仕事でも、仕事じゃなくても- 吉玉サキ -

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ライター・エッセイストの吉玉サキ氏。彼女の文章を読むとハッとする方も多いのではないでしょうか。自分の中で「言語化できなかった気持ち」を吉玉氏が代弁してくれている感覚を覚え、特に今回の記事は創作活動をする全ての人に経験があるのでは。 必見です。

書くことを仕事にしたのはここ一年の話で、それまでは他の仕事をしていた。

子どもの頃から書くことが好きで、それを仕事にしたいと思っていたのに、なかなかうまくいかなかったのだ。

「仕事にできないなら書く意味がない」と思い、書くことから離れた時期もある。

けれど、「仕事にしたい」という気持ちをいったん手放したら、「書きたい」という気持ちだけが残った。

創作したいという純粋な情熱に、
「そんなことして何になるの?」「プロになれるわけでもないのに」
などの言葉で水をさす人もいる。

けれど、たとえそれが仕事にならなくても、創作をやめなくていい。やめてもいいけど、やめなきゃいけないなんてことはない。

好きだから、創りたいから、創り続ける。

誰にだってその自由はあり、その情熱はきっと美しい。



高校生のとき、地元・札幌の劇団に所属していた。通信制高校だったためフリーター同様の生活で、バイト以外の時間は芝居漬け。青春のすべてを芝居に捧げたと言っても過言ではない。

劇団員は私だけ10代で、ほかは20代か30代。みんな、芝居を仕事にはしていない。昼間はそれぞれ仕事をし、夜に芝居の稽古をしている。

そう言うと、「趣味の演劇サークルね」と言われるのだけど、私たちにとっての芝居を「趣味」と呼ぶのには違和感がある。

趣味は余暇時間に楽しむものだ。しかし、劇団員たちは人生のリソースの8割か9割を芝居に割いている。稽古を優先できるよう就職せずにフリーターとして生活する人もいれば、芝居を優先したため結婚生活が破綻した人もいた。

人生を犠牲にしているわけではない。彼ら・彼女らにとっては、芝居をすることが人生そのものなのだ。

高校生のときから劇団の大人たちと過ごしてきた私は、その生き方を特別おかしいとは感じなかった。

しかしある日、ふつうの(全日制の)高校に通う友人に劇団の人たちの話をしたら、こんなことを言われた。

「プロでもないのに趣味に人生捧げるなんて、そんな生き方してたら人生詰むよ」

地方都市の高校生が、いったい人生の何を知っているのだろう?

私が「人生詰んだ大人、見たことあるの?」と聞くと、彼女はファミレスのストローをくるくる回しながら眉をしかめた。



その後、私は東京の学校に進学した。今はもうないのだけど、御茶ノ水にあった文化学院という学校だ。演劇と文芸に興味があり、両方学べるのがこの学校だった。

最初は演劇の授業も受講していたけど、文章を書くのが楽しくて仕方なくて、二年生からは文芸の授業ばかり取るようになった。小説ゼミの課題は毎回必ず提出したし、友達と小説の同人誌を作って文学フリマで販売したりもした。

気づけば作家を目指していた。はじめて長編小説を書いて新人賞に応募したのは二年生のとき。それからは一年に一本、応募作を書いた。

卒業後は就職したけど続かなくて、フリーターになった。小説の応募は続けていたけど、よくて二次選考止まり。

このまま夢が叶わなかったらどうしよう……。

いつの間にか、小説を書いても楽しいと思えなくなっていた。「書きたい」ではなく、「書かなきゃ」という言葉を使う自分に失望する。

デビューできない焦りと不安に負け、私は書くことをやめた。

小説ゼミで一緒だった友人たちは、口々に「サキちゃんは書かなきゃダメだよ」と言う。それが私の背中を押すための言葉だとわかっていても、「書かなくなった自分に価値はないのだろうか」と苦しくなった。

また、親や知り合いに「仕事にできなくてもいいじゃない。趣味で書き続ければ」と言われるたびに、反発を感じた。

それじゃ嫌なんだよ! 趣味なんて軽いものじゃないんだよ、この想いは!

そう叫びたくなる。

そして、はたと気づく。

私は、「小説が書きたかった」のではなくて、「作家になりたかった」のだろうか?

それは、純粋な創作意欲だったろうか?

人から認められることを目的に書いていなかっただろうか?



書くことをやめてから5年後、私は結婚して旅に出た。

マチュピチュにもウユニ塩湖にもサグラダファミリアにも行ったけど、心に残ってるのはもっとなにげないシーンだ。

ボリビアでコロッケのような料理の屋台に並んでいたら、知らないおじさんに「ボリビアは好きか?」と聞かれたこと。

スペインの田舎町で、ぎゅうぎゅうに集まって眠る羊の群れを見たこと。

アルゼンチンの長距離バスで言葉もわからないまま見た、シュールな映画のこと。

書きたい、と思った。

旅先で見たものや、心に生じた思いを書きたい。旅の間、私は隙あらばキーボード付きのタブレットで旅行記を書いた。夫が街を歩いている間、ひとりで宿で書き続けたこともある。帰国してもまだ書き足りなくて、毎日書いていた。

そんな私に、「仕事でもないのに何のために書くの?」と聞く人がいた。「お金がもらえるわけでもないのに、なんで?」と。
そのたびに私は、「登山が好きな人が山に登るようなもんだよ」と答えた。

山に登ったからってお金をもらえるわけでもないし、誰に頼まれたわけでもない。それでも、山に登る人はたくさんいる。登りたいからだ。

音楽好きの人は、音楽評論家じゃなくても音楽を聴く。パフェが好きな人は、誰に頼まれなくてもパフェを食べる。

ぜんぶ、そういうことなんだよ。



帰国から5年が経ち、今の私はエッセイストだ。なんだかんだ言ってやっぱり、書くことを仕事にした。

けれど、仕事にする前と今とで、書くことへの愛の重さは変わっていない。

小説ゼミで夢中になって小説を書いていた私も、海外の安宿で旅行記を書いていた私も、今こうして仕事の原稿を書いている私も、みんな書くことが好き。仕事かどうかと、創作の喜びは関係ないのだ。

そして、「プロでもないのに芝居に打ち込んでたら人生詰む」と言われた劇団の人たちはみんな、今も幸せそうに生きている。

芝居を続けている人もいれば、やめて仕事や子育てに専念している人も。 いずれにせよ、人生詰んでる人はひとりもいない。

ほら、プロじゃなくても創作に情熱注いでいいんじゃん。

高校生の私は、どこかその考えに自信がなかった。けれど、たくさんの人の人生を見てきた35歳の今、その考えは確信に変わった。



創作活動をしていると、それを仕事か趣味かと問われることがある。

だけど、「仕事ではないけど、趣味というほど軽くもないんだよな……」と思っている人も多いのではないだろうか?

どうか、「プロじゃないから」と自分の作品を低く扱わないでほしいし、創作をやめないでほしい。

誰が何と言おうと、創作を愛する気持ちは自分だけの大切なものだから。








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Author Profile
吉玉サキ
ライター・エッセイスト。
札幌市出身、東京在住の30代。
イラストレーターの夫とふたり暮らし。
得意テーマは、多様な生き方・働き方、生きづらさ、人間関係。
『山小屋ガールの癒されない日々(平凡社)』
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