このエッセイは小説が書きたい作家志望者にアドバイスをする熱血文章であり、僅か数分で、無名で荒廃している今の貴方を未来の芥川賞作家に仕立てる奇跡の技を余すところなく伝えるものであるのだが、実際にお手本がある方が良かろうと僕も新しい小説を読者への挑戦状と銘打ち、書くことにした。
(今、文壇でも話題沸騰中!)
ノベルズウォーズ番外編
(文豪村は冥界に入った作家達が住まう場所。ハブかれ者の太宰治は自らの引受人、織田作之助の恩情と村を牛耳る派閥の構造の間で板挟みとなる。そんな太宰にかつて無頼派の盟友だった坂口安吾は穏便な身の処し方を教えた。)
がんばれ太宰くん
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井伏鱒二からの手紙を読み終えた私に安吾が語ります。
「因果島というのは、そうさね、娑婆、否、東京で喩えるなら、八王子か高尾ってところかな。ここは冥界で俺達は霊魂な訳だけれども、冥界の環境が体質に合わない霊魂というのも、あるんだ。そういう霊魂は住人の多い場所、密集するエリアでは体調を崩してしまう。だから娑婆的にいえば空気のいいところで療養しながら生活するのが望ましい。林女史というのは自由恋愛主義の人で、詳しいことは知らないが、井伏さんともそういう関係に一時期、あったとか、なかったとか。
彼女が多くの男を手玉に取った文壇のクレオパトラなら、概ね、君は沢山の女性と浮名を流した文壇のドン・ファンじゃないか。彼女の面倒をみる役を君に任すというのは、なかなか洒落ている——と俺は思ってしまう」
安吾は切れ者ですから、その言葉を鵜呑みにはやれません。しかし、君は文壇のドン・ファンといわれてしまうと、うう、かなり自意識がくすぐられてしまいます。「鴎外の娘の茉莉さんが怒っている桜桃忌にせよ、毎年、押し寄せるファンは若い女子ばかりだというじゃないか。死んでも尚、女の心を鷲掴みにし続ける男性作家なぞそうはいない。文豪村の皆が君に強く当たるのは、君がモテ過ぎるという嫉妬の念も入っているのではと、俺は推測している」——安吾が追い討ちを掛けるように私を持ち上げるもので、私はすっかり因果島に行く決意を固めてしまいました。
私が了解すると、安吾は自分は林芙美子に挨拶をしたり私がそこに定住する為の様々な段取りを整えておかねばならぬから先に向かう、半日遅れか一日遅れくらいで追い掛けてくればいい——といい、簡単な地図を描いて私に寄越しました。そしてその後、坂口——と彫られた自分の判子を私に預けました。
「今日の夜か明日の午前、刷り上がった『幻影』の新刊が印刷所からどさっと、うちに届くんだ。『幻影』のメンバーは俺が家財道具を殆ど持っていないのをいいことに、いつも新刊が出来上がるとここを倉庫代わりに使いやがる。脚夫から荷物を受け取る際は判子が必要だからな。荷物はテキトーに放り込んでおいてくれればいい」
そういって安吾は、ツバの広い麦わら帽を被り、復員兵が背負うようなナップサックを肩に担ぎ、因果島へと向かいました。主人のいなくなった安吾の家で一晩過ごします。朝、脚夫が戸を激しく叩く音で私は眼が醒める。伝票に坂口の判子を捺し、『幻影』の新刊だという大量の荷を中に入れて貰う。牽引してきたリヤカーから荷を持ち上げ運び入れるを繰り返す労働はいかにも大変そうでしたが、猫背の脚夫は、黙々とその作業を繰り返していました。この男も文豪村にいるということは、娑婆では作家だったのだろうか? しかし私は脚夫にそれを訊ねる気にはなれませんでした。文豪村の住人であるなら、このような激務をこなすに甘んじている彼とて、太宰治——私のことを毛嫌い、軽蔑しているでしょうから。
鍵を閉める必要はない。『幻影』のメンバーがやってきて自分達が配布する分を勝手に持っていくから——と聞かされていたので私は、安吾が「もう一つあるから」とくれた彼が被って行ったのと同じ麦わら帽子を目深に被ると、因果島に向かうことにしました。荷物はありません。しかし預かった判子を置いていくのは不用心な気がして、私はそれを着物の袂に入れました。向こうで安吾に渡せば好い。
因果島に至るに一番解り好いのは吾妻橋の下に流れていた川をそれに沿い、ひたすら上流に遡るルートだったので、まだ文豪村の地理に疎い私はその道を行くことにします。
前日、身投げした吾妻橋に戻ると、橋の上で何やら大勢の人が騒ぎ立てている様子に出くわしました。皆、橋の下を見たり、指差している。自分は川の端の道を上流に向けて進むだけだし無視しようと思いましたが、ふと橋の下の川面に眼を移すと、そこに粗末な筏が浮かんでいるのがしれました。
流されぬよう筏の端は土手の杭にロープでつながれています。筏の上には人間が大の字の形で仰向けに寝かされています。橋の上にいる人々の話す内容が、耳に侵入してきます。
「早く流しちまえ!」
「ロープを切れ!」
固定したロープをほどき、筏に乗せた人物を筏ごと、下流に流そうとしているらしい。刑罰であるは明白でした。私は好奇心から橋の上に向かい、その刑罰を見物せずにはいられなくなったので、人を掻き分け、覗き込むと、筏の上の人物は両手両足を筏の四方に荒縄のようなもので固定されています。キリストの磔刑のようだ……と私は思い、川下に流される運命の罪人の顔を確かめたく、更に首を延ばしました。
磔に処されていたのは、織田でした。
「彼は何をしたのですか?」
私は横で同じよう、刑に眼を遣る野次馬の一人に訊きました。
「人殺しさ。——未遂だったけどね」
「誰を殺めようと?」
「泉鏡花さんだよ。二人の間に色々、この文豪村で悶着があるってのは、誰でも、心得ている。泉さんが織田をバカにしたとか、織田が泉さんに難癖付けたとか。しかし、織田という男もバカといおうか、お人好しだね。自分が世話を焼いている新しいここの住人が、織田さんを愚弄した件、赦すまじ、私が落とし前つけて参りましょうと任侠映画よろしく、出刃包丁を持って泉さんの処に乗り込んで行ったのに心を打たれ、お前だけを死なせるものかとその後、自分も台所にあった歯切り包丁やら鍋やらシャモジやら、武器になるものならないもの、とにかく手に持ち、泉さんの屋敷に乗り込もうとしたのさ。
当然、警備が厳重だし泉さんの屋敷の門前で警邏の者に取り押さえられたのだが、悪い具合に三島由紀夫が居合わせた。当然、三島は織田に何用だ?と訊く。織田は、太宰が来ただろう。ヤツは僕の敵討ちのつもりで泉をタマをとりに来たんだと応える。太宰? そんなヤツは来やしない。来た処であのような酒と薬でボロボロになった軟弱者、仮令、ライフルを携えていたとて私が組織する葉隠の精鋭達が素手で捕えていますよ——とせせら笑ったものだから、もう織田は完全に制御を失ってしまった。
あろうことか、葉隠が聞いて呆れる、どうせお前の趣味でムキムキの男を養成しただけの稚児部隊。泉さんとやらも君子面して稚児とお戯れの最中か? 泉鏡花の花は菊の花。菊門専門だから姓を泉と申される。鏡花の泉に金色の己が夜叉を立てなさるは尾崎紅葉大師匠。衆道の親分は穢れを知らぬ太宰の菊門もお望みか!——大声でまくしたてたものだから、完全にアウト。縄でぐるぐる巻きにされ、泉鏡花の前に引っ立てられたのさ。三島から事の次第を聞いた泉さん、師匠の尾崎紅葉を衆道の親分と罵られたと聞かされては、こちらも逆上する。前から険悪な間柄だったし、この織田なるもの極悪至極、筏に磔、吾妻橋より衆生見せしめの上、流罪に処せと仰せられた」
「幾ら大派閥の長とはいえ、そんな裁決を泉——否、泉先生一人で下せるのですか?」
「君、何も知らないのかね? 新参?」
私に訊ねられた人は訝る声色になり口を噤みましたが、「先程、文豪村の住人に加えて頂いたばかりで」と私がいい、「江戸川先生とここで待ち合わせたのですが、人が多く見当たりません……」咄嗟に繕うと、「ああ、乱歩さんが引受人なのかい。あの人、ロクに世話も出来ない癖に、探偵小説家なら誰でも引き受けちゃうからなぁ」と勝手に合点したようで、「こんな滅多にない見世物、あの人が放っておく筈なし。絶対、君のことなぞ忘れ、特等席で見物しておられるさ」零すと、私の質問の答をくれるのでした。
「この冥界、文豪村でも治安を守る為の法はあるし、娑婆でいう司法裁判のようなものもある。でも尾崎紅葉クラスの人が流刑といったならもう、裁判で判定はひっくり返らない。こうやって先に刑を執行して後で、形式上の裁判が行われる。今回のことは恐らく尾崎先生の耳に入ってなく、泉さんの独断だろうが、フライングして泉さんがやっちまえば、尾崎先生としても裁定は正しかったと事後処理をするしかない。勇み足だったと泉さんを責めて組織の中と外に軋轢を匂わせては損だからね」
「あの——織田という男は、これからどうなるのでしょう?」
「吾妻橋の下で川に流された者がどうなるのかは、知らないよ。少なくとも僕ら末端の住民には見当も付けられない。恐らくは存在そのものが消滅するんだろう。この世界に生まれたことも死んだことも全て、なかったことになるのだろう。彼は『冥界日日新聞』の日曜版を担当していたが、その痕跡すら跡形もなく消滅する。そして僕達の中からも彼——織田作之助という人間、小説家がいたことは消去されてしまうのさ。何かが消去されたことを僕達はどう足掻いても知る術がない」
「Cogito,ergo sum——だからですか?」
「そう。我、思う故に我あり——は、我の知らぬことは我、知り得ぬ——ということでもあるのだしね」
「失礼ですが、貴方は尾崎派寄りの方ではないのですか?」
「僕? 僕は堀辰雄が引き受け人になってくれたんだけど、堀さんは立原道造にベッタリだから、キリシタンつながりでもっはら、内村——鑑三先生に厄介になってる」
「じゃ、内村派ということ?」
「そうだね。でも内村派であるとしても、堀さんとの個人的な関係から、僕は川端先生のいる尾崎派には逆らえない。尾崎派はまだ誕生して浅い勢力だけど、そういう人間関係を巧みにいかして他の派閥の住人も取り込むんだ」
「姑息……ですね」
「誰が聞いてるとも限らない。そういうことを、滅多に——」
男は慌てたように周囲をぐるりと見渡しながら注意を促しましたが、途中で言葉を止め、麦わら帽のツバで見えなかった私の顔を覗き込むと、
「君、もしかして、太宰?」
私が返事もせぬうちに、まるで害虫を発見したかのよう、欄干から飛ぶように退きました。それにつられ、反射的に川より顔を背け橋の上から立ち去ろうとしたのですが、「遠藤君、どうしたの?」、先の男の驚いた様子を気に掛けた他の見物人が、私が誰であるかを察し大声をあげたので、私は立ち往生を余儀なくされてしまいました。
「おい、太宰がいるぞ!」
「え、太宰って、あの太宰?」
「狂犬病の太宰?」
「あいつは泉さんの処に乗り込んだから、牢に放り込まれてる筈だぜ」
「否、違うんだ。太宰は泉さんのタマ、とりに行ってないんだよ。入ったと勘違いして、織田が乗り込んで、それで捕まったんだよ」
「それなら、自分を助けようとして捕まった織田を、今度は太宰が助けようとしてここに来たってこと?」
「そんな仁義を重んじるタマか? 太宰だぞ、太宰。きっと自分が種を巻いた癖に、織田の流刑を見物に来たんだよ」
「そこまで非道いヤツなのか?」
「らしいよ。茉莉さんがいってたもん。おやつを取り上げて食って、泣き叫ぶ我が子の顔を観てゲラゲラ笑うような悪魔なんだって。どういう事情で引受人になったかは知らないけど、織田はとんだ疫病神に取り憑かれたってことさ」
確かに生活不適合者の私は、妻や子供が暮らしていくのに必要な最低限の金すら取り上げ、それをカフエの酒代にしたり女給へのチップにあてたりということを娑婆では繰り返していました。が、我が子のおやつを取って食ったことは一度もない。ましてやそれで泣く子の姿を観てゲラゲラ笑うなど……。それでは只の異常者ではないか!
嗚呼、そこまで風評は非道いのか。私は橋の下で刑に処されている織田より、もはや橋の上の自身の方に皆の注目が集まっていることを悟り、逃げられぬ——観念をし、開き直るかのよう麦わら帽子を脱ぐと、声を張りました。(続く)
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