このエッセイは小説が書きたい作家志望者にアドバイスをする熱血文章である。日本文学界に於いて全く異端の僕が、僅か数分で、無名で荒廃している今の貴方を未来の芥川賞作家に仕立てる奇跡の技を余すところなく伝えるものである。
ノベルズウォーズ
(実践編、いよいよ佳境! 主題とは何か?)
第23話
花園へ飛べ千羽鶴——又は、小説の主題なんてどうだって、いい>
(『スクールウォーズ』で山下真司の妻を演じる岡田奈々さん、今見ても本当に綺麗……。確か、大木役の松村雄基が恩師の妻と知りつつ、好きなんだ、奥さん——と迫るシーンがあったと記憶していたのですが、ありませんでした)
小説を書きたいと思う。でも何を書いていいのか解りません——。
否、それでは幾らテクニカルなことを熱血指導しようとも、貴方を芥川賞作家に出来る筈、ありゃしないではないですか! しかし意外とこの根源的な問いを持つ人は多いらしい。しょーがないなぁ、乗りかかった船でげず、基本中の基本を教えておきます。
貴方は小説を書きたいとは思ってくれている訳です。ならばその理由はちゃんとありますよね? 最近、暇だから小説でも書いてみようと思う。印税生活を送りたい。『文豪ストレイドッグ』に感化された……。このようにマヌケな理由で一向、構いません。世の中を変えたいとか、人間存在の深淵を見極めたいとかは期待しておりません。いいんです、そのつまらない理由で。僕だってライターの頃、連載していたエッセイを本にしたら「もう野ばらさんは作家さん。今までのように情報誌の取材なんて頼めませんね」と勝手に周いが遠慮してしまい、時間が出来たので小説でも書いてみるか——腰を据えたのです。
主題というものがあります。僕達はそれがあるから作家は作品を書くと思い込んでいます。小学校の国語の時間、僕達は「この作品の主題は何でしょう? 作者は何をいいたかったでしょう?」問われましたからね。でもそれは国語の授業だったからです。算数は答えが合っていればいいけど、国語は読解力を査定せねばならず、先生は仕方なく主題を訊ねていたのです。太宰治の『走れメロス』——「友情の大切さ。人を信じることの素晴らしさ」——そう答えれば100点ですが、本当に太宰はそれを書きたかったのか?
主題ではなくモチーフならば“友情”しょう。しかし、メロスは途中で困難に負けそうになり「正義だの、真実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい」と寝てしまいます。ダメな人間の代表選手の太宰さんですし、案外、この弱さと自己を正当化する人間の本性こそを主題にしていたのではないでしょうか? 授業で「結局、人は自分が可愛いということです」と答えたなら先生は激怒したでしょうがね。間違っちゃいない。先生だって、降霊術で太宰を呼び出し真偽を確かめるこたぁ、やらない。ですから主題という鹿爪らしいものに気後れすることはないし、ましてやそれが高尚なものである必要性なぞ全くないのです。
僕は菊池寛が苦手です。でも留置所に入っていた時、貸本棚に菊池寛があったので熟読してみたのです。どれも説教臭くてつまらなかったのですが、『藤十郎の恋』は少し面白く読めた。名優と誉れ高き歌舞伎役者、藤十郎が不倫の物語を上手く演じることがやれず、芸の為にと実際に人妻を誘惑する。結果、彼は素晴らしい芝居をするのですが、利用された人妻は自害を果たす——。嗚呼、モラルを重視する菊池寛だけど、やっぱり作家、芸の為に罪もない女を殺してしまう藤十郎の因業を描きたくなるのだなぁと思い、後の自作解説を読んだらビックリした。菊池寛、幾ら向上心の為とはいえ人を不幸にするのは赦されない。私はそれを伝えたかった——と書いている。これで完全に僕は菊池寛を敵と看做すことにしました。苦手には苦手である根拠がちゃんとあるのですよね。留置所のような場所に一ヶ月も軟禁されると、ここを出られたなら少しは前よかマシな人間になろうと、誰もが——僕ですら思います。だけど菊池寛は納得ならなかった。
世間に自分の書いた小説を認めさせて誰かを見返したいだとか、新人賞を獲って今まで相手にして貰えなかった人を振り向かせようとか、小説なんてそんなゲスな目的で書いて構わないのです。ちゃんとしたモチベーションがないとマズいと、自分の初期衝動を誤魔化すとそのブレは作品に如実に現れる。
貴方がヒトラーの崇拝者であるなら、心ゆくまでヒトラーを賛辞する小説を書けばいい。惹かれる理由が思想や生き方ではなく、単に彼の容姿であるなら、彼のチョビ髭に就いて延々と語ればいいのです。それではバカにされる、良識に欠けると非難されるを見越して、独裁者になるに至ったよんどころない事情などをフィーチャーするとスゴくつまらないものしか出来上がらない。
ヒトラーは何時も、入念に髭の手入れをしていたが、或る日、専属の散髪屋が年末の慌ただしさも手伝い、剃り落としてしまう。焦ったヒトラーは秘密裏、ヒトラーユーゲント達に精巧な付け髭を探させるが見付からない。ヒトラーは髭が生えるまで誰にも逢わないと自室に引き籠ってしまうが、クリスマスの夜、不思議な夢をみる。夢に現れたのはかつて多大な影響を受けたニーチェ。ニーチェは「フローエ・ヴェイナハテン!」というと自分の口髭を渡してくれた。目覚めると鼻の下にはチョビ髭があった。書棚からニーチェの本を取り出し、ヒトラーがその肖像画を確認するとニーチェの鼻の下に髭はなかった。ヒトラーユーゲント達を呼び彼等に訊ねる。「君達、ニーチェはどんな顔だったか知っているね?」。ユーゲント達は一様に、髭がないと応える。ヒトラーは静かに眼を瞑り、心の中で「ハイル・ニーチェ」と唱え、そっと涙を拭くのであった——。
ね、ヒトラーの容姿にのみ焦点を当てるならこんなメルヘンなお話だってすぐ思い付けちゃうのです。僕はお洋服や可愛いものにしか興味を持てないし、好きなお洋服や可愛さの為なら死ねると本気で思っています。だからそれを書き続けます。松本零士さんなんて少年のロマンを生涯のテーマにしつつ、絶対、機関車や戦艦が描きたいだけですよね。だからこそ理論的に滅茶苦茶で辻褄が合ってない説明が出てきても作品に説得力があるのです。何で宇宙空間を走る最新型の特別列車が機関車なんだ? 好きなものを書くと、アイツはヤバいと爪弾きにされる場合もあります。でもいいじゃないですか。嫌われる勇気を持つなんて甘い。否定される勇気を持ってこそ小説は書けるのです。大勢の共感を得たいなら、小説は諦めましょう。猫の写真でもインスタにアップなさいましな。
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