このエッセイは小説が書きたい作家志望者にアドバイスをする熱血文章である。日本文学界に於いて全く受賞歴のなかった僕が、僅か数分で、無名で荒廃している今の貴方を未来の芥川賞作家に仕立てる奇跡の技を余すところなく伝えるものである。
(オープニングテーマのイントロが鳴り、)
ノベルズウォーズ
(タイトルの後、病床で下駄のような顔をした男が喀血をしたならば……)
第4回
ブ男の戦端>
(——サブタイトルが入ります)
作家という職業——または肩書きは、やはりカッコいいのかなと、最近になって思います。売れなくなってから、腑に落ちる。
食べていけなくとも、俺の書いたものは世俗には理解やれぬと言い張れば威張っていられるし、一作しか発表しないまま10年以上過ぎていても、文学なんてものはそう易々と完成するものではない、したり顔で述べておれば、なるほどそういうものですか、奥が深いですなと頷いて貰えます。
音楽家やダンサーではそうはいかない。このダンスは100年後に認められると確信していても、本当にそんなスゴいダンスだったとしても、大道で踊っていて下手糞、と石を投げられている姿はカッコ悪い。
先人に宮沢賢治のよう、生前まるで認められなかったけど後世、評価されたような人がいるので助かりますよ。森茉莉なんぞは54歳で初めてエッセイ集を発表し、10年掛かりで『甘い蜜の部屋』を完成させたのですしね(そんなものだからお二人共実家はお金持ちなのにとても貧乏でした。でも作家って貧乏が似合うんですよね。それがまたカッコいい。今日、食うものがないので着物を売りに行った——とか書かれると、キュンとくるではありませんか!)。
川端先生には独自の自然主義の解釈があったと書きましたが、日本では近代、私小説が流行しました。貴方とて近代文学といえば私小説のイメージでしょう。自分の日常をダラダラと書く、それが自然主義という最先端と認識してしまったのですね。読まされて面白い訳がない。小説を読むの苦手、という人は純文学に触れる時、最初にそういうのを読んでしまったのではないでしょうか?
僕も私小説の手法を多く用います。だけどねぇ、嘘ばっか書いてますよ。ブログにすら嘘を書きますから、この前も、お兄ちゃんの記事、読んで目頭が熱くなった——妹にいわれ、後ろめたい気持ちで一杯になりました。
太宰先生はいいます。
「たった一行の真実を言いたいばかりに百頁の雰囲気をこしらえてる」——そうなのです、悪気の虚言ではない。嘘を吐かないと本当のことが書けないのですよ。太宰先生は兄からいわれたことにしておられますが、これも作り話でせう。
私小説の作家というと、僕は梶井基次郎を思い出します。『檸檬』の人ですね。病身であり借金取りにも追われている私は、下宿を転々としながら或る日、寺町通りの果物屋でレモンを買った後、丸善に行き本棚にそのレモンを置いて帰ってきた。レモンが時限爆弾のように思え、私は爽快な気持ちになった——というだけの出来事を綴った短いお話なのですが、近代文学史上屈指の名作とされています。多分、貴方もお読みになったことがおありでしょう。
面白かったですか? つまんないですよねー。梶井基次郎は大体が私小説で、他も同様、つまんないんですよ。並び称される『冬の蝿』も部屋の中で空の牛乳瓶に入ってそのまま脱出適わず死んじゃた蝿がいましたよ——というだけの話ですし。嘘の吐き方が平凡なんです。カフカだったらきっとこう書きますね。「或る日、私は牛乳瓶の中で一匹の蝿になっていた。本当はレモンになりたかったのに……」。
それでも梶井基次郎は人気があるのです。特に女子に好まれる。肺を病み、学生時代は放蕩三昧、やがて湯河原で療養生活、そこで執筆もしていたらしいのですが、32歳の若さで死んだ——というプロフィールがね、作家然としてカッコいいんです。誰でも自殺はやれますけど、中々、肺結核に罹り若死なぞ出来ない。それに加え、梶井基次郎は、不細工なんですよ。下駄みたいな顔をしている。このギャップがいいんです。下駄みたいな顔の癖に、面白くもない、でも書店の本の上にレモンを置いて、黄金色に輝く爆弾だとかロマンティックなことを書いている——喀血しながら書いている、そして死んじゃう——。萌え要素満載じゃないですか!
新撰組の沖田総司みたく喀血の耽美は本来、美青年にのみ許されるものなのですが、小説家に限っては不細工でもいいんです。否、不細工である方が却って様になる。島田雅彦のような美形男子が原稿を書きつつ、ゴボゴボ咳をして血を吐いていたら、それこそ嘘吐け、血糊か何かを仕込み、モテる為に演出を企てているのだろう、誰もが訝ってしまうでせう。
兄に一行の真実の為に百頁の雰囲気をこしらえてるといわれた太宰先生は、その後、こう応えます。「ほんとうに、言葉は短いほどよい。それだけで、信じさせることができるならば」……言葉だけでは完成しないので太宰先生は自殺し、三島さんは身体をムキムキに鍛えた。文は人なりなる諺がありますが、作家の場合、文章が人となりを表すのではないのですよ。文章をリアルにする為、己の生き様を同化させていくのですよ。それがプロってもんです。
ですから、僕はつい、穿ち過ぎてしまう。梶井基次郎、自分に余り才能がないのを承知していて親兄弟すら騙し、結核のフリをしていたのではなかろうかと。それくらいの詐欺師でなけりゃ小説家として後世に名は遺せないってことです。ここだけの話、太宰先生ってお酒が一滴も飲めなかったらしいですよ。いきつけのバーでウイスキーをボトルキープし、中味を麦茶に入れ替えて飲んでいた。誰にもいっちゃ駄目ですよ。だって嘘なんだもの……。嗚呼、僕は作家で良かったなぁ!
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