作品って何だろう?
私にとって作品は、死んだあとも残る「骨」のようなものだと思っている。というか、そういうものであって欲しいと思う。もしこの世から自分がいなくなったとき、生きていた証として残るのは骨くらいなものだから。そう思ったとき、自分の日々を残したいと強く思う自分に気づいた。
さて、残したい日々とは何だろう?
私は、「日々と写真」というテーマで写真を残すレッスンを主宰している。皆さんに残したい日々は何かというと、一様に顔色がくすむ。何を残していいのか?残すべき価値のある日々なのか?
日々というと日常の生活を想像しがちだが、そうではない。日々、つまり積み重ねてきた日であり、生きてきた時間だ。堆積した時間のなかに「自分」を形成してきたものが含まれていることに気づかず、「自分らしさって何だろう?」と悩む人が多い。そして、そういう人に限って「自分」を外に求めてさらに迷う。そして撮れなくなってしまう。
自分は「自分の中」にあることに気づかないまま…。
+++++
前置きが長くなりましたが、みなさんが「何だか撮る気がしない」と思うときはどんなときでしょうか?おおよそ、以下のパターンではないでしょうか?私も過去、同様の悩みにぶつかる時期がありました。
①自分の写真に見慣れて飽きてしまう。
②自分らしい写真が撮れない。好きが見つからない。
③撮影テーマが見つからない、または曖昧。
①については、様々なジャンルの写真をたくさん見て、引き出しを増やすことを心がけてきました。休みの日に写真展めぐりをしたり、お気に入りの写真集を手に入れて家でコーヒー片手にページをめくる。そんな時間が私にとって至福の時。さらに、写真だけでなく、絵画や映像からもインスピレーションを受けたりもしました。しかし、ただ見るだけではなく、構図や光、フレーミングなどについて分析しながら見ることが重要だとも。
②については、冒頭で記した文章につながりますが、「自分らしい」や「好き」は自分の中に答えがあると考えています。ただ、それが当たり前のこと過ぎて気づかない。そうしたときは、自分が子どものころ好きだったことを思い出したり、本を読んだり、映画を観たり、自分を見つめ直す作業をしてみたりすると答えが見えてくることがあります。ゆっくりと自分の過去を遡り、なぜそれが好きだったのかを考えてみる。そんな時間もまた楽しいものです。
③については、旅に出たり、本を読んだりすることで見聞を広げ、好奇心のアンテナを広げることが近道だと感じています。アンテナが広がっていれば撮りたいテーマを受信する感度が高まりますし、知識があることでより受信感度が高まる。深みのあるテーマに育てるという意味でも、見聞を広げることは非常に重要だと思うのです。
私はここ数年の間、撮りたいテーマのひとつに「山」を選びました。それまでまったく興味のなかった山に関心をしめしたきっかけは、とある写真集を見てその美しさに惹かれたから。だけど「山」というテーマだけでは何を撮って良いのか分からない。ただ「好き」というだけでは深みが出ない。自分が山に惹かれる理由を探りながら、山が自分の生まれた国である日本において、どのような存在であるのか?ということを文献から読み解きながら自分なりの解釈を入れ、最終的にひとつの作品集に編み上げました。
山には撮るものが無いと思うかもしれませんが、知識が深まると被写体を見る目も変わりますし、撮影のアプローチが変わります。そして、行き詰まったときは文献を読み解いたり、自分の過去を見つめ直すことの繰り返し。自分の思考を写真という形で視覚化し、残せている感覚がとても楽しかったなと、今振り返ると感じます。
+++++
基本的に「好き」という感覚を頼りに被写体を見つけ、レンズを向けることが多いと思います。それは、これまで蓄積してきた「日々」や遺伝子がそうさせるものだと思うのです。骨も遺伝子によって日々作られるもの。自分がこの世からいなくなってもなお、自分がいた証を残せるものとして、これからも写真を撮り続けていきたい。そう思うのです。
クラウドファンティングを立ち上げたい方はコチラから
その他、掲載中の記事は ↓コチラ↓ から
#Musician
#Fashion
#Photographer
#Novel
#Pictorial
#コンペ特集
#お役立ち情報
#スタッフブログ