英語力ゼロ・コネ無し・実績無しのドラマー、スティックだけ持って渡米~音楽生活を実現するまで。- TETSUYA UEDA -

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ドラマー、ウエダテツヤ氏。本コラムのタイトルをご覧頂ければ、例え音楽にあまり関りのない方でも、それがいかに無謀なことであるかは一目瞭然である。「タイトルだから誇張してるんじゃないの?」と思う方もいらっしゃるかもしれない。しかし、全てを読んだ身として今一つだけ断言するとしたら「タイトル通り、むしろ以上の内容でした」。

0・はじめに

あなたは世を賑わす様々な音楽が好きですか?

テレビや映画、街角の居酒屋やコンビニでも流れ続ける邦・洋問わない無数の音楽に気を取られた事はありますか?

アイデンティティの成長期、いや、時期を限らず得体の知れないパワーに溢れるロックやパンクに心奪われた事はありますか?

「キッカケ」が歌謡曲だったり芸能バンドだったとしてもなんでも構わない。
そんな経験からジャンル・方法問わず音楽を始め、楽器を始め、歌を始め、時がたち商業的にもなれず、
違和感のなかで自問自答と発表を繰り返しているミュージシャンは少なくないと思います。

主にそんな人々の音楽人生の取り組み方や未来の選択肢をすこーしだけ豊かに出来たらいいなと思い、
自分の経験則にバイオグラフィーなども交えて筆を走らせようと思う私は、ウエダテツヤというドラマーです。

作編曲やギターやベース、DTMも少し。
日本のインディーシーンでの10年超の活動を経て、現在は渡米から1年2ヵ月。
アメリカはワシントンDCの北側メリーランド州ロックビルに拠点を構え、毎日音楽をやっています。

※この紆余曲折に関する赤裸々な事、特に渡米初期の混乱期を恥を捨ててリアルタイムで綴ったブログ
「ウエダテツヤの米国軟着陸」が全68回に渡って公開されていますので、
ご興味ある方は是非そちらをチェックして頂けたらと思います。
http://uedagym.hatenablog.jp/entry/2018/02/04/223135″

本コラムでは「何をどうしたらアメリカで音楽漬けになったのか」という主題に私的な経験も交えつつ、
それに至るまでの過去の日本での出来事や渡米に至る過程、キッカケ等も交えて言及していきます。
回想記の様にもなりますが何か一言でも「現場」としての世界を目指すミュージシャンの助けになれば、
そして楽しんで頂けたら幸いです。

その1・渡米までのプロセス

アメリカの音大を目指したわけでもなく、日本で音楽的な学業に専念したわけでもなく、
更に誰かに師事したこともない私が渡米を選択した過程はすこし複雑かつ感情的だったように思います。

前書きで述べた音楽的目覚めのキッカケは14歳の時、スピッツやBJCそしてThe Verveなどでした。
そして高校生になると90年代オルタナミュージックの虜になりました。
好きになったアーティストの交友関係や歴史から、更に音楽の歴史を掘り下げていく事にも熱心でした。

西洋音楽の文化や背景にも興味津々で、
掘り下げるほど現代の8割方の音楽がアフリカンアメリカンが西洋社会における黒人の歴史の中で
ベースを産み出したものであるという答えに行きついていました。

そんな事から、常にある一定の興味をアメリカに向け続けてきたのはまず必然だったように思います。

同時にそれは私にとって、未知の外国から訪れる圧倒的な音楽達による、
ある種の舶来コンプレックスでもあったのではないかと振り返る事も出来ます。
どこか意識から外れないような。

更に10数年の日本での活動背景を辿らせてもらうと、
私は2009年に初めてMUSICMINE.incよりSADY&MADYというパンク歌謡的アコースティックユニットで
自分の演奏が流通する経験をさせてもらいました。

レーベルの手厚い投資もあり、東名阪におけるツアーやラジオ、
通販番組のエンディングソングの担当、雑誌のインタビュー等も経験しましたが、
10歳以上年上で芸術家肌と強烈なビジネス肌が共存するメンバーやマネージャーの狭間で私の中に生まれていた
ストレスと圧迫は5年程の活動期間の中でピークに達し、自らグループを離脱、そのまま解散となりました。

音楽が上手く回っていない上に自由が制限されていく意味不明な重圧と、
この音楽活動における最初期の経験とやるせなさが、のちに歩みを進める事と自らのスタンスに
大きく影響したように思います。

そして2010年、私は一生音楽をやるだろうという意思決定をする出来事が起こります。
カイモクジショウというバンドとの出会いでした。

ドラマーに難ありながらも音楽的な圧倒的可能性を感じてしまった私は、
当時の脳みそで考え抜いたのちメンバーに加入の直談判をしました。

今でもはっきりと覚えている渋谷駅新南口のベローチェ2階でのその告白は
人生で1、2を争う図々しさだったように思います。

まずバンドにリーダーとして入れて欲しいと言う事、
この可能性を目標に向けて広げ進めていく為の年単位のビジョンがあると言う事、
そしてその目標は将来日本のロックのランキングがあるとするならば100位くらいを維持できる地力をつけることと、
今でこそ数多が挑戦しているバンドとしての海外、アメリカでの活動でした。

そしてその後6年間、
その過程はビジネスライクな行動を極力避けつつもほぼ思い描いていた通りの進行と発展でしたが、
2016年に私以外のメンバーの脱退を受けて解散となります。

それは当然の事ながら平和的ブロークアップではなく、
さらに遂に得た海外にも強く信用たるレコードレーベルとの2ndアルバム制作途中での出来事でしたから、
当時そのショックは私にとってあまりにも大きいものでした。

爪楊枝のピラミッドを高く高く積み上げている途中で、根元の一本を外されたような。
そんなバンド的、音楽的なアイデンティティがグッシャリと崩壊する経験をさせてもらいました。

今思い出しても、様々な反省と心地よい悔しさが込み上げてくるほどです。
そして驚いたことに逆に、ここまで費やした全て~この結果での衝撃と絶望感が私に
「音楽をゼロから考え見つめ直すチャンス」を与えてくれたのもまた事実です。
この失敗直後には次に自分が向かうべき、挑戦すべき事は何なのか考え始めていましたが、
1人でアメリカという発想はこの時はまだありませんでした。

まずはカイモクジショウを少しでも広報したいという不純な動機で2015年にお誘い頂き加わった
MUSHAxKUSHA(https://mushaxkusha.net” )というバンドに真剣に取り組みつつ、

他にも様々なバンドやグループで内容問わず演奏を続けながらも、自己の音楽の確立に臨み
NONMALT(MUSHAxKUSHA(https://www.nonmalt.com/” ))という自身のバンドを人生で初めて立ち上げました。

今後どんな状況でも、何が起きても消えない、自ら主導して作品を創る上で冠していく有象無象として。

そしてNONMALTの作品を試行錯誤している段階で尊敬する日本人ドラマー沼澤尚さんに
SNSで取り上げていただいた事をしばしば思い出していました。

https://twitter.com/apurkeneg/status/737457549285281792″

この「日本ももっと面白くなるのに」という一言が色々な意味でどうしても気になり続けているうちに、
今は亡き音楽を愛した友人、亮弦というソロギタリストに言われた一言、
「海外に行け。お前は通用する」という一言が決定打となり
前述のアメリカへの興味と舶来コンプレックスが一気に具体的に、動的に頭の中で動き出しました。

音楽の尊敬の中で繋がる人間関係って大事ですよね。
時期としては2016年の夏過ぎの事でした。そして手探りの準備が始まります。

その2・準備~出国

私は妄想こそしていたものの、具体的な海外への長期移住のノウハウは全くありませんでしたから、
1つ1つインターネットを中心に方法から研究していきました。

同時に幸い2人の長期渡米経験者の友人がいた事も大きな助けとなりました。
1人(A君)は日本で約3年と200万円超の大金をかけて弁護士を雇い、
ワークビザを入手し、大麻を「せどり」したりして3年間アメリカを放浪していた友人。

もう1人(B君)は学生ビザを使い、フルタイム語学留学でNYの語学学校やコミカレに5年間通学し続けた友人です。

移住後の経験談や生活の話は当時自分の不安な面を緩和するのに大いに役立ちました
(実際今その話からの想像とは全く違いますが)。

が、まず、吹けば飛ぶような日本での実績でいきなりアーティストビザはまず取れないという上に、
やりたきゃ挑戦は出来るが莫大な弁護士費用と資料のでっちあげに時間がかかるという事を知りましたので、
A君例は20分で却下されました。

次にA君例の検証、少し調べたらすぐにわかる事ですが、
NYという世界有数の物価と家賃を誇る街での生活費+そんな街にある語学学校の費用は
現実的ではありませんでした。そう、いきなり頓挫しそうになっていたのです。

既に気持ちは前のめり、しかし現実がついてこない。という状況の中、
「アメリカの東海岸からくるバンドがいるからNONMALTで対バンしなよ!実になるかもよ!」
私を企画イベントに古い音楽仲間(T君)が誘ってくれました。

自分自身の音楽的趣向もあり、行くなら絶対に東海岸と決めていたので、
その地域で生まれ育ち生活している若いミュージシャンと日本で出会えるなんて、
そこまで多くはない。答えは即決でした。

当日は英語の勉強なんてしたことないなりになんとか情報を得ようと、一生懸命話しかけました。
「演奏をみてほしい」「何時までいるのか」「連絡先教えて」
グーグル翻訳アプリを片手に必死に伝えたのはその3項目でした。

彼らはもちろん日本語はちんぷんかんぷん、私も英語はちんぷんかんぷん、
よってその場で自分の考えと目標を説明できるわけもなく、
ただ1つなんとか手に入れた連絡先は、そのバンドのメンバーに1人(D君)のものでした。

数日後、私はまず彼らが帰国したタイミングを見計らって、単純に住んでいる地域に関する質問を投げかけました。

もちろんグーグルフル翻訳で。
その結果彼らはワシントンDCの北部、メリーランド州を拠点にしている事がわかりました。

そしてそのベーシストでありアメリカではサウンドエンジニアとして仕事をしているD君は
ロックビルという街で4人のルームメイトと計5人で大きな一軒家で生活している事がわかりました。

その後数日跨いでから、確信的な質問と要望を投げかけました。

要約するとそれは「2018年4月からアメリカに移って音楽で挑戦したい」という事と
「どこか安くルームシェアできるアテを知らないか、協力してくれないか」といった内容でした。

すると「実は俺この家のオーナーなんだけど2018年6月にルームメイトが1人引越すから、住む?ガレージだけど。
それまでの期間俺の部屋使っていいよ」という返答が得られました。

月の家賃は水道光熱費、インターネット込み$450(約¥48000)。
駅徒歩5分、DC中心部まで電車で30分という信じられない内容でした。

(この時私は強烈な運に恵まれたと思いましたが、生活しているうちにこの地域の多くの
20代~30代アメリカ人が似たような境遇でルームシェア生活しているという事がわかったので、
探せば十分見つかる内容の賃貸だと今は思います)。

こんな好条件は他に無いと思い、即座に賃貸の仮押さえをしました
(後で知ったのですが、仮押さえという表現が当時全く出来ておらず、彼は決定と思っていたようです)。

そして私はまずその地域の物価や生活にかかるお金とVISAに関するアレコレを調査し始めました。

まず注目したのは物価です。
特区ワシントンDC、北部のメリーランド州、南部のバージニア州をひとまとめにDMVエリアと呼称するのですが、
物価はNYに比べたら大分安く、
さらに「ストリートパフォーマンスで内容が良ければ1日$200や$300稼ぐ奴もいる。
メッカNYメトロと違って許可も必要ない」
とも聞いていたので、
根拠の無い妄想からそれは現実的であると踏み、物価問題をクリアした気になりました。

そして問題のVISAです。
色々調査した結果、自身の状況からアメリカに長期滞在する方法は学生VISAにしか無いと言う結論に至りました。

このVISAには5年間の期限があるのですが、
有効にするには語学学校から発行されるI-20というもう1つの書類が必須になります。
そしてI-20を保持するには1週間単位で必ず授業に出席しなければならない時間がルールとして設定されています。

この時点で友人B君から「語学学校というのはピンキリで、NYでも探せば安い所もある」
という情報も得ていたので、DCはもっとあるだろうと考え、
出席ルール最低限(週18時間の通学)で出来るだけ安い学校をインターネットで探し、
その学校の名前を携えて渋谷区にある無料の
留学エージェント斡旋の組合をしばしば訪ねるようになっていました。

私は直接現地から得た知識を振りかざす、
エージェントのオススメ案件に全く反応しない本当にめんどくさい客だったと思いますが、
おかげでノウハウがやお金の事がクリアになるにつれて、私の場合の学生ビザでの米国滞在限界点は
「渡米から1年2ヶ月後」というゲームオーバーラインもハッキリと認識する事が出来ました。

そして全てを決定し米国大使館での面接をクリアしVISAを手に入れ、
覚悟を決めて飛行機をブッキングしました。
目指すはゼロから現地でのアーティストビザの獲得です。

2018年4月6日、15時間の機内では大緊張で全く眠れずにワシントンDCに降り立った私の持ち物は最低限の生活用品と
ドラムスティックのみでした。

※このパートで大事だったのは、インターネットに溢れる上辺の情報を鵜呑みにせず、
現地の声や経験者の意見を直接聞いて自分に合うものを自分の行動で探していくことだったと思います。
ネットの派手な見出しやそれっぽい意見ほど、アフターケアの無い酷い商売の場合が多いです。

3・アメリカ入国~初収入を得るまで

英語力ゼロだった私が日本人の友人も全く居ない場所で突然日本語を排除して生活する。
というのは想像を絶しましたが、やるしかないので日々はまるで自動的に過ぎて行きました。

まともに買い物も出来ず、最初期は1ドルのアップルパイばかり毎日食べていました。
少しだけ環境に慣れた頃には、幸運な事にルームメイトが全員音楽に携わっていたので、
使っていない機材を借りたり安く楽器を買える方法なども教わり最低限のストリート用機材を揃えました
(現在それは改造に改造を重ね、日本で使い続けアメリカにも持ち込んだスーツケースを穴だらけにしたドラムセットになっています)。

そして渡米1ヵ月にはストリートパフォーマンスに挑戦し、
果てしなくグレーではありますがアメリカでの音楽による初収入を得ていました。

忘れる事は無い初回は1時間半で18ドルほどの小さな収入でしたが、
今は実験と改善を重ね、おそらく演奏の内容も良くなったので
平均すると1日3~4時間の演奏で$100~$150を稼ぎ出す事が出来るようになりました。

更にそのストリートでの演奏中に黒人教会のバンドのリーダーにスカウトされ、
毎週末の教会でのアフリカンゴスペルの演奏という素晴らしいアルバイトにもありつくことが出来ました。

そんな環境を渡米序盤で手に入れ、学校~ストリート~教会というルーティンの生活を1年近く続けました。
現在もストリートパフォーマンスと教会での演奏は高頻度で行っています。

アメリカは人々の日常に音楽そのものが深く浸透している国ですから
(老若男女、何かしら楽器を持ってない人を今のところ見たことがありません)、
ひたすら音楽的な行動に時間を割く事は、何かしらに繋がっていくものです。

4・目標への前進~その後の期待

アメリカ生活も数ヶ月を超えると少し英語にも慣れ、
認知を少しでも高めようとSNS上に無数に存在するミュージシャン達のプライベートコミュニティに
自分のバイオグラフィーや演奏動画、目的などを投稿するようになりました。

すぐにその事をキッカケに様々なミュージシャンやバンドからジャムセッションのお誘いをいただき、
その度に試しに演奏しに行くと言う活動が始まりました。

意識を非常にシビアにし、セッションの中で少しでも音楽的に足りないというか
「ん・・・?ふむ・・・」という違和感を感じたらシッカリと継続をお断りしながら、まだ見ぬ仲間を探していました。

その中で出会った1人、Owen Kelleyというピアニストとは特に仲良く、
路上でセッションしてみたり即興でライブを組んでみたり、ただ呑んで遊んだりを今でも繰り返しています。
そんな出会いが日常的に転がっているのもまたアメリカの魅力と感じます。

Owen Kelley (https://www.instagram.com/p/BpffuJIBlIf/”

日本で長い間音楽活動をしていた感覚からすると、アメリカの物事の進み方の速さは異常なほどです。

もちろんトライ&エラーを繰り返している中での事ですが、その中でも
LIONIZE(https://www.lionizemusic.com/”
というバンドから熱烈なオファーをいただけた事は私の2019年以降の未来図をガラリと変えてしまいました。

ビジネスライクな視点から言うと彼らは自らレーベルを構える所謂DIYバンドで、
DC出身バンドの中堅的位置にいるようなバンドでした。

バンドが稼ぐお金によってしっかり運営され、メンバーにも現場での収入を与えられるという段階です。
2018年10月にはオーディション的セッションを行い、
そのままツアードラマーに雇いたいという話をいただきました。

学生ビザの身であるところでツアーに出掛けてしまうのは非常に状況が悪くなるので
同年11月に彼らが行ったUKツアーはスキップさせてもらい、
同年末の5日間のアメリカ東海岸ツアーからバンドに加わる運びになりました。
そしてこのツアーが、私の状況を一変させてしまいます。

CLUTCH HOLIDAY RUN 2018と名付けられたツアー、
ヘッドライナーにCLUTCH、そしてFUGAZIのJoeとBrendanを擁するThe messtatics、
PrimusやAni Diffrancoなどとの作品は有名なパーカッショニストMike Dillonと、
私が高校生の時にドハマりしていたSealのアルバム「Human Being」にディレクターとしても関わった
ドラマーEarl Harvin(彼は宇多田ヒカルのアルバムFantomeのメインドラマーでもあります。)
によるMike Dillon Band、LIONIZEの計4バンドで5都市2000人規模の会場を巡りました。

これは10代で始まった私の音楽を中心に右往左往してきた人生の中で最大の勝負所だったと同時に、
目標としていたアーティストビザ獲得への起爆剤になりました。

そして後日、そのツアー全てのドラマー達が私のアーティストビザ獲得に向けてのスポンサーになってくれました。

同時に、LIONIZEのレーベルも遅くとも私が2020年付けで法的にも正式なメンバーになれるよう
在米企業スポンサーの役を買って出てくれました。
更にこの強力なスポンサーの後ろ盾の効果で、
私のケースに対応していただける無料の弁護士を見つける事も出来ました
(DCの弁護士は法により年間数件のプロボノワークをしなければならないので、
弁護士を探している人間のリストに上がっていた私を見つけたという形でした)。

晴れて2019年5月17日に弁護士との契約を終え、学校も学生ビザ維持の条件をクリアし卒業し、
アーティストビザの獲得準備と手続きが本格的に始まりました。

この時点で私は学生ビザを所持ししながらのアーティストビザ取得者候補となり、
渡米前に決定していた1年2ヵ月のゲームオーバーラインを跨ぐ23日前という嘘みたいなタイミングで
「ビザ切り替えの為に一時帰国するアメリカのプロドラマー」になる事が出来ました。

現在、LIONIZEのレーベルとの書類の作成やスポンサー達からの書類集め、
過去の日本での細かな活動の証明や履歴も必要との事でその準備に追われつつ、
引き続きやれることを全て行うような音楽活動をしています。

ここまでの経験と成果で今感じるのは、英語も自己アピールも実際そこまで大変ではなかったという事です。
開き直って完全に音楽に没入する事さえ出来れば、可能性は無限にあると感じます。
そして音楽で生きていく事が出来ます。

私にとって日本でのピュアな音楽生活の実現という可能性は逆輸入というケースを除いてもうほぼゼロに等しく、
縦社会的音楽文化からライブハウス文化に至るまで全てにおいて
芸能やビジネスの側面が非常に強いように感じますし、それはある意味での敷居の高さでもありますが
純粋に音楽がやりたい者に対してはその受け皿の狭さとが非常に億劫な事です。

アメリカはその文化背景や音楽的受け皿の大きさから全てのシーンに可能性があります。
ビジネスライクな物の存在も勿論強烈ですが、聴衆が根本的に音楽の内容にフォーカスしていると思います。

加えて日本ではローカルバンドが人前で演奏する事に対してお金のリスクを負って活動している事に対して、
アメリカのローカルバンドはライブをやって$100しか稼げない事に悲観的になっているような、
日本人元バンドマンからしたら「冗談じゃないよ!」と言いたくなる音楽大国ですから・・・。

5・あとがき

私はこの1年の活動の中で11の州で音楽に触れる事が出来ました。
至る所に音楽が溢れ、それを咎める人も何処にもいません。

ただ真摯に音楽をやるだけで物事は怖いほどのペースで進んでいきます。
次から次へ自分次第で仲間も増えていきます。

ただ真摯に音楽をやる事だけが唯一のルールで、
他の事を気にする必要は全くありません。ただナイスであれば良いのです。

私は今やっと入り口に立ったに過ぎませんが、
30歳を過ぎてからの遅い決断だった私にもこれだけの可能性が残されていました。

もし今あなたがミュージシャンで、何かしらアメリカの音楽に影響を受けていて、
現状に違和感を感じているなら観光ビザの3ヵ月でも是非挑戦してみる事をオススメします。

この音楽文化を根っこから感じたいなら1人で来て1から切り拓いてみるのがいいでしょう。
音楽の情熱と探究心があれば必ず何かが起こります。
そしてそこから得られたものは、おそらくあなたの全てを変えることでしょう。


おしまい

PS:2019年7月27日にNONMALTの1年4ヵ月振りの日本国内でのライブが自主企画として開催されます。
是非ご予約の上、足を運んでみてください。 https://www.nonmalt.com/”








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Author Profile
TETSUYA UEDA
1985年東京出身 ドラマー
! - MUSHAxKUSHA / 2019 (DVD) Fenice.inc

Blues to go far - NONMALT / 2018 有線無線

? - MUSHAxKUSHA / 2018 Fenice.inc

1.6m - アスカトタケシ / 2018 有線無線

実録・曼珠沙華 - 地獄の曼珠沙華 / 2018 有線無線, 蜂鳥あみ太

イカしたイカ - サワレレ / 2018 有線無線

MX136 - MURATORIX / 2017 有線無線

Anise - カイモクジショウ / 2016 有線無線

Jidou - カイモクジショウ / 2015 有線無線

発生・源 - カイモクジショウ / 2015 Curtains label

Conception - カイモクジショウ / 2014 有線無線

N2FU - SADY&MADY / 2009 Musicmine.inc
HP・https://uedagym.tumblr.com/

Twitter・https://twitter.com/UEDAGYM

Instagram・ https://www.instagram.com/tetsuya_drums/
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