「NOVELS WARS」 #17- 嶽本野ばら -

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作家:嶽本野ばら先生による小説家講座「NOVELS WARS」番外編!野ばら先生の完全新作の短編小説「がんばれ太宰くん」。早くも第4回目となりました!ぜひご拝読ください!

このエッセイは小説が書きたい作家志望者にアドバイスをする熱血文章であり、僅か数分で、無名で荒廃している今の貴方を未来の芥川賞作家に仕立てる奇跡の技を余すところなく伝えるものであるのだが、実際にお手本がある方が良かろうと僕も新しい小説を読者への挑戦状と銘打ち、書くことにした。

(拍手と歓声が湧き上がり、)

ノベルズウォーズ番外編

(文豪村は冥界に入った作家達が住まう場所。太宰治は村で唯一の味方である織田作之助の恨みを晴らす為、自分が泉鏡花を手に掛けると彼に約束して飛び出した。されど勇気はなく……。思案にくれるそんな太宰の前に現れたのは——。)

がんばれ太宰くん

 死のうと思っていました——。
 よく考えれば、泉鏡花を刺すつもりだったと知れれば、織田への義理は立つものの、尾崎派の人間からはずっと睨まれ続けることになる。そもそも、私はこの冥界でも評判のすこぶる悪い者らしく、織田以外に擁護してくれる者なぞいない。尾崎派で葉隠という武装集団を発起した三島由紀夫は、娑婆で真っ向から貴方のことが嫌いだと私に申していた。多少なりと身体を鍛えればその不健全な魂がマシになろうものをとまで罵っていたヤツである。天敵といっても過言でない彼が、私の行状を知り、何の処置も施さぬ訳がない。
それならば、一番上手い方法は、世話になっている織田の顔も立てたい、でも尾崎派に楯突くつもりなぞ毛頭ない、だから狭間で苦悶し進退どちらともつけられず、自殺を選ぶことにしたと皆に理解して貰うポーズをすることではなかろうか? そういうのは慣れている。というかそういうのが、最も私の得意とする分野だ。身の丈に合わぬことは無理をせず、得意な部分を伸ばすのが一番好いことであると昔、老子も言っていた(否、多分、老子はそんなこといってはいないのだが、私はリアリティの為にすぐ、こういう嘘を吐いてしまう癖が、ある)。 
 織田の家から暫く行ったところに、橋が見えました。浅草に近い吾妻橋のような風情の橋だと私は思い、その方へとつと、進み出でる。これが吾妻橋であるのなら下を流れるは隅田川ということになる。実際、橋に差しかかると、下に河川があるのが判明したので私は更に想像を進めました。吾妻橋は江戸の頃、身投げの名所であったという。芝居などでもよく吾妻橋から飛び降りる場面が出てきます。本来、私は吾妻橋で入水自殺をするつもりでした。しかし女が嫌がったので多摩川となった。
 何故、嫌なのかを問うと女はいいました。「だって吾妻橋では、芝居の真似をして飛び込んだに違いない。死ぬ気なぞさらさらなかったのだよ、あの二人はといわれるに違やしないわ。成功しても失敗しても」。成功しても失敗しても……。失敗した時にそう思われると困るので私は、女の意見を聞き、吾妻橋を諦めたのでしたが、結局はあの入水で死んだのだから、吾妻橋でも構わなかった。その時に新聞連載していたのは『グッド・バイ』という小説でした。
 『グッド・バイ』を書いていた作家が吾妻橋で心中するという構想を私は気に入っていたのでした。多摩川も身投げをする者が多い川でしたが、遊女がその身をはかなんでという場合が多く、自分が入水する場所としては、少し違う気がしていました。それに多摩川の上水は流れが速く、ほぼ確実に溺死してしまう……。
 実際の吾妻橋がこのような橋だったかどうか、きちんと思い出そうとしても夢の中の出来事を追い掛けるようでどんどんと輪郭がぼやけていきます。恐らく冥界にある身の上、眼にする現象は全て抽象で、具体的な形象なぞ持ち合わせちゃいないのでしょう。私が吾妻橋だと思ったからその橋は吾妻橋に似ているだけのこと。
 でもそれならこの橋から飛び込んで入水自殺するつもりがあるなら、自殺も出来てしまうということになりはしないか? 織田はいいました。「Cogito,ergo sum——我、思う故に我ありの限界は娑婆もここも同じってことやね」。冥界に於いても入水で死のうと思えば死ねる。しかしそれは、失敗して助かると思えば助かるということでもある。多摩川でのように、失敗する筈だったのに死ぬという頓馬な結末だけは、ないということになる。
 私は腰の帯を解き、持っていた出刃包丁を包んで帯を巻き直したのだけれど、それでも何かの弾みで刃先が自分の腹に刺さると困るのでまた帯を解き、包丁を帯と共に足元に置きました。私がやってきたのとは反対方向から橋の方へとやってくる人影が、あった。それが近付くのを待ち、えいや! 私は着物をはだけたまま川に飛び込みました。
 暫くして眼が醒める。途切れていた意識が戻ったというべきか? 私は様々なものがとっちらかった貧しい書生の下宿の一室のような狭い部屋に敷かれた煎餅布団の上に、全裸でいた。
「起きたかい?」
 枕元で声がし、声の主が座したままで擦り寄ってきます。上半身裸に白褌の男は、度の強そうな黒縁の丸眼鏡越しに私の眼を覗き込み、自分の顔を密着するくらい私の顔に近付けてき、私の肩から胸、腹部へと右手を這わせ、撫で回すと、
「娑婆では多くの女と浮名を流したらしいが、男は初めてだったらしいね」
 耳許に囁きかけ、卑猥な笑みを浮かべました。私は飛び起き、あわわわわ……、小動物のように身を固くしました。今更、そうしても、手遅れなのは解っていたけれど。
 丸眼鏡の男は爆笑します。
「冗談さ。俺に衆道の趣味はない。川に落ちてずぶ濡れだったから着物を脱がし、寝かせておいてやっただけだよ、安心しろ」
 丸眼鏡の男——果たしてそれは、坂口安吾でした。そう、この人はこういう意地の悪い悪戯をよくする。娑婆の頃からそうだった。
「安吾さん……。否、安吾先輩、悪ふざけが過ぎますよ」
「せっかくお前を引き取ってやったのに、とんだ言い草だな」
 坂口安吾の話によれば、私が橋の向こうに認めた人影は、江戸川乱歩氏だったという。乱歩氏は私が橋から飛び降りたのを知ると、駆け寄り、川を見下ろし、おお、誰かが入水したようだと確認すると、引き返し、さっきまで会合を持っていた文壇村の公民館でまだ雑談に花を咲かせていた仲間の安吾達に知らせたのだといいます。そこにいたのは横溝正史、高木彬光、小栗虫太郎という探偵小説の作家達。
「乱歩さんは非道いよ。今しがた、橋から川に身投げした者を見た。しかし足を滑らせたのかもしれない。勘ぐれば誰かに突き落とされたのかもしれん。これから皆で現場に行って、それぞれの推理を競おうじゃないか——とおっしゃる。あの人は三度の飯より事件が好きなんだよな」
 公民館での集いは、探偵小説の好きな仲間でこしらえている探偵小説専門の『幻影』という同人誌の集いだったそう。乱歩氏に促され、安吾達は吾妻橋に向かった。川に落ちた者はどうなったのだろう?ということを案じる者はなく、皆、それぞれに自殺、事故、犯罪のいずれかを、喧々諤々、話し合うのに夢中であったといいます。
「現場、つまり橋の上に残されたのは男ものの兵児帯に巻かれた出刃包丁のみ。こりゃ犯罪に決まっていると、俺の仲間達は興奮しきり。冥界じゃ滅多にミステリアスな事件が起きないしね。残されたものが帯と出刃包丁——なら好奇心を抑えろという方が無理だ。この文豪村で俺達が普段抱える謎や推測なんて、鴎外の娘、茉莉さんが一番好きなお菓子は何かとか、武者小路実篤先生は集団農園で椎茸を栽培しているが、実はヤバいキノコも育ててるんじゃないかとか、ショボいものばっか。横溝なんて川下に水車小屋があり、それがギアとなって帯をからめていき、刃物がひとりでに飛び出し被害者を刺す仕掛けが施されていたと、無茶苦茶なことをいい始めるし」
「そういえば、坂口先輩、娑婆にいる時、探偵小説好きが高じて、探偵小説、書きましたよね」
「うん。でも俺は純粋な探偵小説家とはいえない。俺は言語が抱える構造的矛盾やトートロージーを使ってナゾナゾをこしらえることにしか興味が持てない。『幻影』の連中は根っから探偵ごっこが好きなんだよな。便所から戻る時間が長かっただけで、安吾失踪の謎、犯人は便器に扮して彼を待ち受け撲殺した後、何もなかったかのようまた便器の振りをして隠蔽工作を謀った……なぞ、奇妙な事件をすぐに捏ち上げちまう。
 だから俺は、推理合戦もいいですが、とりあえず川にある筈の死体を見つけるのが先じゃないですか? と真面目に提案してしまった。皆は入水者を見付けて万が一、無事だったら興醒めじゃんと渋ったけど、俺は探すことにした。太宰、お前は吾妻橋からほどない下流の土手の柳の木に引っかかっていたよ。帯は解いたものの着物が浮き輪代わりになり沈まずに流され、いい具合に木に助けられたようだね」
 『幻影』のメンバーは川に落ちたのが私と知ると、途端、「何だ、太宰か。つまらない」と解散してしまったらしいです。従い、安吾は仕方なく私を自宅に連れ帰った。
「大体の事情は察せられるよ。あれだろ、この前、お前を『冥界日日新聞』で紹介した織田を泉鏡花が『冥界バタビア』でおちょくった。それに織田が激昂し、織田の世話になっているお前としては泉を懲らしめてきますと威勢良く包丁を持って飛び出したはいいけれど、鏡花のいる尾崎派は大派閥、無茶なことも出来ず、さりとて、から手でも戻れず、そうだ、義理と人情の板挟みになって自殺した——正確には自殺しようとした——という既成事実をこしらえ、上手く立ち回ろうとしたんだろ。お前、セコいからなぁ。織田は騙せてもそんな小芝居、俺はすぐに看破するよ」
 ぐうの音も出ません。安吾は嫌な奴ですがすこぶる頭がキレます。大体、無頼派という言葉も、安吾が発案したもの。でも小説に関しては私の方が上手いと思うのです。安吾の文章は理屈が先立つ余り、どうもぎこちない。
「安吾さんも尾崎派閥なんですか?」
 訊くと、安吾はつまらなそうな表情で丸眼鏡を外し、レンズを褌の端で拭くとまた掛け直しました。
「仲は悪くないが、どうも俺は派閥ってものが性に合わんのさ。根っからの無頼。組織やしがらみってヤツが苦手だ。それに探偵小説の連中と遊んでる方が面白いからな。つまり無所属みたいなもんだ。織田は自分が『冥界日日新聞』の日曜版しか担当出来ないことに劣等感を抱いているようだが——だから『冥界バタビア』で泉鏡花にからかわれたのが余計、癪だったんだろうが——、俺は日曜版で自分の作ったクロスワードを載せて貰うくらいで丁度いい。作家なんてものは何処まで行ってもクズだろうがよ。名声を得ようと功績を残そうと、クズはクズ、ロクなもんじゃない。立派な人間が小説なんてものに命、賭けるかね? 真っ当な人間のやる仕事じゃないよ」
「そうですね」
 私が同意すると、安吾は付け足します。
「でもお前は人としても、小説家としてもクズ過ぎる」
 安吾は外に干していた私の着物を取りに行き、私に差し出してくれました。私は着物を羽織る。橋の上に置きざりにした帯も手渡されたのでそれで身なりを整えました。煎餅布団の上に坐り直すと、安吾は私が所持していた出刃包丁を眼前に放り出します。
「包丁は織田のなんだろ。返さないとな」
「坂口さん。暫く私をここに置いてはくれませんか? 織田の処には帰りにくい。この包丁がなくたって織田がさほど困ることはないでしょう」
 私は頼みましたが、安吾はいい返事をしませんでした。
「お前を匿うと、俺がハブにされちゃうじゃん。派閥や組織には無関心だが、俺だって尾崎派に疎まれるのは嫌だ。それに茉莉さんが滅法お前を排除したがっている。鴎外教皇を敵に回すようなことはしたくない。そういう勢力と俺が揉めると、乱歩さんをはじめ『幻影』の仲間にも迷惑が掛かる。探偵小説の作家は、この文豪村では肩身が狭いからね。嫌だ、無関係だと幾ら無頼を気取ろうと、文豪村に住む限り、俺も文豪村の歯車の一つであるは間違いない」
「じゃ、私は……」
「気の毒だが、文豪村の端っこで、こそっと生きていくしかないんじゃないか? 目立たずおとなしく暮らしていりゃ、誰も文句はいわんだろう」
「そうはいっても……」
 私が食い下がろうとすると、安吾は懐から書簡を出し、私に差し出しました。受け取り、裏返すと、そこには井伏鱒二——かつての師の署名がありました。
「井伏さんとは娑婆で、同人仲間だったことがあってね。自分が直接渡すのは皆の手前、問題があるからと、俺に託された。そのうち、俺ならお前に逢うだろうと見越してのことさ。井伏さんはお前の身の処し方を考えてくれている。娑婆であれだけ迷惑を掛けたのに、有り難いな、師匠ってヤツは」
 私は井伏鱒二からの手紙を開封しました。

 前略、太宰君——。君がようやく冥界入りし文豪村の住人になった知らせは聞きましたし、『冥界日日新聞』の文章も読みました。織田君の世話になっているそうですね。私すら引き受けなかった君の面倒をみてくれる織田君に感謝し、どうか織田君を困らせることはしないで下さい。私の切なる願いです。
 太宰君には極端なところがあります。最初、弟子にしてくれなければ自殺するという手紙を送って来られた時、私は本当に困りました。借金を頼まれる、女性関係の後始末を押し付けられる、パビナール中毒で廃人間近になった時は、君の郷里のご家族に泣きつかれ、強制入院させたこともありました。それで最後には、遺書に、井伏さんは悪い人だと書かれたのですから、全く非道い弟子を持ってしまったものです。
 私は佐藤春夫先生との縁故がありますから、尾崎紅葉氏の派閥には身を置かず、正岡子規先生を擁立する保守的なグループの構成員としてこの文豪村では過ごしております。君に何もしてやれないのは申し訳ない限りですが、子規先生は厳格なお方ですので、君を末席に加えることすら私には憚られる事情を察して貰えると幸いです。只、ずっと織田君の居候という訳にもいかぬでしょう。どうでしょうか、因果島で暮らしてみるのは? 文豪村の辺境に位置する一画ですが、ここには療養施設があり、幾許かの文人達が静かに冥界生活を送っています。私の知り合いである林芙美子さんもここで暮らしています。彼女は文豪村の気候が余り合わないらしく、娑婆でいうところの喘息が持病となり、因果島でしか暮らしていけません。君さえよければ、太宰君——、彼女の身の回りの世話をする者として因果島に定住しませんか? 都会の暮らしを好む君にとっては退屈な場所かもしれませんが、こういう場所で心を落ち着け、作品を書きながらこれからの悠久を過ごすのも悪くない選択だと思いますし、時が経てば徐々に君の印象もよくなっていくと思うのです。君さえ納得ならば、坂口君に移住の手続きを任せる段取りをとって貰えるよう整えてあります。
 太宰君、ここではさよならだけが人生ではありません。いつかまた逢えることこそが、冥界における真実です。
 追伸 川端さんだけは絶対に怒らせないように。(続く)







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Author Profile
嶽本野ばら
嶽本野ばら(たけもと・のばら)京都府出身。作家。
フリーペーパー「花形文化通信」編集者を経てその時に連載のエッセイ「それいぬ——正しい乙女になるために」を1998年に国書刊行会より上梓。
2000年に「ミシン」(小学館)で小説家デビュー。03年「エミリー」、04年「ロリヰタ。」が2年連続で三島由紀夫賞候補になる。
同年、「下妻物語」が映画化され話題に。最新作は2019年発売の「純潔」(新潮社)。
栗原茂美の新ブランド、Melody BasKetのストーリナビゲーターを務め、松本さちこ・絵/嶽本野ばら・文による「Book Melody BasKet」も発売。
新刊『お姫様と名建築』エスクナレッジ刊、絶賛発売中。
https://www.xknowledge.co.jp/book/9784767828893
公式twitter 
@MILKPUNKSEX

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https://ameblo.jp/dantarian2000/

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