「ママー!どこにいるのー!」
夜中の小児病棟の廊下に泣き叫ぶ子供たちの声が響き渡る。私のような怪談好きにとって病院はお馴染みのシチュエーションのひとつでもあるが、実際に入院するとなると幽霊どころではない。手術の当事者が自分の家族となると尚更だ。
前回書いたコラムの出来事の翌日2023年6月5日、この日より私の2歳になる息子は都内の大学病院に陰嚢水腫の手術のために入院することになった。比較的リスクの少ない手術だが、全身麻酔をするために万が一のこともないとは限らない。私も付き添い入院という形で2泊3日を1泊約1万6000円もする個室で共にした。食事代は別。まあまあいいホテルに泊まれちゃう。
その病室には檻のようなベビーベッドと、硬いソファがあるのみ。さらに恐ろしく電波が悪く、WiFiがないどころか、スマホの電波も圏外に。テザリングでノートパソコンを使い、病室で仕事をするのも難しい。部屋の外に出ることは禁じられており、この棟を抜ける通路の扉にも回して開けるタイプの施錠がある。万が一子供が逃げ出した時のためだろう。
担当の看護師さんたちは新人と先輩のコンビで、新人が何かやる度に指導が入り、こちらも落ち着かない。
夜になると看護師さんたちの奏でる走り気味のドラムや、視界を刺激するデタラメな伴奏が鳴りを潜め、預かり入院の子供たち、つまり親の付き添いのない子供たちのアカペラがママを求め、廊下に反響する。母のいない時間が孤独を産み、恐怖に満ちた想像力を育むのであろう。
翌日に手術を控えた私の息子も20時以降の水分補給を制限されているために「水が飲みたいよー」と泣き叫ぶ。唯一飲むことが許されているOS-1は「味がちがう」らしい。そしてやはり「ママに会いたい」とクズる。「パパはちがう」のだ。妻は仕事上、病院での作業が困難なため来られなかった。
息子の手術は全身麻酔をした後に行われる。その際の麻酔ガスの味をバニラ、ストロベリー、チョコレートなどから選んでくださいと問われた。甘い香りと共に眠りにつける仕組みだ。
綺麗な女性に抱っこされニコニコで手術室へと向かう息子を見送ったあと、ストラップがジャラジャラとついたPHSを渡され、薄暗い家族待合い室へと案内された。そこでは4、5人の大人たちが、私と同じくPHSが鳴るのを静かに待っていた。この中には深刻な手術を受ける家族を待つ方もいるのではという憶測が部屋の明るさを実際よりも暗くしていた気がする。
私のPHSが鳴り耳を傾けると、また別の個室に来るように案内された。その別室で医者の説明を聞き、ようやく手術が問題なく行われたことを知った。多くの配慮がなされている流れだ。
点滴などの管に繋がれたまま移動式のベッドに横たわる息子が現れ、私の上空を渦巻いていた沢山の不安が解けた。病院で配膳される味気ない健康的な食事も、背脂マシマシの背徳ラーメンよりも美味しい気がしてきた。いや、そんなことはないか。
退院の朝が来た。こんな所からはおさらばさ!と言わんばかりに息子と共に小児病棟の廊下を歩く。途中に通り過ぎる部屋の扉からはベッドで俯く子供達の顔が悲しい木漏れ日のように見え隠れする。病棟の通路の扉の施錠を解き、扉を閉めた後にまた施錠する。蓋を閉めるとゼンマイの止まるオルゴールとは違い、この小児病棟がその音色を止めることは永遠にないだろう。
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