冒頭から身も蓋もない話をすれば、私は文化財という言葉を積極的に好きになることができない。その言葉がいつ、誰によって生み出されたのかを完全に知ることは今では難しい。しかし、その端緒を紐解こうとすれば、文化財という言葉が必ずしも純然な言葉ではないことに気付くことは出来る。
例えば国立歴史民俗博物館名誉教授であった塚本學氏の「文化財概念の変遷と史料」(国立歴史民俗博物館紀要研究報告1991年)には、
「文化財ということばは、1950年の文化財保護法以前は耳慣れぬことばであった。1979年発行の『文化財保護の実務』は「文化財保護をめぐって」の座談会記事を載せている……1949年1月法隆寺金堂の被災を契機として、この法の立案にあたった山本有三とアメリカの大学で学んだ岩村忍が英語の cultural properties の訳語としてこのことばを採った。ただ、それ以前、1939〜40年頃ある財閥が文化財の研究所をつくる企図があって、国家総動員下で使われた生産財ということばに対して、精神文化的な意味で用いたのが、文化財のことばの早くの例であった」
とある。そうした名残が、現在の文化財保護法における文化財の定義での主語の用い方に看取することもできるだろう。※1
また、仏像修復家の牧野隆夫氏の「仏像再興 仏像修復をめぐる日々」(山と渓谷社2016年)には、
「以前、文化財修復者有志の開設していたHP「修復家の集い」に、「文化財」という言葉について興味深い書き込みがされていた。「文化財」は、1900年代初頭ドイツの「新カント学派」の文化論が日本に紹介された際、「純粋な価値を持つ『文化』が現実社会で実現し、そこで起きる事象・事物すべて」をそのように呼んだことからはじまった、とある。投稿者の解釈では「結婚」すら「文化財」と呼べ、その概念に当初は「古くて貴重なもの」という意味合いは全くなく、ある時期からこの言葉に現在のような意味を持たせ始めた、とのことであった」
という興味深い記述がある。こうした経緯をみると、現代の私たちが通俗的に使用している文化財という言葉が一筋縄で生まれた訳ではないことが理解出来る。
文化財写真という言葉も現代ではよく使用される。もちろん定義は様々だが、大約すれば、資料として用いることが出来るよう極端にコントラストの強い照明を避け、客観的視座で撮影された写真、となるだろう。言葉で説明するよりも、以下の写真を見た方が理解しやすい。
出典:国立博物館所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/narahaku/1430-0?locale=ja)
写真は奈良国立博物館が所蔵する、南無仏太子立像の修理前後を撮影したものである。撮影時の文化財のコンディションを記録するために、極端な陰影やアングルを避けて撮影している。文化財の往時の状態を留めるためにも、こうした写真を永続的に撮影・保管することは文化財保護の観点からとても重要である。筆者もその考えに深く賛同し、奈良国立博物館で専属写真技師を11年間勤めた。しかし同時にまたその11年間は、前述したように文化財という言葉に違和感を抱き続けた日々でもあった。
以下の写真は、光源を変えて撮影した同じ被写体の写真である。
出典:国立博物館所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/narahaku/858-11?locale=ja)
奈良国立博物館所蔵 伐折羅大将立像(戌)(十二神将立像のうち)
黒背景で陰影を強くした写真は、文化財写真の定義に照らせば好ましくないと判断されるだろう。それでも、現実というのは常に重層的で多面的なものである。当たり前のことのようだが、陰影を強くすることによって気付く表情や魅力も文化財は秘めている。私が勤めた11年間は、文化財写真の概念と一見矛盾する、こうした陰影の強い写真をどうしたら博物館の活動の中で共存させることが出来るかを考え続けた日々でもあった。
「奈良や京都の寺をまわって日本の古典を追求する仕事と、アクチュアルな社会問題と取り組む仕事とは、一見矛盾し、相反するように見えるが、ぼく自身にとっては同じことだった。縒り糸がないまじっているだけで、一本の綱であることに変りはなかった。日本民族のヴァイタリティを触発すること、対象はちがっても、ただそれだけがぼくの関心だった」
これは土門拳「古寺巡礼 第1集」のあとがきに記された言葉である。仏像写真といえば土門拳、と名前を浮かべる人は多いはずだ。土門拳は古寺巡礼の撮影の傍ら、原爆の爪痕を追った「ヒロシマ」や、炭鉱失業労働者家族の悲惨な生活を写した「筑豊の子どもたち」など、平行してアクチュアルな社会問題に取り組み撮影を行っている。そしてこの一見矛盾し、相反するように見える土門拳の取り組みこそが、彼の写真の魅力でもあった。
私自身も、仏像や文化財の撮影の傍ら、震災後の福島や旧日本軍が遺し今では放置されたままの地下壕を撮影してきた。それはまた、私なりのアクチュアルな社会問題への取り組みでもあった。「博物館で文化財写真を撮りながら、どうして全く関係のないそうした写真も撮るんですか?」と聞かれたことがあった。土門拳の言葉を借りるならば、それは一本の綱を作るためのひとつひとつの縒り糸であって、私の中では決して相反する写真ではない。
Street Viewより
Spaceより
人は元来、矛盾を内包するものである。悲しくて笑い、嬉しくて泣くのが人間だ。善や悪の判断さえも、時や場所によって変わり得る。理想的な理念を掲げた時、そして皆で信じようとする時に、人は各々が抱える矛盾をとかく忘れてしまいがちである。
人は皆、矛盾を抱えながら生きている。私は私の頼りない個人名だけを頼りに、そして矛盾を隠さない自分の写真だけを頼りに、そのことを証明し続けていきたいと思う。
※1 第二条一項での文化財の定義では、「建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡、典籍、古文書その他の有形の文化的所産で我が国にとつて歴史上又は芸術上価値の高いもの」とある
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