Genius P.J’s20周年~それでも私たちは答えを出して歩かなくてはいけない。~- クロダセイイチ -

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2020年、自分のバンドGenius P.J’sは20周年を迎えた。気付いたらこんなにこのバンドを続けているのかと嬉しいような悲しいような複雑な気持ちを持ちながら、20周年だしいろいろと企画をしようと考えていた2019年の年末。
メンバーに渋谷wwwでイベントをやりたいと言ったのはその頃。人気のない私のバンドで渋谷wwwというキャパシティの大きい場所でイベントを行うのは、とても怖い事だった。それでも私は、20周年歩き続けた姿として、Genius P.J’sを応援してくれているみんなに渋谷wwwでのライブを見て欲しかった。メンバーとミーティングをし、イベントを行う事の許可も貰えた(多分渋々…)。
そんな頃だったと思う。

コロナという名前を聞くようになったのは。ラッパーのchamoisがwwwでのライブ中に言っていたが、私たちはいつもツイてなかった。
年も明け、20周年のイベントの第一弾や年内に行うイベントの構想やオファー、リリース等、1月からとても忙しい日々が続いた。悩みも多かったし睡眠時間も全然なくて辛かったが、こういうイベントをしたりリリースをしたら喜んでもらえるんじゃないか…と考える事は楽しい部分もあったし、充実感もあったんだと思う。
SuiseiNoboAzのベーシストでもあり、吉祥寺NEPOの店長を務める河野岳人くんといろいろと話し合いを進めて、1月には世界中で活躍しているLITEや、フジロックフェスティバルにも出演したHOPI、DJ芦戸レニという素晴らしい出演者を迎えてGenius P.J’s20周年イベントの第一弾を開催できた。
5月には、昔からとても好きでお世話にもなっているあらかじめ決められた恋人たちへとの2マンも発表や、fragment Kussyさんとあら恋の池永さんと8年ぶりの鼎談収録を行ったりと更に忙しさは増し、手応えも感じていた。

並行して、昨年には正直まだ対岸の火事のように思っていたコロナというものが、とても大きな音で日々を埋め尽くすようになっていた。2月から3月にかけてライブハウスのイベントがどんどん中止になっていく様子をみて不安もあったが、5月のイベントまでにはなんとか落ち着くかな…という思いもあった。
しかし、状況はどんどん良くない方へ進んでいった。
5月に予定をしていたあら恋との2マンイベントは、状況を考慮して延期に。それに伴い、鼎談記事の公開も先延ばしに。決まっていたイベントの予定がうまく立てられなくなったり、音楽制作の流れもストップすることがあった頂きたかったアーティストへのオファーも、こんな状況で依頼をすると失礼かと思い、できずにいた。この頃から、音楽や自分というものの存在が本当に必要あるのか考え込むようになっていた。

緊急事態下では、音楽やアートの必要性の優先順位が他のものより低い事はわかっていた。制作でもいろいろなお話が流れてしまったり、止まってしまったものも出てきて、よりその現実を突きつけられている気がして精神的にとても追い込まれていた。
でも、辛い日々はまだ始まったばかりで、秋に行う予定だった渋谷HOME、大阪SOCORE FACTORYでの20周年イベントは、それぞれの店長と相談して中止する事にした。9月に延期した吉祥寺NEPOでのあら恋との2マンもさらに延期をする事にした。
ここまで渋谷HOMEけんじくんや、大阪SOCORE FACTORYのかさごさん、吉祥寺NEPOの河野くん、更に関わってくれた多くの方々に延期や中止の連絡をするごとにみんなに本当に申し訳ない気持ちになった。楽しみにしてくれてた方々の「延期か…」というツイートにも、「ごめんなさい」っていう気持ちでいっぱいだった。この時点で、渋谷wwwでの20周年イベントの中止も考えていた。というか、中止が1番良いと思っていた。しかし、いろいろな事情もあり中止をする事は出来ない状況になっていた。
ライブハウスの閉店の話を少しずつ聞くようになったのは、この頃からだったと思う。

20年もバンド活動をしていると、お世話になったライブハウスやスタッフは多い。
個人的にライブは今までかなりやってきている方だと思うし、沢山の良い夜や繋がりを作ってくれた場所がライブハウスだった。今、自分がこうやって音楽を出来ている要素の一つとしてライブハウスの存在はとても大きいと自覚している。お世話になったライブハウスの閉店のお知らせも沢山聞いた。そうならないように、ライブハウス支援の為の曲を作ったり、支援グッズも出来るだけ購入した。でも自分の出来る事はちっぽけで、とても有名なバンドが支援のプロジェクトをして何百万円も集めたり、何千何万のリツイートやいいねがついたツイートを見るたび自分の無力さを感じた。

自分の出来ることってなんだろう。

バンドをやってきた20年ってなんの意味があったんだろう。

沢山のことを与えてくれた音楽にも恩返しを出来なくて、よく涙を流していた。イベントの中止も出来ず、かといって開催をすれば来てくれる方々にも多くのリスクを与えてしまう。だけど、イベントを開催しないとライブハウスが潰れてしまう。
それでも何か良い糸口がないか、24時間毎日毎日考えて続けていた。朝起きた瞬間がもう鬱の始まりというのがどれだけ辛い事なのか、この時に痛感した。

それでも私たちは答えを出して歩かなくてはいけない。
今、できることをやろう。

そう思い9月から連続リリースをする事に決めた。そこにはちゃんと繋がりやドラマがある必要を感じていた。これまで繋がりがあったり、お世話になったアーティストと共に作品を作った。あらかじめ決められた恋人たちへ、avengers in sci-fi、HOPI、そしてdaokoちゃん。
Genius P.J’sの4年ぶりの新曲”people“も作った。
その曲の最後のリリックに”人は最後に気づく“とある。私も長く生きてきて、最後に気づいた経験を沢山してきた。そして、それは「後悔しても、もう戻れない現実がある悲しさ」の積み重ねだった。だから自分でも最後に気づく。ではなく、そうならないように大切に日々を紡いでいきたいと思って作った。おこがましいけど、聴いてくれる人もそうあって欲しいと思った。

リリースにあたり、以前からとても素敵な感性でイベント開催やフライヤーデザインをしていたemiさんという方にアートワークをお願いする事にした。彼女は本当に真剣に考えてくれて、Genius P.J’sの20周年に関する事もいろいろとお話を聞いてくれた。自分が壊れてしまってご迷惑をおかけしてしまった事もあった。でも彼女がいなかったら私はもっと壊れていたかもしれないし、イベントを開催するメンタルを保ていなかったと思う。とても感謝している。
リリースと同タイミングで、大阪SOCORE FACTORYの店長かさごさんからイベント出演のお誘いを頂いた。このタイミングで大阪に行く事も本当に悩み考えたが、その日はあら恋とのツーマンライブのオープニングアクトを務めてくれる予定のANYOも出演が決まっていたのと、いつも本当にお世話になっている大阪の方々に20周年の姿を見てもらいたと思い、出演を決めた。
当日、応援してくれている人達が来てくれてライブの感想を沢山くれて、CDも買ってくれた。久々の再会もあった。来て良かったと言ってもらえた。「そういう場所だよな。ライブハウスって。」そう思った。

Genius P.J’s20周年イベントは“そういう場所”に出来たらと思った。ここまで中止になってしまったイベントに出演予定だったあらかじめ決められた恋人たちへ、nego、TomyWealth、そして音楽をするかっこいい背中をずっと見せてくれているDEEP COUNT Nobuさんと、ライブドローイングをしてくれる近藤康平さんと、みんなでその場所を作りたいと思った。
すぐに連絡を取り、みんな快諾してくれた。
こんな状況なのに力を貸してくれて本当に嬉しかった。
並行して会場の渋谷wwwのスタッフの方と制作をものすごく手伝ってくれたSuperSquall Entertainmentの堤野さんと、イベント開催にあたりミーティングを何度も重ねた。イベント運営は行わないと続けていけない、でもライブハウスでクラスターを起してはいけない。みんなの健康の確保はもちろんだが、自分のライブハウスや他のライブハウスにまで影響が出てしまう。そうしては絶対にいけないという気持ちがみんなにあり、ミーティングはいつも真剣なものだったし、細かな所まで話しあった。ミーティングが終わっても日々その事を考え、こんな状況でお客様は来てくれるんだろうかと不安や悩みが溢れだしそうだった。

開催を発表した時、イベントを喜んでくれた方や楽しみにしているというメッセージも頂いた一方、こんなタイミングでイベントを開催するなんて頭がおかしいというメッセージも頂いた。それぞれに正解があって、どれも間違ってはいない事も理解していたが、そのようなメッセージを頂く度に辛い気持ちになった。
自分は、この日に関わる人の命を預かって無事にイベントを終了させる責任があるんだなって改めて思った。

チケットは完売した。
安全に終わらせなくてはという重圧はさらにのしかかっていた。
イベント当日、多くの人の力を借りて開催する事ができた。何重もの検温やマスク着用、ソーシャルディスタンスを保つ為の会場整理、安全の為のアナウンス。物販にはアクリルパネルを立て、ゴム手袋もしてもらった。こんなライブハウスの様子は20年間で一度も見た事がなかった。でも、コロナ禍でライブをするというのはこういう事なんだと思った。
私は素晴らしい時間を頂き、Genius P.J’s20周年をみんなに見届けてもらい、イベントは終了した。イベントから2週間、コロナの発生もなく、無事に終える事ができた。
ようやく少し気持ちを落ち着ける事ができた。

私は、このイベントでGenius P.J’sを終わりにする事を考えていた。それはコロナだからというものではなく、いろいろな要素が重なってその想いになっていた。
メンバーそれぞれの生活の事、お金の事、Genius P.J’sの音楽の意味、自分の幸せの事。wwwが終わった後に自分がこの後続けていきたいのか、もう辞めたいのか。自分でも想像がつかなかった。精一杯頑張ったし、続けていく体力や気力も底をついていたから、終わっても仕方ないという考えもあった。
イベントからしばらく時間をおき、私はこの日の事を思い返していた。
本編ラストの曲でこの日の初めて披露した“carries”という曲がある。その曲にはchamoisが自分の子に宛てて書いたリリックが乗っていた。その子はきっと20年後あたりに、そのリリックの真の意味を知るのかなって思ったりする。私は歳をとり、自分が主人公にはなれないことを感じはじめていて。でもそこには新しい役割があった。音楽や言葉や音や知識や経験や想いを次の世代に伝えていくことこそがそれだと最近は思っている。
そして、その世代の子たちが輝き少しでも幸せな生活を送れる事を願っている。
ほんの少しかもしれないけど、もしかしたらGenius P.J’sがその力添えを出来るのかもしれないと思い、続ける事を決めた。

コロナ禍で20周年を迎えイベントをする事、リリースをする事、音楽活動をする事でいろいろな人の色々な気持ちを感じる事ができた。それはある時からGenius P.J’sがテーマに持っている“生と死”と深くリンクした一年だったし、まだこの状況は続くのだと思う。
いろいろな答えがある中で2020年、私の出した答えはこれでした。この文章がコロナ禍で悩み苦しみ、でも戦う人の少しでも力になったら嬉しい。
それでも私たちは答えを出して歩かなくてはいけない。







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Author Profile
クロダセイイチ
作曲家。「Human Experiment Records」代表



Genius P.J's(ジニアスピージェイズ)の鍵盤奏者,ギタリスト

プログラマー/ミキシングエンジニア/プロデューサー



2014年 冬にはm-floやライムスターのMummy Dとの共作や

中島哲也監督作品 「渇き。」に挿入歌として 「Fog」が使用され

女子高生にしてTOY’S FACTORY からメジャーデビューをはたした

"daoko"とのコラボレーションシングル”world is yours”を リリースし話題を集めた。



個人の活動としては

ズボンズのアルバム”The Sweet Passion”にシンセサイザーで参加し、

更にズボンズ解散時にドン・マツオ、マッタイラ、

440(壊れかけのテープレコーダーズ)と共に結成された 『The Randlf』にギターでの参加を経て、

現在はDON Matsuo Magic Mountain Bandにも参加し ドン・マツオ ソロ 3drアルバム「Arcadia Blues」では

ギター、シンセサイザーで参加している。



更にR da Mastaと共に”GUNMA ROCK FESTIVAL 2012”にて

バンマス/keyとして出演。楽曲の制作、全ての曲のアレンジを担当。



DJ活動しては2013年に西川口 Live House Heartsにて行われた

”THA BLUE HERB and the telephones”や”ぐるぐるTOIRO2015”等に出演。



昨今ではTV番組 フリースタイルダンジョンでも

話題のラッパーDOTAMA『イオンモール』、『栃木のラッパー2』や

NAIKA MC『STEEZ』狐火『ささやく様な絶叫』、

フジロックフェスティバル2017に出演のドブロクや

2019年渋谷wwwでの2daysワンマンライブも決定しているtoitoitoiへの

楽曲プロデュース等ジャンルを超えて活動中。
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