このエッセイは小説が書きたい作家志望者にアドバイスをする熱血文章である。日本文学界に於いて全く受賞歴のなかった僕が、僅か数分で、無名で荒廃している今の貴方を未来の芥川賞作家に仕立てる奇跡の技を余すところなく伝えるものである。
(オープニングテーマのイントロが鳴り、)
ノベルズウォーズ
(タイトルの後、廊下でガス菅をくわえている白髪のジジイが死に至ったならば……)
第3回
川端康成の美少女>
(——サブタイトルが入ります)
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。——川端康成の『雪国』程に有名な書き出しはありません。
作家の技量は如何に最初の一文で読み手の心を鷲掴むかに掛かっております。流石、文豪!と叫びたくなりますが、実はこれがスゴいのではない。後に、夜の底が白くなった。——とくるので、スゴいのです。
川端先生としては、夜の底が白い——という表現を成立させたかった。でもいきなし、夜の底は白い——と書いてしまうと訳が解らないので、国境の長いトンネル……を先に入れておられるのです。
文章を書く上で大事な点ですね。主張を認めて貰おうとする場合、いきなしでは駄目。
納得して貰えるに至るロジックを提出しておく。唐突に街で「セックスさせて下さい」と頼まれたら誰でも断ります。「私はコンドームを沢山所持しています。だからセックスさせて下さい」くらいはいって頂きたい。コンドームを沢山持っていることがセックスを承諾する理由とはならないのですが、脳味噌はヘッポコなので、筋が通っているように思えればそれを正論と認識してしまいます。
『雪国』だってもし——汽車が雪国に入った。夜の底が……なら凡庸になってしまう。夜の底が……を納得させられるだけの論理のボリュームが欲しい。国境の……は多くも少なくもなく、的確な表現のボリュームです。これを見極めてあるのが名文の所以。
近代文学の難問は自然主義をどう捉えるか? にありました。鎖国が解けてまだ間もない時分、日本の知識人達は西洋文化の概要を掴むことにすら四苦八苦しました。
どうも海外では自然主義文学ちゅうもんが新しい流れらしいぞ、というのが解っても自然主義が何なのかが不明。でもって美化しないで書くという自然主義を、悪い部分も書く、と解釈し、更に、駄目な部分のみ書く、と曲解してしまった。田山花袋さんなんぞがそうですね。好きな女子の残り香の付いたお布団の匂いを嗅いでいる変態の私——を暴露するのが自然主義だと思ってしまった。
後期の『古都』の抽象絵画に触れる見解などからしても、川端先生の場合、自然主義を直感で理解していたと思われる節があります。そして独自に自然主義を取り入れる手法として編み出したのが『雪国』に代表されるような文体なのだと思います。
お読みになった方はお解りでしょうが、この小説、ラストがブチっと唐突、ゴダールの映画みたく、切れて終わるのです。ハードボイルドの文体という方が解りよいかもしれません。なので翻訳でも大意が伝わりやすい。ノーベル文学賞を貰えたカラクリは案外、そんな部分にあったのではと僕は邪推します。
作家は二種類います。作品タイトルで判断がやれる。気の利いたタイトルを付ける人とそうでない人。川端先生の作品タイトルなんて気が利かないったらありゃしない。
雪国の話だから『雪国』。伊豆旅行で出逢った踊り子との話だから『伊豆の踊り子』、そのまんまです。三島由紀夫なんぞもこっちですね。金閣寺の話だから『金閣寺』。
一方、気の利いたタイトルを付けるのに特化する作家もいます。太宰治が顕著な例で、わざわざ処女作品集に『晩年』と命名する。夏目漱石も気の利くタイトル派ですよ。『こころ』——直球過ぎて却って斬新じゃありませんか。現代ならばハルキ先生も気の利いたタイトル派ですよね。『風の歌を聴け』とか『羊をめぐる冒険』とか。
どっちがいいではなく、作家の資質が影響するのだと思います。僕は気が利かない派です。主人公の名前がミシンだから『ミシン』、下妻での話だから『下妻物語』。考えるのが面倒なんです。長編No.5とかで赦して貰えないか、何時も思います。タイトルを考えるのは、下手だし苦手です。
川端康成の特徴でもう一つ見過ごせないのが女性の扱い方です。
川端作品に出てくる女性って大体が、少しバカ——というか愚か、なんですよ。
最初、僕はそれが気に入らなくこの人は古風だからか、男尊女卑の傾向が強いと腹を立てていたのですが、よく考えてると、これだけ透徹な悟性で小説を書く人が、女は男よりバカ——と思い込んでいる筈がないのです。実際、川端先生は岡本かの子の才能に気付き、彼女を文壇に押し出す手助けをしたりしておられますし、どうも裏がある。
川端先生は小説を書くには、コントラストとして男と女を用いるのが一番有効だろうと考え、女性に“世俗”の役目をお与えになったのではないでしょうか? 愚かに映るのは、従い、女ではなく僕達が抱える世俗、通俗性。
川端先生はそれを唾棄もしないし崇めもしない。唾棄すべきこともあれば崇める場合もある——ものとして捉えている(否、どっちかというと唾棄してるかな)。これも川端先生、独特の自然主義の導入がもたらす作風なのでしょう。
僕はもう52歳ですが、この歳になって得なのは、自分よか立派でも年下なら悪口をいって構わぬ道理が発生することです。ノーベル文学賞受賞は69歳なれど対象である『雪国』を完結させたのは川端先生、48歳の出来事。ならもう僕は『雪国』をどう批評しようと無礼にならないのです。男尊女卑ならぬ年功序列至上主義。
なるほど——。頷くなら、これが納得して貰うに至るロジックですよ。筋なんて実は通っちゃおらない。貴方の脳味噌、ヘッポコですよ。
国境の長い迷路に彷徨い、白くなった髪の老人が差し出す、夜の雪国まいたけです。
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