スキと生きていく噺- 朝際イコ -

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「大正80年生まれ」の「ネオ大正浪漫」イラストレーター:朝際イコさんがBUNCAコラムに登場!イラストレーターの他に、バンド活動、映像制作、デザインや写真、演技、文章執筆、そして講師を務める傍ら、自らも社会人学生・・・という盛りだくさんの朝際イコさんが「好きなことと供に生きること」について執筆!

ごきげんやう。だうも初めまして、朝際イコと申します。

普段私は、自らを「令和のネオ大正浪漫」と一丁前に銘打ってイラストレーターをやっております。ただ稀に「肩書きは一体何でせうか?」とお聞きくださる方がおります。理由は一重に簡単でございまして、長年のバンド活動も継続しており、最近は実写映像の制作や漫画やアニメーションの制作、デザインや写真、演技、はたまたこのやうな文章、そしてとある学校での講師を務める傍ら、自らも社会人学生、、、と一体何者であるのか、摩訶不思議な生活をしております。

、、、と、気張ってそれっぽいことを古めかしい言葉を使って書こうと思いましたが、とてもやりづらく、皆様も読みづらいかと思いますので、普段の私でお話をしたいと思います。

イラストレーターの朝際イコです。このコラムを見つけてくれて本当にありがとうございます。

先に書いたように普段、私はイラストを描いて生活をしています。日本の古いもの、美しいもの、特に江戸~明治~大正~昭和初期と戦前の日本のカルチャーを愛しています。勿論知らないことは山ほどあるのですが、スキな日本の古いものを描いたことで今はイラストで飯が食えています。そして有難いことにそこから派生して様々な表現方法で必要とされることが最近増えて来ました。

時に人は言います。「どうしてそんなにスキなことがたくさんあって、スキなことできるんですか?」と。ただ実際私には今の自分になるまでにたくさんの紆余曲折、寄り道がありました。情けなく格好悪い時期もたくさんありました。そして「スキなものを怖がらずにスキと言おう」「やりたいことはとりあえずやってみよう」と心からそういった自分になることが出来たのは何故だったか、今回はその事についてお話したいと思います。

とりあえず手は出すけど中途半端な高校時代

誰もがあると信じている若さ故の過ち、若さ故の情けなさとでも言いましょうか。私にとって「黒歴史」までは行かないまでも「嗚呼、なんて大海を知らないのだ」と思う時代が高校時代です。と同時に今の私になるまでの話をするには母校のことに触れない訳には到底いかないのです。

私の卒業した高校は東京都立国立高等学校という東京の多摩地区にある学校です。東京に住んでいない方からすれば「国立(くにたち)」という場所そのものが何処にあるのかも分からないかもしれません。私はその国高(くにこう)に中学一年生の頃に恋をして入学をしました。





文字通り、高校に恋をしたのです。厳密に言うと「国高の文化祭に恋をした」のです。中学一年生の頃初めて行った文化祭。高校の文化祭と言えば部活の出し物があったり、やれタピオカだの、やれお化け屋敷だの、町のお祭りの延長にある縁日のような物だと思っていました。お祭り自体がスキな私にとってはどんなものであっても高校の文化祭は楽しいものであったはずなのですが、国高の文化祭は一味どころか二味も三味も百味も違ったように見えたのです。

校舎に入るとアミューズメントパークの様なクオリティの装飾が中学生の朝際の目に飛び込んできて「私もこの文化祭をやりたい!」とすぐさま思いました。一目惚れでした。

我が母校、国高の文化祭は「日本一の文化祭」と称され毎年約1万人来場するようなかなり大規模なものです。特に3年生の演劇は各クラス、監督、演出、脚本、音響、衣装、キャストなどしっかり役職を割り振って全員で作り上げていく素晴らしいものでした。クラスによってはオリジナル脚本を書き下ろすほどで、クオリティの高い演劇を見ることが出来るために文化祭の当日には早朝から整理券配布のために列が出来、その上で抽選でしか見ることが出来ないクラスもある程でした。(現在は近隣の迷惑にならないように事前抽選のシステムもあるそうです。)

そんな「お祭り」に持てる青春の全てをぶつける高校で、手当り次第やりたいことをやってしまったのが私、朝際というわけです。
生徒の自主性が重んじられていた環境で、好き勝手出来たからでしょうか

部活は軽音楽部、美術部、落語研究部(コントをやるだけの)を兼部しながら、3年生の演劇では装飾デザイン、キャスト、音楽、音響、衣装など「やりたい!」と思った分野にはすべて参加させてもらいました。何よりあちこち手を出す私へのクラスメイトの理解があってこそではありますが、特筆すべき点はその文化祭の時期は高校三年生の受験期であるということ。念願の憧れの高校に入学し、一番やりたかった文化祭でやりたいことをすべてやってしまった当時の私に何が起きていたかと言うと、「大学でも人生でも何がやりたいのかわからない」ということでした。

やりたいことが多すぎて、勿論演劇をやりきる事が出来たのに「ひとつの分野に絞る」ということがよくわからない状態になっていたのです。大人になった今ならもっと上手く心を整理して進路を選択できたかもしれませんが、当時の私は結局は高校という狭い世界で、やりたいことだけをなんとなくやってみただけの中途半端な人間でした。

結局、なんとなく勉強していて損はあるまいと外国語学部で英語を学び、その傍らインディーズでバンド活動をするようになったのですが、好きな音楽活動をしていても「自分はどんな世界を音楽で作りたいのか」不明確なまま走り続けていました。20代の私はそれなりに毎日の生活でなんとなくスキなものを消費するのとはあっても、何が心の奥底からスキで「これが一番にスキで、これが私の世界だ!」と打ち出すには到底及ばない人間だったのです。

私のことを根底から変えてくれた離婚の経験とおばあちゃんの着物

実は私はいわゆるバツイチです。たったの一年間だけ人妻だった経験があります。こういうことは大抵「今思えば」ということだらけなのですが、結婚していた当時は無意識に我慢の連続の日々でした。

色々あって離婚することになるのですが、程なくして亡くなった祖母の着物を手に入れることになります。大正最後の年に生まれた祖母は着物がスキで、自身のものだけではなくお祝いの時には着物を仕立てる文化を持っていたので、自動的に祖母は母親の着物も作ることとなり、母親の着物もたくさん引き取ることになりました。せっかく引き継いだのであればちゃんと着よう。それが私の着物生活の始まりでした。元々着物やレトロなもの日本的なものはスキだった私ですが、自由に「できる所までスキを振り切ってしまえ!」と思えたのは離婚がきっかけでした。

毎日なるべく着物を着て、エプロンや割烹着を身につけて、歌謡曲を流しながら大好きな珈琲も淹れ、骨董品に囲まれながら生活する。結婚していたら面倒くさがられて、趣味が合わないと白い目で見られていたかもしれない私の趣味を一人になることで誰にも遠慮せずに爆発させることが出来たのです。



そしてSNSで好きなこと、もの、人に関しては惜しげも無く今まで以上に発信するようになりました。
ある種、離婚した当初は色々あって心がズタボロだった時期ですから、半ば空元気だったのかもしれません。ただある種人生において離婚という少しだけショックな出来事が起きたことで「人にどう思われようが、私は私だ!私の人生だ!」と間違いなく切り替えができたのです。

その頃「30歳になったら音楽活動に見切りをある程度つけてイラストレーターになろう」ということだけ決まっていました。実は結婚していた頃、子供が出来た時に備えて稼ぎのためにも家で出来る仕事を確保しようと、昔から描いていた絵を生業にしようと計画はしていたのです。結果的に離婚したのですが、このままの自分で居るのはとても居心地が悪かったのできっちりイラストレーターと肩書きを付けて絵を描き始めたのでした。

大切なのは肩書きより「何がスキか」

そんなこんなでイラストレーターとして絵を描き始めた私ですが、しばらく鳴かず飛ばずでした。問題はとにかくひとつ「何を描きたい人間なのか」という作家性の不在でした。描きたいと思うものが多すぎて何を描いている人なのかわからない。まるで高校時代の私でした。
そこでその頃から祖母の着物の力を借りて大正浪漫的生活を心がけていた私は「自分に模したおかっぱの着物の女の子だけを描く」というテーマに絞り制作を始めました。(当時髪型がおかっぱだったのです。)




色々好きだからと言って、色々描く必要は無い。私の一番好きなものはコレなんだ!とちゃんと見てもらいたい、知ってもらいたい!その一心で半年くらいはずっとおかっぱの女の子を描き続けました。
すると自然と「令和のネオ大正浪漫」というキャッチフレーズまで出来上がり、有難いことに人生初の「バズる」を経験することになったのです。

ただ、暫くすると高校時代の「なんでもやりたがりの自分」がムクムク育っていることに気が付きます。「音楽も漫画もアニメも映像も文章も描きたい、着物を着ている私自身も発信したい!」そう、悪い癖が爆発し始めたのです。このままブレてどうしようも無くなるかもしれない、と心配もありました。

ただ「もう誰にどう思われたって私は私よ!」という無敵モードに入っていた私は「やりたい!」と思ったことを手当り次第発信してみることにしました。しかし過去の自分と明確に違ったのは「大正浪漫的な世界からはブレない」ということでした。
すると有難いことにどんな表現媒体であっても快く受け入れてくれる方々が増え「すべてが朝際ワールド」と称してくれる方もいらっしゃいます。何をしている人なのかという「肩書き」より、どんな世界がスキでどんな世界を発信するのかが大切であると言うことに気が付かされたのです。

遠回りしたけど、ダメだと思ってた昔の私はダメじゃなかった

自分のスキを自覚し始めた時期、30歳の誕生日にエッセイ漫画「ちるちる噺」を描きました。
私はこの漫画の中で好きなものをとにかく並べて、着物と出会えた自分のことを赤裸々に描きました。
この漫画は当時の自分の中ではヒットでした。久々に会う友人や、知り合い程度の方々もリアルに会うと「あの漫画がとても素敵だった」と言ってくれるし、イラストだけ見てくれていたファンの方も「あの漫画でよりファンになりました!」と言ってくれる程です。スキなことと生きていることはかっこいい!と周りの希望になれた実感のある、未だに人気を頂いている作品です。




実は執筆している時、私は高校時代の私のことも思い出していました。高校時代から紆余曲折、色々なファッションに触れて最終的に着物に落ち着いたという内容を漫画にしてしたのですが、そのリアルな自分が漫画のネタになったことで心から今までやってきたことは本当に無駄じゃなかった。と思えたのです。

高校の卒業アルバムで、「クラスメイトが友人同士でその人を一文字で表そう」、というコーナーがありました。そこで機知に富んだクラスメイトが私のことを「〇の中にチ」と書いて「マルチ」と表現してくれたことがあります。高校時代にあれだけ好き勝手にやりたいことやらせてもらった私ですが、クラスメイトの目にはそう映っていた事がたまらなく嬉しかったことを覚えています。





当時はやりたいことだらけであまりにブレすぎてひとつに選べずすべてが中途半端な私でしたが、高校時代にやりたいことにすべて手を出してみたお陰で、挑戦することへのハードルはグッと下がっていました。歳を重ねて段々とどんなものが好きなのかハッキリしてきたことで、色々な表現媒体を駆使してスキを発信し続けられていることは、高校時代の経験のお陰であることは間違いありません。ずっと中途半端でダメだと思っていた私は、実は全然ダメではありませんでした。

スキと生きる

時に人は私に言います。「どうしてそんなにスキなことがたくさんあって、スキなことできるんですか?」定期的に聞かれます。どうやらそう聞いてくれる方々とお話をしているとスキなことをスキ、と言うのは意外と難しいことなのだそうです。けどわかります。私も周りからどう見られるのか、ずっと気にしてきた人生だったし、それが当時やってきた音楽活動にどう影響するのかとか、売れる為の活動に合っているのかどうか、とかたくさん色々なしがらみの中で勝手に縛られていたなぁと思っています。

けど是非、思い切ってスキなことをスキ!とSNSに書いたり人に伝えるハードルを下げてみてください。人によってはそれが出来たら苦労ないわ!と仰るかもしれませんが、グッッッッと下げてみてください。気の利いたことを書けなくても良いのです。「嗚呼、これがスキだなぁ」と思ったら「〇〇がスキ」と言葉にするだけでいいのです。それが積み重なると、自然と同じ趣味の方や似た方が集まってくるし、何より自分がスキなものを自覚すると強くなれます。「私はこれがスキ、だから私は大丈夫」と思えるのです。そして私が誰かのスキになれているのなら、そんな素敵なことはないのです。

私はスキと生きてみて、同じような趣味の方々とたくさん知り合うことが出来ました。そして今の私がいます。
是非、貴方のスキを発信してください。スキの力は無限大なのですから。







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プロフィール

Author Profile
朝際イコ
2021年より本格的にイラストレーターとして活動を開始
「大正80年生まれ」の「ネオ大正浪漫」を自称

女給、メイド、日本刀、伝統玩具など戦前の日本的なモチーフををビビッドな色合いで表現する
表現はイラストに限らず音楽、アニメ、漫画、着物を中心としたファッションなど多岐に渡る

自身の描く世界を現実世界に再現する活動もしている
バンド活動ではROLLICKSOME SCHEME、燕時光にてボーカルや作詞作曲も務める

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