わたしの世代の人間を取り巻くカメラ事情が一気に変わったのは、中学三年生になったあたりからでした。スマートフォンを持つ同級生が増えてきて、わたし自身も高校入学時点でiphone5sに買い替えました。スマートフォンの普及に伴ってソーシャルメディアが身近になりました。
私は、おそらく多くの高校生は若さを失うことへの恐れから現在自分が高校生であることを過剰にまたは病的なほど意識していると思っていますが、それらは”いつ・誰が・何”を共有するソーシャルメディアのその特徴ととても相性が悪かったな、と感じています。若いことは素晴らしく老けるのは悪だと、毎日毎日電車の中の広告が、テレビやメディアが、ソーシャルメディアが、とにかくあらゆる方向から訴えてくる。心の中で「高校生でいられるのは残り○日だ」と嘆く。老いへの恐怖を払拭するかのように、人々は若い現在の自分を記録し、提示しているように見えました。
そして今考えてみれば自分もその一人だったと思います。社会から認められた存在でいたいし、他の人とは違う個性を持っていたいと感じていた中で、私は写真を始めました。
2015年から2017年の高校卒業まで友達を撮り続けた『Family diary』というスナップショットのシリーズでは、「カメラを用いて学校の人たちを撮影することでみんなと友達になってみる」というのがテーマでした。もちろんそんなわけはないのですが、私自身はこの制作もこのような写真の使い方も、当時は唯一無二だと思っていた。
しかし、もちろん友達を撮る行為は私だけが思いつくことではなく、インターネットで見かけた写真を撮る高校生たちはことごとく同じように友人を撮っていました。「写真を使って周りより図抜けたい」と誰もが思っていた、そういう意味で私たちの置かれている状況は同じだった。それぞれが自分のことを語ろうとした結果だと思います。
Family Diary (2015-2017) より、『Untitled(Ear)』
Family Diary (2015-2017) より、『Moment in PE class』
Family Diary (2015-2017) より、『When you see yours』
私はインターネットにいるその大量の写真好きな高校生の1人でしかありませんでした。そのときは微かに絶望感を抱きつつも、その事実には納得感があった。なぜなら自分が日頃意識し思いつく程度のテーマは、世界の誰でも発想できる程度のことだと心の底から純粋に思ってしまったからです。自分の中の写真家活動史に置き換えるとこの時の自分は絶望期だったと思います。自分が写真を撮る意味は何だろう、どうして写真を撮っているんだろう、とずっと考えていました。写真を撮るのは好きなのに、うまく付き合っていけない気がしていました。
その状況が打破されたのは、高校三年生の春に廃墟の見学が趣味であったことが大きかったと思います。(始めた理由は忘れてしまいました)
私は千葉県出身で、高校も千葉県にある県立高校でした。なので、行動できる範囲だと感じた千葉県のとある廃墟に行ってみることにしました。放課後に電車で二時間かけて房総半島に行って、侵入するわけでもなく辺りをウロウロしていました。
初めての無人駅。山に挟まれたプラットフォーム。駅前に広がる無人駐車場や、錆びてボロボロになった鉄パイプが、ところどころコンクリートの上に転がっていました。そして目線の先に廃墟の入り口を見つけたときには、今までの人生で一度も感じたことのない興奮を覚えました。外観の写真をたくさん撮って、近づけるところまで歩いて行きました。入り口は山をくり抜いて作ったような大きな門で、南京錠がかけられていた。
山の麓、辺りには誰もいない。車も猛スピードで過ぎ去ってしまう。目の前に広がる光景の謎をもっと知りたいのに、その場では知ることができませんでした。
その後、インターネットで調べて何とか歴史などの情報を集めつつ、度々放課後片道二時間かけてその廃墟に通いました。
だいたい二ヶ月か三ヶ月通った夏のある日、また廃墟の辺りを歩いていたら、その廃墟には管理人がいることがわかりました。廃墟の前にある簡易的な小屋はいつもカーテンが閉まっていたのに、この日は小屋の窓が空いていた。私はその管理人に話しかけました。立ち話をした後、その管理人さんはパトロールで中に入るから見学に来るかと私に聞きました。着いて行ったら危ないんじゃないかと若干疑っていましたが結局は廃墟の中のパトロールを一緒にしました。
いつも施錠されている大きな門が開けられた。
1人では到底管理の届かない、広大な敷地が廃墟になっていました。山の奥にあるテーマパーク全体が廃墟になっているので、コンクリートを突き破って生えている植物の高さも、その量にも、聞いた事のない動物の鳴き声がすることにも驚いて、若干身を屈めて奥へ歩いて行きました。草をかき分けたり、足元の悪い道を歩いて奥に行き着くとそこはひらけていて、この廃墟が海岸沿いにあることを知りました。
そこで管理人さんが「本当はこの敷地の雑草を1人で刈ったりしなきゃいけないんだけど」と苦言を言っていたのを覚えています。私は管理人さんの仕事の愚痴を丁寧に聞きました。そしてこの敷地内パトロールを終える頃には、「自分が知らない場所がこんなにも近くにあるのに、今住んでいる場所だけに留まるのはなんだかすごく勿体ないんじゃないか」とぼんやり思い始めました。
インターネット上ではこの廃墟も有名ですし、廃墟の前までは簡単に行くことができます。ただ、今まで何人の人々がローカルの人たちと公式にインタラクトできたかと考えると、私の経験はかなり貴重だったのではないかと感じます。
結局、廃墟では写真も撮影したのですが、当時の自分があまりデータの管理に詳しくなくほとんどが行方不明になってしまいました。しかしこのイベントがあってから、写真と私の関わりについてはっきりしたことがあります。私は写真を撮るためにアクションを起こすのではなく、旅に行くときに背中を押してくれる役目としての写真が好きなのです。
『4th July』, Las Vegas, Nevada, 2018
写真が私の背中を押してくれるという事実を、写真は自分を知らない場所に連れて行ってくれる、とも言い換えたりします(きちんと読み解くと別の意味になってしまいそうですが)。
旅に一度出れば、写真が新たな人や光景との出会いももたらしてくれます。この廃墟のフィールドワークを経てから、私は勇気というか自信を得たのだと思います。今までに機会がないのであまり語りませんが、それ以来別の廃墟の付近も歩きに行きましたし、時々日本の奥地に行って撮影していました。そしてなんやかんやあって、1年半後に機会があってアメリカに行き、渡米先での環境がもたらした疑問をきっかけに後に香港や福島などに行きました。そして今もフィールドワークを続けています。
フィールドワークというものは作品を作るプロセスや手段一つであって、それが作品にはならないことが多いのですが、私は、写真家である自分が移動しフィールドワークを以ってムーブメントそのものの一部になり、それを作品にしているような気がしています。そして、それがおそらく、私の写真のキャリアの大半でストリートスナップをやっている理由だと思います。単に相性がいいというのもあるんですが、ストリートスナップと相性が良い理由は、「私が撮らない限り世界の誰も知らなかった景色が世の中にはあると実感した時に写真が撮りたくなるから」という非常に素直なきっかけです。
『A bus for New York』, Boston, Massachusetts, 2018
交通が便利に、快適になっていくにつれて、逆に取捨選択が難しくなってどこにも行けない人も多いのではないかと感じています。わたしの場合は、写真が遠くに連れて行ってくれるとき、実際は自発的に行動していながらも、何かに乗って移動しているような清々しい気持ちになります。だからわたしは遠くに行く時エネルギーを使っている自覚があまりありません。(体力を消耗していることに気付いていないかもしれません) これはスランプから身につけた個性であると今なら思うことができます。
自分自身でも難しいことではありますが、誰でも写真を撮れる時代だからこそ写真に身をまかせつつ、写真を撮ることに注視しすぎないことが写真とのいい距離感を築くヒントなのではないかと最近は感じています。「自分のことを語らなければ」「自分は人と違うことを表現しなければ」という強迫感を無意識のうちに感じているからこそ、写真の活動をする上で日常的にインターネットを用いる以上、それは意識しないといけないはずです。
私は写真家でありながらも写真はきっかけでしかないとも考えています。だからこそ、今までの6年で全く写真を嫌いにならずにやってこれたのかもしれません。
『First sunset in New Orleans』, New Orleans, Louisiana, 2018
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