「はぐれ者の小唄 」1回目- 小林早代子 -

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小説家、小林早代子氏からはBUNCAオリジナルショートストーリをお寄せ頂けることに。本文のことには一つも触れずにその魅力をお伝えしたいのですが、これがなかなか難しい。しいて言うなら、皆様には晴れた日に読んでほしい気がします。記念すべき第一回目、是非ご拝読下さいませ。



じいさんが足を切断しなければいけなくなったらしい。

まさか卒業して12年も会わないでいるとは思わなかった。

12歳だった僕は、27歳になっていた。来年には東京オリンピックがある。僕らがグラウンドでろくすっぽ練習せずに笑い転げていたあの頃、おなじ日本 のどこかで熱心に練習していた中学生が、いよいよオリンピックに出場したり するのだろうか。

僕らは全員、棒高跳びなんてすっかり忘れて大人になっていった。

この12年間、僕らは何をしていた?

12歳の春、164センチ、ほとんどすべての同級生と同じく地元の公立中 学に入学した僕は、小2から5年間続けたバスケをやめようと思っていた。寝ても覚めてもそのことばかり考えていたけど、親にもコーチにも部員にも打ち明けていなかった。なにかをやめるのに慣れ、やめることにいっそ快感すら覚えているいまの僕と違って、バスケをやめるというのは自分の根幹を揺るがす 大問題で、一大決心で、人生の汚点になりうるとすら感じていた。ミニバスク ラブの仲間たちは全員当然のように中学でもバスケ部に入った。そういうもんだったのだ。

まだ桜の散り切らない仮入部期間、いつから練習に参加するのだとせっつく バスケ部の顧問や部員たちをのらりくらりとかわしながら、僕は日ごと気ままに適当な運動部を体験してまわっていた。それをバスケ部の連中がおもしろく思っていないのは知っていた。仮入部期間も後半に差し掛かったある日、ついにしびれを切らしたらしい男子バスケ部顧問兼クラス担任は、「ケンジは号令の あとちょっと俺んとこ来い」と宣言して帰りのHRを締めくくった。毎日号令直後に誰よりも早く教室を抜け出ていた僕は、今日もそうするつもりでスクー ルバッグを握りしめていた手を力なくゆるめた。

担任は、いつでも殴れるぞとばかりに黒くて固そうな出席簿を手にしたまま僕を廊下に引きずり出し、壁際に追い込んだ。少なくとも当時、とくべつ田舎 でも都会でもない僕の地元では、教師による多少のバイオレンスは日常茶飯事 だった。

担任は、出席簿を抱えた逆の手で僕の肩を掴んで壁に押し付けた。
「お前、どういうつもり? お前以外はみんなとっくに練習してるよ。新人戦がいつだかわかってる?」

反射的に謝らないよう口をかたくとじていたが、「なんとか言えって」と凄まれて即座に「すいません」と謝罪が口をつく。

「士気が下がるんだって。勝手なことされると」

険しい顔を近づけてくる担任の後ろ、めいめい部活に流れていく同級生たち の姿が視界の端を横切る。この男を隔てた向こうがわの人間は全員自由そうに見える。

今日の練習は来るんだろうな、と肩を掴む手に力が入った時、ケンジく~ん 大賀ケンジくんはいるか~あと僕の名前を歌うように呼ぶ声が廊下に響いた。声の方を見やると、教室の入り口から中をぷりっと覗き込み、「ケンジく~んは ど~の子かな~あ」と目の上に手をかざして僕を探している小男の後ろ姿があった。

「僕ですけど」

おずおずと申し出ると小男は振り返り、やあやあやあやあと近づいてきて僕 の肩をぽんぽんと叩いた。白髪混じりの喜劇的な口髭をたくわえた、リスのように目の小さい初老の男だった。

「きみがケンジくんね、なるほど~いいからだだ、バネがあってのびやかで!ぜひウチに欲しい人材だ!さっそく今日陸上部に体験においで」

いざ行かん新たな友よ、と僕の手を引いて立ち去ろうとする小男を、担任が 「野村先生」と制した。
「大賀はバスケ部の練習があるんですよ。新人戦も近いんです」
「まあまあまあまあ。体験だけだから。ね? 鬼頭先生。いいよね? ね?」
「あのね、野村先生、こいつはずっとミニバスやってたんですよ」
担任が野村先生を見下ろして言う。手首と足首がきゅっとつぼまったジャー ジを身につけている彼は、用務員のような風貌だがどうやら教師であるらしい。
「ケンジくん、もうバスケ部に入部届出したの?」
「まだです」
「今日出すんだよなあ?」
「いやあ、まあ」
「まだ出してないんだったら今日はウチにおいでよ! さあさあさあさあ」

野村先生は、肩に手をかけたまま僕をグラウンドへといざなった。歌うように喋るし、踊るように歩く男だった。僕もつられて妙な歩き方になった。

「小学校でのスポーツテストの成績を見たんだよ、君は絶対に陸上をやるべき だと思ったんだ!」

野村先生と肩を組み、ほっほっほっほっとリズミカルに校舎の外に躍り出た。昇降口にさす陽の光が眩しかった。

野村先生につれられてきたのは、グラウンドの端っこ、シャッターの開いた中二階建ての埃っぽい倉庫だった。その前で生徒が幾人かたむろしている。学校指定のジャージを着ているものはほとんどおらず、みんな色とりどりのスウェットや寝巻きじみたTシャツを着込んでいた。派手な髪の色をした女子生徒は地面にべったりと座り込み、半裸の男子生徒の背中にテーピングで背骨のありかを丁寧にかたどっていた。倉庫の中は薄暗く雑然としており、陸上マガジンや古びたスパイクがそこらじゅうに散らばっていた。上の階からはぎゃっぎゃっぎゃっぎゃーんと音がする。見上げると、女子生徒が制服のまま仰向けに寝転んでギターを弾いていた。苦手なのかあるいはとりわけ気に入っているのか、同じフレーズを執拗に弾き続けている。ぎゃっぎゃっぎゃ、ぎゃーん。

僕は野村先生に尋ねた。

「ここは、いったい何をしているところですか?」
「陸上部の部室だよ?」
「はあ。今日は、練習のない日なんですか?」
「平日は毎日練習だよ?」
「はあ」

体育館からは、バスケ部によるウォームアップ中の発声と、バッシュの摩擦 音が響いている。オ~~~~~~~、エイ、オウ、エイ。オ~~~~~~~っ、エイ、オウ、エイ。ぎゃっ、ぎゃっぎゃっぎゃっぎゃーんんんんんん。

野村先生が手を叩いて「さ~みんな練習だ練習~」と声をかけると、生徒たちは、はあ~いと間の抜けた返事をして、何人かはだらだらとランニングコースに出て行き、何人かは柔軟体操を始め、何人かは倉庫から台車に乗った大きいマットを引っ張り出し始めた。なんでこいつらは陸上部なのに靴のかかとを踏み潰しているんだ?

野村先生は僕をジョイントマットの上に座らせて足を開かせ、後ろから体重をかけて上体をぐっと倒した。いい筋肉をしているけどからだがちょっと硬いね、何もかもすべて柔軟性がだいじだよ。と先生は言った。柔軟をすませると、僕はグラウンドの、陸上部に割り当てられたはしっこのはしっこ、ほとんどのりしろのような部分を走った。多くの運動部でわけあって使っているグラウンドは狭くて、100メートルを直線で走ることはできなかった。それでも僕はその、ゆるやかなカーブにからだをかたむけながら何本も走った。野村先生は僕の走りを大げさに褒めた。1年生とは思えないタイムだよ、君は本当にいいからだでいい筋肉がついている、陸上をやるためにあるようなからだだね。

そう、実際に僕はいいからだをしていたのだ、なにしろ5年間みっちりしご かれてきたんだから……。毎日駄菓子を食べてコーラを飲んでいたような同級生とは違って当然なのだ。

仮入部期間は楽しかった、運動部の顧問たちは僕を欲しがってしきりにちやほやした。それで僕は得意になった。バスケ以外の何を選んでも成功できる気がした。でもなんでバスケはだめだったんだろう、いったいなにがいけなかった。

大人になった27歳の僕なら、向いてなかったんだよって素直に言える、でもあの頃の僕の世界にはバスケしかなくて、「しゅみ」や「とくぎ」や「しょうらいのゆめ」の欄のすべてに愚直にバスケと書いていたのだ。それしかしらなかった。

1本走り終えるたびに、僕は野村先生の方を見た。先生はにこにこして、言 葉を尽くして僕を褒めた。僕は褒められたかったのだ、たぶんずっと。

褒められたかった。すごいねって言われたかった。スポーツテストでいちばんになっても、コーチはすごいねなんて決して言ってくれず、こんなに走れるならもっとバスケがうまくなってもいいはずだって僕の努力不足をせめるのだ。僕を最上級に褒めるときのコーチの台詞は決まって、「ケンジ、お前はもったいないやつだな」というものだった。もったいないって、なんだそれ、ふざけんなばーか、褒めるのへたか。

幅跳び用の砂場に移動して、跳んでは砂を慣らし跳んでは砂を慣らしを繰り返していると、裏門から半裸の男子生徒が飛び込んできた。背中に貼られた背骨のかたちのテーピングが思いのほか精巧でぎょっとする。先輩らしいその男子は野村先生に駆け寄ると、「じいさんに似てるやつつかまえた!」と手のひらのカエルを見せびらかした。先生は、「ほう、いい面構えのカエル……」と満足そうにしている。

どこの部に見学に行っても、上級生は新入生獲得のために丁寧に指導したり説明したりしてくれたのに、この部活ではまるで新入生のことなどお構いなしだった。そうかと思えば、
「つか、おれカエルにかぶれるんだったわ。どうしよう」
と馴れ馴れしく話しかけてきたりもした。彼は、僕が着地した砂のあとを見て、「えっおまえそんな跳ぶの?すご」と驚いていた。

陸上部は、はっきりいっててんで部活の体をなしていなかった。

いつもこんな感じなんすか、この部活って?と尋ねると、先生は微笑んで、

「この部活はね、はぐれ者の子たちの居場所にしたいと思って、去年僕がつくったばっかりなんだよ」と言った。
「はぐれもの?」
「そう、とくに、君と仲良くなれそうな女の子がいて……、あ、噂をすれば、 鞠子ちゃん、おーい!」

校舎の方からだらしなく歩いてきた女子生徒をひとめ見るなり、この部活は この子のためにつくられたのだということを僕ははっきりと理解した。

かったるそうにこちらを見ている気の強そうな目は心持ち潤んでいて、長い睫毛が影を落としていた。鞠子の目は、どんな時も怒りと儚さを少しずつはら んでおり、それでいて、何も諦めていない強さも携えていた。色素の薄い髪をゆるく結っていて、まとまっているとは言いがたい細い髪は不思議とみっともなく見えなかった。

野村先生は、部活開始時刻を大幅に過ぎて現れた鞠子に遅刻の理由を尋ねるでもなく、僕のことを
「新入生のケンジくんだよ。我らが陸上部の次期エース。 鞠子ちゃんときっと気が合うよ」
と紹介した。鞠子は僕を値踏みするように一瞥して鼻で笑った。
「融通利かなそうなガキ!」その時口元からのぞいた八重歯は、鞠子の造形のうち最も、そして唯一不完全な部分だった。

前触れのない悪意に、「は? なんだよおまえ」と思わず口から出た。そこで初めて鞠子は僕が口が聞けるということに気付いたような顔でつかつかと近づいてきて、鋭く短く僕の頬を張った。

「口のきき方をわきまえろバーカ!」

新入生が目の前でビンタされたっていうのに野村先生は微笑みを崩さず
「だあめだよーケンジくーん、攻撃はよけなきゃ~~」と歌うように言った。

やっぱりこの部活はちょっとおかしい。全てが自分の価値観の外にある。

鞠子は不機嫌そうにその場に座り込み、制服のまま柔軟体操を始めた。制服は色あせていて、ほかの女子生徒より長めのスカートはところどころほつれてもいた。体操のあいだじゅう、鞠子はひとりでずっとぶつぶつ何事か呟いていた。ほんとさあまじ信じらんない盗んだわけじゃない借りただけだっつーのシェアリングの精神がないでやんのあの女ガタガタ言いやがってあーほんとむかつく。異様に滑舌の良い早口で滔々と不平を言い続け、あー! と苛立ったように叫んで荷物を放り出すと、鞠子はぶあついマットの積み重なっている方へ走って行った。いまにも跳躍しようとしていた部員から長い棒を奪い取り、そのままてってってってっと走って地面に棒を突き立て、くにゃりと高く跳んだ。棒はたわんで、スカートのすそがはためき、たよりないからだはバーをこえて薄汚れたマットに落ちて行った。なんだかすべてがゆっくりで、うつくしかった。

じいさんはそれを見て、「発言とは反対にきれいでやわらかな跳び方だなあー」と言った。

「あれ、なんすか、高跳び?」
「あれはねえ、棒高跳びだよ。中学校で棒高の設備があるところはかなり珍しいね。あのピット、僕の手作りなの。知り合いの先生がいる高校で、マットがいらなくなったっていうからもらってきちゃった。うちには変わった子が多いからね、変わりもんには変わった競技させとくのがいちばんいいと思って。ケンジくんも棒高跳びやってみるかい?」
「いや、俺はああいうテクニカルなやつはあんまり……どっちかっつうと、た だ走るだけとか跳ぶだけとかの方が」
「そうかあ。おもしろい競技だよ」

跳躍のあと、マットに沈んだ鞠子はそのまま動かなかった。しばらくすると、 ほかの部員たちも何人かそのマットに上がって仰向けに寝そべった。なんの動きもない、およそ運動部らしくないその様子を、僕は少し離れた砂場からずっと見ていた。

翌朝担任は僕を呼び出し、今度は教卓に座ったまま僕を見上げて「無理にバスケ部に入らなくてもいいから、陸上部だけはやめておけ」と言った。「あそこに入れば、絶対にお前はだめになる。きっとだよ。お前みたいなちゃんとしたやつが入るようなところじゃないんだ、あそこは」
「はあ」
「とにかくあそこはだめなんだ。見学に行ったならわかっただろ。まともな環境じゃないんだって」

はあ、と担任の話を聞いている間、僕は鞠子のやわらかな跳躍を思い出して いた。てってってって、くにゃり。あのやわらかさと張られた頬の痛み、体育館には通らない涼やかな風と直接降り注ぐ陽の光。絶対にお前はだめになる。きっとだよ。








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小林早代子
92年生まれの小説家。
第14回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞受賞。
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