「NOVELS WARS」 #7- 嶽本野ばら -

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文学にとって、テーマやモチーフより大切なもの。それは・・・。大好評!嶽本野ばら先生による小説家講座第7回!

このエッセイは小説が書きたい作家志望者にアドバイスをする熱血文章である。日本文学界に於いて全く受賞歴のなかった僕が、僅か数分で、無名で荒廃している今の貴方を未来の芥川賞作家に仕立てる奇跡の技を余すところなく伝えるものである。

(オープニングテーマのイントロが鳴り、)

ノベルズウォーズ

(タイトルの後、廊下で偏頭痛に苦しむ女が無農薬オンリーの喫茶店を開業していたならば……)

第7回
  嵐のアップルパイ


(——サブタイトルが入ります)

 尾崎翠という人がいます。近代文学に於いて外せない作家、しかし教科書に登場する人ではないので、略歴を書いておきます。
 1896年、鳥取県で生まれる。女学生として1912年辺りから、『女子文壇』や『文章世界』などを読み始める。父親が急逝したので、補習科を卒業した1914年より小学校の代用教員として働き始める。それと共に『文章世界』に投稿、短歌が掲載になり、散文欄に『朝』が入賞、同じく投稿作家であった吉屋信子と共に注目され始める。1916年、『新潮』に『夏逝くころ』を発表。作家の道を進む契機を得る。1917年、教職を辞し上京、東大生の兄の下宿に身を寄せる。少女雑誌に作品を発表しながら翌年1918年、日本女子大学に入学。1920年、『新潮』に『無風地帯から』を発表。しかし学生の分際でそんなことをしちゃダメと怒られ、退学に至る。仕方なく帰郷する。
 以降、鳥取と東京を往復しながら作品を発表。1929年には戯曲『アップルパイの午後』、1932年には『地下室アントンの一夜』、『こほろぎ嬢』を発表。文壇で頭角を現す。特に「ゐいあむ・しやぶる」という詩人のことを図書館に通い調べ始める“こほろぎ嬢”を主人公にした一風変わった私小説『こほろぎ嬢』は太宰治を絶賛させた。
 が、1920年頃から頭痛を抑える為に用いていた薬の副作用により、心身に異変をきたすが多くなり、幻覚すらみるようになったので、鳥取に連れ戻される。以降は地元新聞に文章を発表するなどしていたが、1941年を最後に事実上、文壇から消息を絶つ。
 現在、翠の代表作として最も知られる作品『第七官界彷徨』は1931年に前半部が掲載、郷里に戻った翌年である1933年に単行本化されたものですが、一般の評価は1958年の巌谷大四が当時の新鋭、大江健三郎らへの評論として引き合いに出すまで待たねばなりませんでした。これにより忘れられた作家、尾崎翠は再び注目を浴びますが、取材や寄稿依頼は頑なに拒みました。1971年、鳥取生協病院にて死去。享年74歳でした。
 かなり紙幅を割きましたが、こうして辿ればこの人が充分に活動出来た期間は多く捉えても約10年であったが瞭然とします。実質は3年間くらいでしょう。
 でもっていよいよこれから売れるぞ!という矢先、大きく精神を病み消えてしまう。
 貴方は翠のことを不運と思うやもしれません。でも作家の9割がこんな感じなのですよ。音楽やテレビの世界でも僕らは常に勝ち残っている人しか眼にしないから、数年で姿を消した者を思い出す時、結局、才能が足りなかった……と納得するのですが、異常なのは勝ち続けている1割の人達の方です。
 この1割は才能ではなく世渡りの上手さで生き残るのです。

 文体論に戻りますが、尾崎翠は決していい文体の作家ではありません。引退が早過ぎて、文体を確立しないまま書くのを辞めてしまった作家かもしれないとすら思えます。でも一言一句、尾崎翠ではない言葉は、彼女の作品の中に出てこないのです。
 タイトルから察せられるでしょう。何だよ、『アップルパイの午後』って! 自宅を改装し無農薬素材のみで喫茶店を始めるPINKHOUSE好きのオバさんが考案するメニューみたいです。今の時代からみれば——ではない。当時だって恥ずかしい、少女趣味全開ですよ。『こほろぎ嬢』だって自分をコオロギに譬えちゃうヤバさ、ウルトラ少女趣味。主人公には一応名前が付いておるのですがね、地味でイケてない彼女の名は何と、小野町子! 小野小町をモジるセンスの悪さ! 謎の詩人の名が「ゐいあむ・しやぶる」ってのも厨二病っぽくってダサダサですよね。しかしこれが尾崎翠のコアなのです。
 巌谷大四さん、大江健三郎と比較しちゃいけませんよ。尾崎翠は早過ぎた大島弓子なんです。少女漫画の原点です。人として男性としては最低ですが、女子としては一級の太宰先生が、だから、絶賛するは当然です。
 文体はスタイル(style)と捉えるのが一般的ですが僕はフォルム(form)とした方が現実的だろうと考えます。
 スタイルは主義です。フォルムは形です。両方ある人もいれば片方しかない人もいる。純文学はスタイルで、尾崎翠がそれにどれだけ頓着したかは不明です。しかし意識しようがしまいが彼女には確固たるフォルムがあった。アップルパイを午後にしてしまい、自らをコオロギとし、小野小町を小野町子とアナグラムする少女趣味のフォルム! 多分、編集者が「尾崎さん、この名前、ヒネりなさ過ぎなんで小野マキコ——くらいに変えませんか?」願ったって翠は首を縦に振らない。翠にとって、こほろぎ嬢=小野町子は絶対に変更出来ないフォルムなのですから。
 吉屋信子は登場させるのに、僕はこれまで尾崎翠を語らずにいました。ライバル意識を持ってしまうからです。負けちゃうかも……唯一思わせる作家が翠なのです。郷里に籠ってからメディアを遠ざけた理由は諸説あるようですが、もし彼女が自分が抱える少女という水晶の中に、ある時期から白いかげりのようなものを見出していたとしたなら、書くことはもう、赦されなかった。
 小野マキコでも悪くはないとの妥協が一瞬でも過ぎった瞬間、小野町子は消えてしまうのです。Jane MarpleやBABY,でなくユニクロを着せてしまった時、もう僕に女子が書けなくなってしまうように……。
 尾崎翠は多くの読者を持ちません。しかし何時の時代も尾崎翠に感化される読者がいます。アップルパイは午後でなければならないと思う人がいるのです。  その絶対のフォルムこそが、テーマやモチーフよりも大切。少なくとも僕はそう文学に就いて考えています。







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Author Profile
嶽本野ばら
嶽本野ばら(たけもと・のばら)京都府出身。作家。
フリーペーパー「花形文化通信」編集者を経てその時に連載のエッセイ「それいぬ——正しい乙女になるために」を1998年に国書刊行会より上梓。
2000年に「ミシン」(小学館)で小説家デビュー。03年「エミリー」、04年「ロリヰタ。」が2年連続で三島由紀夫賞候補になる。
同年、「下妻物語」が映画化され話題に。最新作は2019年発売の「純潔」(新潮社)。
栗原茂美の新ブランド、Melody BasKetのストーリナビゲーターを務め、松本さちこ・絵/嶽本野ばら・文による「Book Melody BasKet」も発売。
新刊『お姫様と名建築』エスクナレッジ刊、絶賛発売中。
https://www.xknowledge.co.jp/book/9784767828893
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