作品」に昇華させているんだと思います。一見魅力的に見えたとしても、必ず痛みや深い感すら伴うもの。

ただそれだけじゃなく、癒しでもあって、「避難場所」のような役割も作品に持たせたいと思って制作してます。自分の力だけではどうしようもない事柄に対して、せめて休息して備える用意が出来る場所を置きたい、というか。

自分が他社への危害に関与していた過去を、そして気付かないうちに今も関与しているかもしれないということを決して許さないための自傷行為のような側面もあります。
もしかしたら僕の絵を見た人の中に、僕の言動によって深い傷を負った人もいるかもしれない。
今更どれだけ後悔しても取り返しのつかない事実に対して、「お前はなぜ今ものうのうと生きているんだ」「気付くのが遅すぎるんだよ」と。




――最近の作品では椅子のデザインも共通しているように見えるんですが、ここにもなにか意図があるんですか?

へりき:椅子に座る人を限定したくないので、あえてなんでもない椅子を描いています。

これから誰かが座るのか、それとも誰かが去った後なのか、そういったところも想像の余地を残してます。


――今後はどういう活動、というか目標とかあったら最後に聞かせていただきたいです。

へりき:一番難しい質問ですね。
目標を定めないタイプというか。

何かに向かって走るよりかは、それを続けるために乗り越えていくタイプなので。
逃げ場でもあり、気付くための装置としての作品を、押しつけにならないようにばらまいていきたいです。

目標・・・あるにはあるけど、すごく抽象的です。


――よかったら是非聞かせてください。

へりき:世界平和・・・?

いや違いますね。
目指しているのは「棲み分け」です。「目標をひとつの大きなものに定めなくてもいい」という生き方を作品・活動を通して提示をしていきたいと思っています。言い換えると、富や名声だけを到達点とする「サクセスストーリー」の文脈に必ずしも乗る必要はない、と言っていきたいです。


――へりきさん、本日は誠にありがとうございました。

▃▃▃▃▃▃▃▃▃▃▃▃▃▃▃▃▃▃▃▃▃▃▃


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