「はぐれ者の小唄 」3回目- 小林早代子 -

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「くたばれ地下アイドル」の著者で、小説家として活躍する小林早代子氏の書下ろしショートストーリーの連載第三回目です。せかいいち自由で、いちばん正しい夏のお話。



入学して最初の夏がやってきた。
その夏は、ロシアのエレーナ・イシンバエワが女子として初めて5メートルを跳んだ夏だった。そのニュースを知ったじーさんは自分の孫のことのように喜んで、「エレーナちゃんがよくやったんだよー。快挙だよ快挙」と喜び余って逆立ちしながら部員たちに報告した。
「去年のオリンピックでは澤野大地くんが決勝に進出したしね。これは日本人だと20年ぶり。いいねいいねー、いい感じだねー。棒高跳びは日本でもこれからどんどん流行るよー大流行だよ」
エレーナちゃんとか大地くんとかまるで同じ部員のような物言いをするので、僕たちもつられて景気のいい気持ちになり、何となく盛り上がった。でも、もし本当に棒高跳びが大流行したら、へそまがりの部員たちはたちまちこの競技への関心を失うだろうと思った。

なんにせよ、夏だった。小学生時代の夏といえば、ミニバスクラブで倒れそうになるまで灼熱の体育館を走らされる夏だった、合宿所で大量のめしを食わされ、全部食っても吐くし残しても罰として倍走らされて吐く、それが夏だった。吐き気と汗でずっと朦朧としていた。が、しかし、青空のしたの、僕ら陸上部の夏といったら……。

夏は部員とじーさんを、より一層自由に、開放的にした。夏休み中の練習は平日の8時半から12時までと一応決められてはいたが、だいたいみんな9時ごろに集まり出して、ランニングという名目で校外をのんびり散歩したあとは、気まぐれに走ってみたり跳んでみたり小屋に引っ込んで遊んでみたりと思い思いにすごした。
テニス部が試合でいないと見るやコートに忍び込んで大バドミントン大会を行ったこともあった。じーさんと鞠子のペアが健闘していた。
水道の水をまき散らかすのは、いたずらにもならない日常で、夏は常に水遊びをしていたような覚えがある。水を無駄にして、空がうつるほどの水たまりをつくっても、気づいたら乾いていた、夏だった。
そして11時近くにもなれば誰からともなくプールに飛び込んだ。じーさんが体育科の主任ということもあり、水泳部のないうちの学校では、休み中のプールは僕たち陸上部のものだった。そのかわりに定期的に清掃するという任務を与えられていたが、そのプール掃除すら楽しかった。
じーさんは、水中トレーニングは効果的だと言って、僕らの水遊びを推奨した。ハナから服のしたに水着を着て部活に来ているやつもいた。プールでひとしきり遊んだ後は、靴をはくのも面倒くさくて、靴を前かごに放り込み、裸足で自転車を漕いで家まで帰った。水からあがっただるさのなか、素足でペダルを踏む感覚が、今でも生々しく足の裏に蘇ってくる。
自転車通学は、本来は家が遠い生徒にのみ許されていた。僕の家は学校まで10分足らずで、当然許可はおりていなかったが、10分歩くことが当時の僕にはどうしようもなくじれったく、しょっちゅう自転車で通学していた。隠れて自転車通学することは「かくチャリ」と呼ばれていて、つまり僕はかくチャリの常習犯のかくチャリ野郎だった。かくチャリが教師に見つかるといったん自転車を置きに帰宅させられることになるが、夏休み中は授業期間よりずっと教師に見つかる確率が低く、運試しのような気持ちで毎朝自転車に乗って家を出た。だってプールに入った後ちんたら歩くだるさと、自転車をこいで浴びる風はくらべるべくもない。部員たちはすっかり日焼けしていた。僕の背はぐいぐい伸びていた。自転車の荷台にはたいてい鞠子が乗っていた。汗のにおいを塩素にぬりかえた僕らは、そのまま公園に行った、図書館に行った、ドン・キホーテに行った、僕の家に行った。よくばあちゃんの茹でた素麺を鞠子と食べたが、素麺はいくら食べても食べた気がしないから嫌いだった。大人たちは鞠子をすごくかわいがるか忌避するかのどちらかだったが、僕の家族は鞠子をいたく気にいたようだったのでほっとした。ばあちゃんも母さんも、あんなに器量好しで頭の回転が速い子はいないとしきりに褒めた。

意思とは無関係に日に日に手足がのびていく一方で、夏を満喫している僕の記録は一向にのびなかった。
早くも僕は勝てなくなっていた。気づけば、市大会で100メートル走に出場しても、優勝どころか準決勝に進むことすら難しくなっていた。
僕が最初の大会で優勝できたのは、ミニバスクラブでしごかれていた貯金にすぎなかった。それぞれの中学で顧問や先輩のしたで厳しい練習を重ねているやつらは、僕のことをほんの数カ月ですっと追い抜いていった。
追い抜かれるのは一瞬でも、追いつくことを思うと途方にくれてしまった。
だから僕は走るのをやめた。勝てないなら走りたくなかった。おもしろくなかった。なにごとも勝てるから気持ちいいのであって……。

走るのをやめても、部活には毎日行った。ほかの部員たちと同じように、集合時間より遅れて集まって、校外に出て歌いながら散歩した。鞠子はそこらの野菜をもぎっては一口かじって投げ捨てた。この野菜泥棒、と咎めるように言うと、鞠子は「野菜泥棒じゃない。私は夏野菜泥棒なの」と誇らしげに言った。小屋で鞠子から借りた本を読み、いつも小屋にこもってギタレレを弾いているミキにはFコードの押さえ方を教えてもらった。最初は違う星の生き物のように思えた部員たちと、くだらない話でいつまでも笑えた。本気でへびじゃんけんもした。鞠子以外と口をきくのはつまらないと思っていたが、ヤンキーのリュウタロウも、底抜けに明るいフィリピンハーフのマーヤも、人形集めに心血を注いでいるカズヤも、みんなそれぞれおもしろかった。部員たちといると、何でだよ! の連続だったし、全員が僕の想定の範囲外をいった。
僕がケラケラ笑いながら部員たちと歩いていると、バスケ部の連中は軽蔑するような目でこちらを見た。それがむしろ心地よく、僕ももしかしたらはぐれ者の素質があったのかもしれないと思った。
校外を散歩しているときに犬を見つけると全員足をとめ、何十分も犬をかまった。僕はそれを遠巻きに見ていた。リュウタロウに、ケンジ、いぬ嫌いなの? と聞かれ、いや、嫌いじゃないけど、なんか……息荒いじゃん、犬って、と答えた。リュウタロウは、目をまんまるくしてこちらを見て、まじまじと、「ケンジって、へんなやつだなー」と言った。
「へんかな」
「うん。すっごくへんと思う。俺、いぬが息荒いとか、考えたことなかった。ケンジ、けっこうへんなやつだよな」
「へんかな、俺」
「へんだよ」
「つか、お前も結構息荒いよな。きらいかもしれん」
あははっ! 嫌われたー! へんなやつに! とリュウタロウは目を細めて笑った。そのとき、なんだかすごく、じんわりと、陸上部に入ってよかったなーと思ったのだった。

じいさんは、「ケンジくんは本当にいい顔で笑うようになったねえ」と言った。面映ゆい気持ちになる一方で、いまだに僕を陸上部のエースとして扱うじいさんに引け目を感じ、ちょっとうっとうしく思うこともあった。
じいさんはめっきり走らなくなった僕に、次の試合はどの種目に出たいかと尋ねた。
「陸上はこんなにいろいろ種目があるんだよ、どれでもいいよ。めっきり背が伸びたから走高跳なんかもいいだろうし。ケンジくんならどれに出たって活躍できるよ」
入部前は、バスケ以外の何を始めても成功できる気がした。でも今は、どの種目にも出たくなかった。ほかの部員たちは、気まぐれに種目を選んで出場してはほかの学校の生徒から白い目で見られるような記録を残してへらへら帰ってきたが、そんな出方はしたくなかった。勝てない種目に出たくなかった。じいさん、なんにもしたくないよ、おれ……。

秋うまれの僕、もうすぐ13さい、夏、走ることも跳ぶこともしたくなかった。おそらくもう二度と市大会で一等をとるのはできないという実感が、時間をかけて僕のからだにしみこんでいった。遠く離れていった今になって、優勝したあの瞬間が、とうとく得難い一瞬だったことを知る。
レク部の慣習に飲まれてトレーニングをサボってしまったった数ヶ月くらい、その後の努力次第で取り返せたのかもしれない。またいちばんになることもできたのかもしれない。でもそんなこと到底不可能に思えた。僕は、準決勝敗退という直近の成績に、実のところ、深く傷ついていたのだ。

夏休み、ほかの運動部は練習に精を出していた。一本! 一本! という掛け声と、シューズが床とこすれる音の響く体育館、ラケットがボールを飛ばす乾いた音、そういう熱気が学校中を包んでいた。僕はその全てを、吹奏楽部が鳴らす間の抜けたトランペットの音すら、ばかばかしいと思っていた。どんなにがんばってもぎりぎり県大会にはいけないこの冴えない中学のあらゆる部活動について、熱心な部活の順に愚かだと思っていた。
毎日かくチャリして学校まで行ってセミ捕まえて夏野菜ぬすんで食って、飽きたらさっさとプールに飛び込んだ。あーなんかもうプール入りてえ〜! と思った瞬間靴を放り投げてプールに向かって走っていって、準備運動もシャワーも着替えもなにもかもはしょって水に飛び込むとき、せかいいち自由だと思えた。僕らがいちばん正しい夏をやっていると思った。
ちょうどその頃、綾瀬はるかがポールを桟橋のようなところに突き立ててそのまま海に飛び込むというポカリスエットのテレビCMが流れていた。僕らはその真似をして棒高跳びのポールをプールに持ち込み、服のままプールの底にポールを突き立てて思いっきり飛び込んだ。そのCMに起用されていたポルノグラフィティの曲を大声で歌いながら、なるべく遠くの水面をめがけて飛び込んだ。
つまり、僕が初めてポールを握ったのは、グラウンドでなくプールサイドだったということになる。
ポールを握って、誰よりも遠くまで飛び込むその遊びは、棒高跳びとはまったく違う戯れだったけれども、水中棒高跳びと名付けたそれを僕はたいそう気に入った。(ずっとあとになってから、それは棒高跳びというよりもフィーエルヤッペンという競技によほど近いことをしった)
僕が、正常なおとななら慌ててとめるような危険な跳躍でプールの中ほどに盛大に飛び込むと、じいさんは「ケンジく〜ん跳ぶねえ〜」と手を叩いて笑った。僕はまた得意なきもちになり、「じゃあケンジくん、明日は陸上の棒高跳びでもやってみようか?」という誘いに、このとき初めて気が向いて、「うん、やる」と答えたのだった。




【お知らせ】
「はぐれ者の小唄」は次回より隔月連載とさせて頂きます。









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Author Profile
小林早代子
92年生まれの小説家。
第14回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞受賞。
新潮社『くたばれ地下アイドル』
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