このエッセイは小説が書きたい作家志望者にアドバイスをする熱血文章であり、僅か数分で、無名で荒廃している今の貴方を未来の芥川賞作家に仕立てる奇跡の技を余すところなく伝えるものであるのだが、実際にお手本がある方が良かろうと僕も新しい小説を読者への挑戦状と銘打ち、書くことにした。
(拍手と歓声が湧き上がり、)
ノベルズウォーズ番外編
(小説のタイトルは、『がんばれ太宰くん』にします。否、『文豪ストレイドックス』の人気にあやかろうとしたんじゃないんだって、ば!)
がんばれ太宰くん
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「カレー、不味ぅー」
と罵られるが耐えねなければ。私は文豪村では末端の新参者、織田の家に厄介になっている居候の分際ですから。
しかし、織田の求めるご飯とカレーを予め混ぜ、そこに生卵をのせるという珍妙な——彼が行きつけだった自由軒という洋食屋でのカレーがこうだったそうだ——メニューを食したことのない私が再現出来る筈もない。住まわせてやる代わり、メシくらいは作れと言われ、承諾をしたものの私は飯を炊く事すら自分でやった経験がない。それでもこのヒエラルキーに今は耐えます。悲しい哉、私は自殺者だから。
私達は死ぬと地獄か天国に行くのだと教えられていた。しかしそんなものは、ありませんでした。但し、死んだなら、一定期間、何処にも行方を定められず、幽閉されます。あらゆる感覚がない、闇すら感知やれず、自分というものが存在しているのかいないのかすらはっきりせぬ場所での留置を余儀無くされる。そこでは時間も認識するがかなわない。
ようやくそこを出たならば、朧げ、生前の触感に似たものが戻ってきました。ぼうっと眼前に葦林のようなものが映り、分け入って進んでみれば霧の向こうの人影が、私の名を呼びました。
「太宰君、太宰君やね?」
「ええ」
近付くとその顔に覚えがありました。私が自殺する数年前、結核で死んだ織田作之助でした。同じく無頼派と呼ばれたが大阪を拠点にしていた織田とは数度、ちらりと顔を合わせた程度の面識しかないが、私より3つ、4つ年下だったように思う。それが「太宰君」とは失敬。私は多少、気を悪くしたがこれも冥界での慣わし、ここでは生前どうだったかはあてにならず、先に来た者が先輩であり後輩は絶対の服従の掟が徹底しているのでした。
そういう法を先輩が後輩に教える。冥界に入った私の指南役が、つまり織田でした。
織田は「久し振りですね」と人懐っこい笑顔を最初は見せたけれど、その後、私が「ああ」と頷くと途端に語調を軍体調に改め「そういう返事はダメ。先人には、はい——敬語や」鋭い目付きで私を戒めました。
「誰も太宰君の世話係になりたがらん。仕方なし、僕がすることにした。生前、太宰君、いろんな人と揉め事を起こしたやろ。志賀さんなんてあんな奴、文豪村に入れるなって今も怒ってはるよ。擁護する人は皆無。師匠の井伏さんにせよ、君の肩を持ってはくれへん。太宰君、死ぬ前に井伏さんの悪口も書きまくってたやろ」
織田の話に拠れば、病気や事故などで死んだ場合、冥界に入るまでの期間は、娑婆で換算すれば47日間と短いが、自殺や、人を殺して逃走、追われて銃殺というような場合、冥界の手前で長く留めおかれるが通例という。私の場合は自殺の中でもとりわけ罪があるとされる心中を企て、更に自殺未遂の前科もあり、非常に長い期間、冥界に入れなかったのだそうだ。その間に志賀直哉も私の師匠である井伏鱒二も冥界に先に入り文豪村の住人となった。
「井伏さんなんぞは、長生きやったから、ここに住みだしたのはついこの前や。最初は、え? 太宰は来てへんの……案じておられたが、自殺者はなかなか冥界に入れぬ仕来たりを聞かされると、因果応報と納得なさった。内心じゃ君の身元引受けをしてもいいと考えはったやろうが、井伏さんとはいえまだ新入りやし。先輩方への気兼ねを欠かす訳にはいかへん。生前、師匠やった佐藤さんにせよ、そこそこ長生きして、まだ大きな影響力を持たん。その先生筋にあたる永井さんにせよ、序の口を上がったくらいの順列。僕よりも下になるしね。佐藤さんはお父さんの縁故を頼って正岡さんの派閥に入りゃ、新参とはいえもう少し大きな顔も出来るけど、それはお嫌らしい。どうにも頑固や。あと少しここで暮らせば、郷にいれば剛に従えのルールに馴染んで、角も取れてくるやろうけど」
佐藤さんは佐藤春夫、永井さんは永井荷風、正岡さんとは正岡子規のことでした。
「織田君——否、織田先輩より下なんだったら、佐藤、永井って呼び捨てにすればいいじゃないですか」
「生前の関係性があるから、実際に佐藤さんや永井さんを呼び捨てにはやれんさ。只、会合や公の場では呼び捨て。その辺りをきちんとしないと娑婆よりこっちではハブかれちゃう。太宰君も、気をつけなあかんよ。今の風紀委員、厳しいから」
「誰がやってるんですか?」
「井原先生」
井原西鶴だそうです。そんな人がまだ風紀委員を務めているのだから、そりゃ昭和に死んだ人間なぞ、まだまだ新参、肩身が狭いに違いない。
「井原先生やら近松先生クラスは、僕らのことなぞ歯牙にも掛けん、顔も覚えて貰えん訳やが、僕らの風紀が悪いと彼らはその上の先輩に叱咤される。松尾師匠とか、すごく礼節に厳しいし」
「松尾——芭蕉?」
「当然。身分制度が厳格だった頃の人達やしね、僕らがどれだけ丁寧にやろうと最近の若い文人は……と小言を食らうのは、仕方ないわ」
私の少し前に冥界の文豪村の住人として加わったのは、三島由紀夫らしい。私は先に死んでしまったので知らなかったが、彼も自死を遂げたが故、結構長く留置処置がなされたそうです。川端康成も三島が自殺する数年後に自死したそうですが、三島より早く冥界に入ったそう。自死とはいえかなりの高齢でそれをなしたので、ほぼ病死と扱われたのだろうと、織田は話してくれました。
「川端さんとかは新参だけど昭和世代の中ではやっぱり一目置かれてる。こっちの住人になって早々、三島の請負も任されたし。先に来た澁澤っていう男が三島のシンパで、こっちでの三島の処遇に就いてあれこれ画策したみたいや。表向きは尾崎——紅葉さんがボスの組織にしてあるけど、既に川端組みたいなものが出来ていて、構成員も多い。僕はよく知らんが、中井という俳句も小説も器用な男が、広報としてこまめに回覧板を回してるから結束力もハンパない。でも一番は若頭の統制力やろうね。縦の規律にとてもうるさい人やから、尾崎派は、大所帯でも破綻せえへん」
「若頭、誰がやってるんです?」
「紅葉さんを御輿に担ぐなんて、泉鏡花しかおらんやろ」
「なるほどです」
と私は織田が、泉鏡花のみ呼び捨てにしたことを聞き逃しませんでした。生前より私はそういうことに、敏感な人間でした。
「織田先輩、泉さんと何かありました?」
「否、別に——」
織田は口籠もりつつ、私にこう告げます。
「悪い人じゃないとは思う。でもとにかく神経質なんや。鍋の後、雑炊作りますと言ったら下品だって怒るし——それに」
「それに?」
「自由軒のカレーの話をしたら、気持ち悪いって顔をしかめたんやで。流石、大阪の人ですねとか言いよる。自分やって石川の田舎者やんけ」
この時、まだ私は織田の拘る自由軒のカレーがどのようなものなのか一向に知らなかったのですが、作らされて得心しました。泉鏡花と織田作之助ではそりゃ、食の嗜好は合わないでしょう。
「太宰なら解るよなぁ。鍋の後の雑炊は至高やって。だってずっと、きりたんぽを食って育ったんやから」
「きりたんぽは秋田ですよ」
「太宰って秋田やろ?」
「青森です」
「同じやん、青森も秋田も」
私はこの時、織田に言い知れぬ殺意の情を覚えてしまったのでした。忘れやしません。直接、バカにされた訳ではないが、明らかに織田は私を侮辱した。泉鏡花が彼にしたそれ以上にあけすけな見下しを。ですが、私は我慢するよりないのです。冥界、文豪村での私の寄る辺は彼より他、あらぬのですから。(続く)
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