「はぐれ者の小唄 」2回目- 小林早代子 -

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お待たせしました!「くたばれ地下アイドル」の著者で、小説家として活躍する小林早代子氏の書下ろしショートストーリーの連載第二回目です。この秋はBUNCAで読書してみませんか?



野村先生は入部届を受け取ると「ケンジくん、我が陸上部のエース!」と言って僕を抱きしめ、両手を握り大きく振ってステップを踏んだ。

そればかりか、「みなさん! 大賀ケンジくんが陸上部に入部を決めました!拍手!」と職員室中に大声で宣言するのでたまらない気持ちになった。

居合わせていた教師たちは苦笑いでぱらぱらと手を叩いた。バスケ部の顧問でもある担任は、こちらに一瞥もくれなかった。

昨年発足したばかりだという陸上部は、男女あわせても15名程度の小さな部だった。

「はぐれ者の子どもたちの居場所にしたい」と野村先生が言っていたとおり、はぐれ者と言って差し支えないような、まるで集団行動のできない生徒たちが集まっていた。見るからにヤンキー然としたやつもいたし、3センチ浮かんだリズムで生活しているやつもいた。

野村先生が勧誘してまわったのかと思ったが、そういうわけではなく、彼らはそれぞれの嗅覚で勝手にこの部に寄り集まってきたらしかった。

野村先生から熱心な勧誘を受けて入部を決めたのは僕ひとりだった。それは、この部活で唯一僕だけははぐれ者としてなく、陸上選手としてこの部に招かれたということに違いなかった。

はぐれ者の部員たちが部活動の時間をそれぞれ自由に過ごしているのを尻目に、僕はひとりで練習した。都会じゃないけど田舎でもないハンパな土地のハンパに狭いグラウンドを、さまざまな運動部の隙間を縫って走った。

時折野球ボールが飛んできたしテニスボールに足をとられた。青空のしたでは体育館の中とは違う風が吹き、違う暑さがつむじを焼いた。走るのに飽きたらスコップを持って砂場に行って、ひたすら幅跳びをした。

自分以外に誰もいらなかった。練習の合間にぼうっとグラウンドを見渡し、ところせましと練習している野球部やテニス部、サッカー部らの活動風景を眺めた。どの部活も熱心に練習しているけれども、僕がつい最近まで所属していたミニバスクラブの練習よりはずっとやさしく見えた。

過酷な練習に吐き気をもよおし、トイレで5分でゲロ吐いて何食わぬ顔で戻ったことや、声出しが足りないと体育館のステージに上がらされ、大声で歌を歌わされたことなどを生々しく思い出した。

いったいなんだったんだ、あれは……。担任は陸上部をまともじゃないと言ったが、じゃああのミニバスクラブはまともだったろうか。

運動部員たちがはっきりとした目的を持って駆け回っている一方で、グラウンドには不可解な動きをする点Pがいくつかあり、それらはすべて陸上部員だった。

彼らは、例外なくゆっくりと、だらしない服装で、ぺたぺたと校内を歩っていた。歩いていたではなく、あるっていた、という表現がふさわしかった。鉢植えの前で意味なくしゃがみ込んだり、水道の水を撒き散らしてみたり、棒高のマットのまわりに集まって寝そべったり気まぐれに跳躍したりしてした。

いったいなんなんだ、これは……。
そうしてグラウンドを眺めながら、僕はきっとたぶん、常に鞠子の姿を探していた。

どこでどう時間をつぶしているのか、いつも部活動開始時刻からだいぶ遅れてグラウンドに出てくる鞠子の姿を見つけると、注視したいのをこらえ、視界の端でのみその姿を捉えるよう試みるが、僕はすっかり気もそぞろになり、早くこっちへ来ないかなとそればかり考えてしまうのだった。

ようやっと鞠子が近づいてくると、ああきたの、と何気ないふうを装って僕は練習を中断する。気づいているのかいないのか、鞠子はそんな僕のちっぽけな見栄など意に介さず、読み終えたばかりの本の話や学校の不平不満なんかを勢いよく喋り出すのだった。

じいさんは、鞠子のことを「感受性の強い子で、風が吹けば怒るし葉が落ちれば泣く」と言った。

たしかに鞠子は、感じやすく、常に何かに感情を揺さぶられていた。わからずやの教師、子どもっぽいクラスメイト、つまらない流行歌。自分の頭の回転と感受性のスピードを制御できずにしょっちゅうショートしては激昂していた。

授業をろくすっぽ聞かず本ばかり読んでいる鞠子は、クラスメイトの誰もが使わない語彙を駆使して、一方的にまくし立てるような早口で喋る。僕は始めのうちこそ圧倒されて何も口を挟めなかったが、だんだんと言葉を返せるようになっていった。

鞠子は僕が優れた聞き手になってゆくほど楽しそうに話した。特に、皮肉っぽい物言いを差し入れられるのがお気に入りのようで、僕はなるべく賢く意地悪くいられるよう努めた。

僕が気の利いた相槌を打って、鞠子があはははっ! と上を向いて笑うときの、顎から首にかけての線が好きだった。バスケ部が外周の曜日で近くを走り抜けていくときはどうしても身を隠したくなったが、鞠子がそばにいると平気でいられた。

鞠子は喋り倒して気が済むと棒高跳びのピットへ歩っていって、一切のウォームアップをせずになめらかでやわらかな跳躍をした。僕はそれを見届けてまた練習に戻った。

初めて迎えた市大会で、僕は100メートル走に出場して優勝し、県大会への出場を決めた。燃え上がるような勝利への喜びがあった。その喜びはまぎれもなく僕ひとりのもので、チームメイトの分だけ目減りするようなことはなかった。

僕のためだけの勝利だった。抑えがたい興奮の裏に、じんわりとした安堵もあった。僕はこれで、バスケから脱落したのではなく、より自分に向いている陸上を選んだという名分がついたのだ。なにせ、バスケ部は年中県大会を目指して練習していて、毎回決まって出場を逃しているのだ。

意志とは無関係に前へ前へと動く足が頼もしかった。うちの部にはユニフォームなんてなくて、学校指定のしろい体操着にゼッケンを括り付け、倉庫に転がっていたスパイクをはいて走った。

立派なユニフォームを着込んだ選手たちが僕のあとを続々とゴールしていった。立ち止まって息を整えているときの高揚とだるいからだ、火照った頬を冷やす涼しい風、待ち受けていた部員たち、じいさんの抱擁と鞠子のひねた笑顔。

興奮冷めやらぬまま、自分たちの待機場所に戻る気になれず、あてもなく競技場をぶらついていると、僕の記録がアナウンスされたので立ち止まった。一年男子100メートル走、1着、3209番 大賀ケンジくん、森岡中学校、記録……。

「大賀、幅も3位だったんだろ。すげーよな」

俯いてアナウンスに耳をすませている僕を、他校の生徒たちが噂話をしながら追い抜いて行った。

「あーあの、体操着の中学のやつか」

「森岡中ってどのへん? 最近できたのかな」

思わず顔を上げると、給水ボトルを抱えて歩き去っていく2人組が目に入った。学校指定と思われる体操着の下に、市内でもっとも部員数の多い強豪校のユニフォームが透けて見えた。

たしか、100メートル走の2位はここの中学のやつだったはずだ。そのどぎつい黄緑のユニフォームは目立つからよく覚えている。

そいつは準決勝でただひとり僕より良いタイムを記録していて、決勝では隣のレーンを走ったのだ。背が低く、ずいぶん気の強そうな男で、異様に殺気立っていていやだったが、そいつを振り切ってゴールしたのは超気持ち良かった。

顔も名前も知らない人間が自分の噂話をしている瞬間に出くわした僕はその場に立ちすくんだ。

もっと褒めてくれ、僕を、もっと褒めてくれ……。
執拗に、丁寧に、言葉を尽くして僕を褒めてくれ。

続く県大会ではあっけなく予選落ちしたけれども、拍子抜けするほど悔しくなかった。ただ順当だと感じた。

日本に自分より足の速い中学1年生がいるのは至極当然だった。もっと速く走りたい、記録を伸ばしたいという欲求がわいてくることもなかった。

野村先生は僕に「県大会に連れてきてくれてありがとう」と言った。「全国大会に連れて行ってもらえるのを楽しみにしてるよ」とも。

なんか、このままずっと、市のいちばんでいたいなと思った。県大で入賞とか、国体に出たいとか、そういうのはいいよ、もう……。部活なんて一生やるわけじゃなし……。

野村先生が運転するピンクのワゴンに乗って、僕たちは競技場から学校に帰った。

部員たちは県大会応援という名目で公欠扱いになったことが楽しくて仕方ないらしく、車内は大騒ぎだった。野村先生は「遠足じゃないんだよー遠足じゃあ」と歌うように言うと、2年生のリュウタロウが叫んだ。

「ケンジがいれば俺たち年に何回も遠足に行けるじゃん!」

「いや別にいいよ? 俺は毎回応援に来てくれなくても」

「何言ってんだよ……俺たち、仲間じゃん?」

その言い方がおかしくて部員たちは大笑いした。(その後しばらく、何かにつけて「……仲間じゃん?」と言うのが大流行した)僕も腹を抱えて笑った。

今にして思えばそんなにおもしろいやりとりとも思えないが、息ができなくなるまで笑えた。僕はそれまでずっと緊張していたのかもしれない。野村先生も鞠子も笑っていた。

その後は5文字しりとりみたいな単純なゲームで何十分も盛り上がった。途中サービスエリアで野村先生が全員にソフトクリームを買ってくれた。まるで遠足だった。

僕は、他の部員と同じように、野村先生をじいさんと呼ぶことにも慣れ、ウォーキングと称して校外で犬を追いかけたり野菜を盗み食いしたりすることにも慣れ、体育館が使えない曜日に外周するバスケ部の連中とすれ違うことにも慣れた。

時折思い出したように走ったり跳んだりしてみるが、なんだかしっくり来ず、1本2本でやめてしまった。それより埃っぽい倉庫にこもって鞠子に借りた本を読むのが楽しかった。

中学生活は、何もかもたやすく思われた。勉強だって小学校の頃と変わらずできたし、むしろ順位が明確になるからやりがいがあって心地よかった。

クラスメイトたちが先輩の顔色を伺っている中で、陸上部だけは、学年関係なくあだ名で呼び合い、先輩どころか顧問のじいさんとも友達のような口をきいた。何より僕は、今のところこの市でいちばん足が速い中学1年生なのだった。

僕と鞠子は同じクラスだった。部活選びに頭がいっぱいだったとはいえ、なぜ入部まで気に留めずにいられたのだろう。それほど鞠子は目を引いた。

鞠子に出会って、これまで僕が接していた女子たちの顔は、すべて子どものつくりをしていたということを思い知った。鞠子のほかにももちろん整った顔の女子はいた。それでも、鞠子の顔だけがほかとは違った。

男子も女子も鞠子を遠巻きにしていた。それどころか、じいさん以外の教師も鞠子を持て余していた。

僕を始め、陸上部の部員だけが鞠子と気安く口をきいた。ほかの生徒が授業中勝手なことをすれば教師たちは容赦なく叱り飛ばしたが、鞠子が癇癪を起こして飛び出していけば教師は困惑し、「大賀、ちょっと蓮田の様子を見に行ってくれ」と僕に命じた。

僕は得意な気持ちになっているのを隠して、かったるそうなふうで鞠子を探しに行った。鞠子はいつも違う場所にいたけれども不思議とすぐ見つけられた。僕はその度に鞠子をゆっくりなだめて、時には煽って、じゅうぶん時間をかけて教室に戻った。

このクラスで、鞠子だけがいつもパワーバランスの枠組みの外にあった。移動教室もひとりで行ったし休み時間も平気で本を読んでいた。機嫌次第で鞠子からクラスメイトに話しかけることもあったが、たいていの生徒は困惑してたじろぐので、鞠子はたちまち興味をなくした。

僕はクラスメイトが鞠子の調子に圧倒されるのを見るのが好きだった。僕と鞠子が速いテンポで会話しているのをクラスメイトに見せつけるのも好きだった。僕の前でだけは、鞠子は大口あけて笑うのだった。



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小林早代子
92年生まれの小説家。
第14回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞受賞。
新潮社『くたばれ地下アイドル』
「はぐれ者の小唄 」2回目 - 小林早代子 -
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