高校3年生の時、先輩がライブドローイングすると言うので制服のまま初めてクラブイベントに行った。
20人入ればパンパンな狭いイベントスペースで爆音でテクノが鳴っていた。
もともと電子音楽は好きだったけれど大きいスピーカーで聴く生の電子音楽は、狭い部屋で一人イヤホンで聴くものとは完全に別物だった。言葉にならない繊細かつ激しい感情が、意識が、衝動が、脳に直接流れ込んでくる。当時、人間や物関係なく好きなものはいくら好きになったとしても自分と完全に同一になることができないんだと思い込んでずっと悲しく寂しく生きていたけれど、音楽はそれが叶うのではないかと希望を感じた。真のコミュニケーションになりうると。
演者と観客が集まって同じ部屋で同じ音楽を鳴らして聴いて各々感じて踊っている空間はまさに求めていたものだった。
完全にスパークしてしまった。「私は電子音楽をやるために生まれてきたんだ!」と青臭い勘違いをしてしまうくらいには。
大学の推薦が既に決まっていたので、Cubase や周辺機器を買うためにホテルのクローク係のバイトをはじめて貯金をする。
大学入学のため京都に引っ越す頃、ちょうど資金が貯まり一人暮らしと同時に作曲機材を一気に購入した。
約12万円ほど…その頃の人生で一番大きい買い物だったので全身が震えるほどドキドキしたのを覚えている。
「…難しい。」
当時2011年。
いわゆるハードテクノやハードミニマルを制作したかったのだけれど、そのようなジャンルの教材となるものが今ほど多くなかった。それでも大学から帰宅した後、それっぽいものをちまちま作ってサウンドクラウドに偶にアップロードする。音楽で成功したいとか生活したいとかそのような考えは一切なかった。ただ好きで一音楽ファンとして作っていた。そもそも音楽を職業にする人たちは、私のような凡人とはまるで違う、音楽の英才教育を受けていたり、音楽家の血筋があるような生まれながら特別な人じゃないと無理だと思っていた。
ある日大学のサークルの先輩がCafe la siesta に一緒に行こうと誘ってくれた。
なんでもチップチューンというジャンルが面白いらしく、チップチューンアーティストが多く集うバーがCafe la siesta らしい。
「一緒にやってみよう!」明るく行動力がある先輩は引っ込み思案な私の手を引っ張ってくれた。
早速Cafe la siesta を訪れ、マスターからチップチューンの制作の仕組みを教わり、LSDjを手に入れ、気がつけば初めてのライブが決まっていた。
LSDj は作曲手段として驚くほど私と相性が良く手馴染みが良かった。
今まで色々な楽器を触ってみたりCubase を使ってみたりしてきたけれど、ここまで自分の脳内で鳴っている音をするすると形にできるマシーンがあるとは…。
初めてのライブは右も左もわからず、持ち時間30分のメドレーのようなライブミックスを用意してゲームボーイ片手にひたすら踊りまくった。お客さんは15人いるかいないか。その時もまた初めてクラブに訪れた時と同じように「これだ!!!!!」と感じた。
普段抑え込んでいる感情が爆発していた。これが私の本来の姿だ!と思った。
TORIENAが生まれた瞬間だった。
ありがたいことに周りの人が面白がってくれて、次のライブが決まった。そうして気がつけば頻繁にライブをするようになった。
リリースもした方がいいよと勧められてvol.4 Records から初めてのEP をリリースした。一気に人生が色めき出した。
次第に東京でライブしたり海外でライブする機会が増えていった。
あるイベントで尊敬する音楽プロデューサーが私のライブを見にきてくださって、その時に「プロになろう」と決心した。
然し乍ら活動していく中で違和感を感じ始める。
「ゲーム機で」作曲していることにフォーカスが当たりすぎていると感じるようになる。
あくまでも私は作曲手段として相性がいいから使用しているだけであって、見てほしいのは内容だった。
受取手に高望みしすぎてはいけないし、楽しんでくれればどう受け取ってもらっても構わない。
…と思っていても少しづつそのギャップに息苦しさを感じ始めていた。
「ゲームがお好きなんですか」と訊かれることがよくある。
ゲームもゲーム音楽も人並みに好きではあるけれど、それがゲーム機で作曲する理由ではない。私にとって全く別の問題だ。
(そこを踏まえてもらえるのであれば、ゲーム機で作曲する方法にフォーカスしていただいて構わないし、決してただ嫌悪しているわけではないということを念の為ここに記しておく。)
自分の実力が足りないから手法や副次的なものばかりに目がいくのではないかと思い、本格的に音楽の勉強をしはじめた。
トライアンドエラーを繰り返した。全ては無意識の具現化のために。
が、だんだんと理由もわからず元気がなくなってしまった。
その頃運悪く、原因不明で現代医学では完治しない免疫系の病気も患ってしまった。
辛い。生まれて四半世紀過ぎた頃。今考えたらその時滅茶苦茶にグレていた。これは流石によくないと思った。
布団にくるまり、一番楽しかった時と刺激的だった時を思い出す。
高3の時の衝撃、初めてのライブ、イタリアの倉庫でのRave…やっぱりピュアに感じて踊れる音楽が好きだ。
小細工なしに衝動で曲を書くのが好きだ。
そう思って一旦、思考や環境をリセットした。
一番最初に機材を買った時に作りたいと思った音楽をCubase で改めて作り始める。
感情を素直にそのまま音にする。今の私。原点回帰。二度目の初期衝動。
そうしてできたのが昨年リリースしたアルバム「PURE FIRE」だった。
今までとガラッと変わったスタイルでリリースするのは不思議と怖くなかった。
そこまで考える余裕がなかったからだ。ギリギリだった。
でも予想以上にニュー・TORIENA スタイルを周りが受け入れてくれて、今まで挫けないでよかったと心から思った。
また歩き出せると思った。
人から仕事を頼まれることは嬉しい。
今まで培ってきた経験や知識をフル活用して誰かのためになるのはとてもやりがいを感じる。
最近嬉しいことに楽曲制作の依頼が増えてきた。毎回勉強になるし、自分のリリースや表現に充てる資金も増えた。
どんどんいろんなことにチャレンジしていきたい。
18 歳の終わりから活動しはじめて気がつけばそろそろ10 年目、どんな時も自分の音がそばにいてくれた。想いを形にし続けてきた。
音楽と出会って音楽をやっているのは紛れもなく運命で必然だと思うから、
これからも真摯に向き合い誠実に作り続け、表現し続けていく
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