青文字系雑誌と原宿- RAN OISHI -

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ライター・イラストレーターの大石蘭氏。彼女が冒頭に書き記した「憧れの人は、いつも原宿にいた。」という言葉に、共感を覚える人は少なくないはず。彼女と「原宿」を繋げた扉とは何だったのか。そしてその扉の先にあったものとは…?

憧れの人は、いつも原宿にいた。
 
なんで私には、「原宿」じゃなければいけなかったんだろう。
30歳を目前にして、いつでもすぐに原宿に行ける環境になったいま、思い返してみる。
福岡で少女時代を過ごした私にとって、「かわいい」とか「おしゃれ」の象徴が原宿だったのは確かだ。
 
中学2年生のお正月休みのある日、深く考えずになんとなく初めて、雑誌 『Zipper』と『CUTiE』を開いてみたら、衝撃を受けた。

そこにあったのは、後ろめたさすら感じてしまうほどの「自由」だった。

まず、読者モデルの眉毛がない。
囲み目メイクで、ダマになるほどたっぷりのマスカラ。
ネオンカラーの髪。柄on柄、古着MIX、レースにパニエ—— 。

モテ系やギャル系は、自分にはしっくりこない。

じゃあどこに行けばいいんだろう?

そんな宙ぶらりんだった私は、そのとき「これだ!」と思った。
今まで知っていた他の雑誌とはまったく違う世界があったんだ。
そしてその扉を開ければ、どうやら「原宿」に繋がっている。

載っているブランドもカフェも美容室も、原宿にあるものばかりだから。
福岡には、好きなものがすべて集まっているような場所はなかった。
好きなことを共有できる人もいなかった。
飢えていた私に『Zipper』や『CUTiE』の雑誌は、「好きなもので世界と繋がる」という心強さを教えてくれた。

雑誌媒体のもつ、共感しあう人と人とを結びつける「紐帯」としての役割を実感したのは、そのときだと思う。

 

中学生だった私でも好きな雑誌をすぐにカテゴライズして選べたのは、まず出ているモデルやブランドが共通していたからだと思う。

MILKやJane Marpleといったファッションブランドは、『SEVENTEEN』や『non-no』 では滅多に見かけない。
でも、『Zipper』 『CUTiE』 『KERA』なんかでは常連だ。
そういう自分の好きな雑誌のことが「青文字系(雑誌)」と呼ばれるカテゴリーなんだと、いつのまにかすんなり入ってきた。

私が青文字系を読み始めた2000年代半ばにはもう、中学生でもみんな携帯電話を持っていたし、ホームページを作ったり、ブログを書いたり、ネット上で情報を集めたりするのは当たり前。

でも、雑誌の中にあった情報 ( —読者モデルのことやおすすめカフェ、メイク術や古着着こなしなど――) はネット上にはなかなか転がっていない。
雑誌はそれだけで完結したひとつの情報源、まさにバイブルだった。

青文字系のスターだった読者モデルたちが、他の雑誌モデルたちと決定的に違ったことは、誰かに縛られたり動かされたりしている様子がなく、自らが発信源となって、マルチに活動する自由さとクリエイティビティを感じさせたところだった。

「東京に出て、好きなものに囲まれて、表現活動をしたい――」

身近に誰も前例がいない、漠然とした私のそんな夢の導き手になってくれていたのは、間違いなく彼女たちだったのだと思う。

青文字系を読み始めた頃、よく登場していたモデルの中で、最初に私のファッションリーダー的存在だったのが、「YOPPY」だった。

1980年生まれ、私のちょうど10歳上のYOPPYは、10代でサロンモデルデビューして以降注目を集め、2000年代前半から、浜崎あゆみや大塚愛、深田恭子など大物と同列に、『Zipper』の表紙を飾るほどのスターになっていた。

MILKやCandy Stripperなどの原宿を拠点にするファッションブランドや、青文字系女子の永遠の憧れVivienne Westwoodなどを、古着やプチプラアイテムと組み合わせて、キュートでパンクな着こなしを披露するYOPPY。

商品のPRやカタログ的要素さえも完全に超えた、多面体のようなファッションアイコンが青文字系雑誌の中にいた。

髪の色も長さも、毎号のように変わる。
童顔で小動物っぽい、アヒル口がチャームポイントの女の子。
大阪弁で、プライベートも仕事も、ポジティブもネガティブも、あっけらかんとコメントする。

とくべつ特徴的な顔立ちというわけではなく、いつも統一感のあるテイストの服を着ているわけでもない。
誰にでも買えそうなアイテムを取り入れてるように見える。
だけど、誰もYOPPYにはなれない。

モデルだけでなく、ブランド「DRANHEAL」をプロデュースしたり、ガールズバンド「THE★SCANTY」のヴォーカルとして活動したり、好きなことはなんでもやっちゃうスタンス。

その頃ネットで検索しても、YOPPYの情報はほとんどヒットはしなかった。
所属していた吉本興業のプロフィールページが出てくるくらいで、経歴とか仕事内容とか公式サイトみたいなものはほとんどネット上になく、ただファンがYOPPYの写真をコラージュした待ち受け画像とか、切り抜きを貼ったプリクラ帳の写真とかが落ちているのはよく見かけた。

YOPPYは雑誌の中で生きているふしぎな人、という印象があったのだ。

知りたければ、近づきたければ、雑誌をくまなく読み、そこで紹介されている場所に行くしかない。
知れば知るほど、もっと知りたくなるし、手を伸ばせば伸ばすほど、届かなくなる。
その得も言えないじれったさが、ファッションとその周辺のカルチャーへの好奇心を駆り立て、こだわりを濃くしていた。

 

 

「ランちゃんの机って、遠くから見てもすぐわかるよね」

私はその頃学校でそう言われるたびに、躊躇いもなく「かわいいでしょ?」と言えた。

学校生活はいつのまにか、『Zipper』の付録のMILKのポーチや、福岡に店舗があったSwimmerのファンシーなアイテムなどに彩られていった。

プリクラ帳に切り抜きを貼り、好きなもので埋め尽くした。
原宿の行きたいお店や、やってみたい髪型、着てみたい服を切り抜いて貼り付けたノートは、溢れるほどどんどん積み上がっていった。

雑誌に出てこない場所にはいても、「原宿系」でいられるということ。
いつしかそれは私の誇りのようなものとなった。
一方でもっともっと憧れに近づきたいという欲望もふくらんでいくばかりで、東京へ行く、という気持ちをますます募らせていった。

大学進学と同時に、私は上京した。
学校のキャンパスは、渋谷から徒歩10分の距離。
渋谷~原宿も歩ける距離なので、もはや原宿はキャンパスの一部。

気になったものは、毎日でも見に行くことができた。
原宿はパワースポットだ。
お金がないときも時間がないときも、歩いているだけで、ファッション欲と創作意欲が湧いてくる。

その頃の青文字系雑誌では、それぞれの読モの担当スタイルのようなものがはっきりと分かれてきていた。

『Zipper』では、ファンシー&フェティッシュなAMO、スケーターガール的ストリートなAYAMO、アメリカンスクールガールな瀬戸あゆみ、といったふうに。
そして、それぞれがファッションリーダーとなって、そのセンスや思想に共感する層のフォロワーを集めていった。

私はといえば、10代の頃はYOPPYに憧れつつ、自分が着るのはロリータ系が好きだったので、ロリータファッションとストリートファッションを融合させたような、「AMOちゃん」のファッションにシンパシーを感じるようになる。

それまで青文字系の世界に、ファンシーで甘いスタイルを一貫して前面に押し出したモデルはいなかった。

AMOちゃんは、ファッションに落とし込んだ映画や音楽のイメージ、国内外のさまざまなガーリーカルチャーについて、雑誌のページにはおさまりきれないようなディテールを、日々の出来事とともにブログで頻繁に発信してくれた。
ときめきのルーツを探る、知的好奇心を刺激してくれたのだ。

私もMILKやEmily Temple cuteのお洋服を着て大学に通い、原宿に通った。

そしてファッションのこと、行った場所のこと、考えていること、食べたもの、映画や音楽のレビュー、描いた絵や創作の小説など、毎日のようにブログに書きつづけた。

ただ、好きなモノや事をもっと掘り下げて、それぞれを繋ぐテーマを見つけたい、そして自分の世界観を極めていきたい、という気持ちで発信していたのだと思う。

ブログやSNSの発信をつづけるうちに、大学ではなかったような出逢いも増えていった。
ファッションの関係者やアーティストなど、さまざまな方たちとの縁が繋がって、私は在学中にライターやイラストレーターの仕事を始められることにもなった。

私が共感しあえる人との繋がりは、いつのまにか雑誌の中に存在する目に見えないものから、ネットでの不特定多数相手や、一対一でのコミュニケーションになり、そしてやがて、三次元の現実になっていた。

一方で、共感を結びつけてくれていた雑誌は、次々に消えていった。

『CUTiE』が2015年に、『KERA』『Zipper』が2017 年に休刊。
青文字系雑誌は事実上、絶滅してしまったように見えた。

たしかに、あの頃みたいに毎月買ってくまなく読みたい雑誌って、正直もう、ほとんどない。

毎月楽しみにして、コレクションして、あの号にはあの特集が入ってる、この号にはこの人のこの写真が載ってる、と覚えるくらい読み返す。

来月もまた出る、という当たり前のような強い信頼があったからこそ、安心して雑誌をスクラップできた。
あの視線の動きと紙をめくる手の感覚は、雑誌でしか味わえなかっただろう。

思えば原宿とは、青文字系雑誌に載っている場所、というだけでなく、もはや青文字系雑誌そのものだったのかもしれない。

そこだけを居場所にする人たちが集って、ファッションのヒントがあって、ネットには載っていないかわいいものが見つかるような……
ごちゃごちゃしていて賑やかで、歴史があるけれどいつも新しい、そんなメディア。

雑誌がなくなっても、昔あったお店がなくなっても、原宿には青文字系雑誌の魂が生きている。
だから、いまでも通いたくなるんだろう。

ネットはあまりにも便利に進化して、雑誌の情報を補い、深め、広げる役割を超えて、新商品の紹介も着こなしやメイクの提案も、ショッピングや、モデルやクリエイターとの交流、ファン同士の繋がりまで、何もかも抱え込んでしまっているような気がする。

いま、膨大な情報の海へぽーんと投げ出されている私たちは、写真に付けられたタグへ飛び、「ググれカス」と言われる前に検索する。

そうして誰かが紹介したものを買ったり、おすすめした音楽を聴いたり、みんなが写真をアップしている場所に行ったりする。
でも、女の子は承認欲求のためだけに生きているのではないはずだ。

 

最近、『Zipper』が1号限定で復刊した。

復活する青文字系雑誌は、懐古以上の新しい好奇心をくれるだろうか。
「おしゃれの基本は90年代にあり!」というテーマで特集された 『Zipper 2019』は、休刊直前の頃の『Zipper』にはなかったカルチャー要素がふんだんに織り込まれ、全盛期をプレイバックするような内容だが、やはりリアルタイム時代のそれとは別物という印象だった。

憧れの人のエッセンスを自分の身に吸収して、なりたい自分になる。たとえそんな自分が周りから浮いていたとしても、居場所はちゃんとある。

「好き」を貫けば、共感しあえる人に出逢えて、道は開けるから。
それを教えてくれたのが、青文字系だった。

もしもまだ希望があるなら、「好き」を貫いているファッションリーダーに、雑誌の中からメッセージを発してほしい。

同じ服を買うだけじゃ、同じ髪型やメイクをするだけじゃ近づけない、その人を形成しているさまざまな面を見せてほしい。
そういうものを贅沢に詰め込んだ、ごちゃごちゃした一冊を手にしてみたい。

そしていつかは、私も原宿から、発信する側の存在でありたいと思うのだ。








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大 石 蘭 / RAN OISHI

ライター・イラストレーター

1990年 福岡県生まれ。
東京大学教養学部卒・東京大学大学院修士過程修了。
在学中より雑誌『Spoon.』などでのエッセイ、コラムを書きはじめ注目を集める。
その後もファッションやガーリーカルチャーなどをテーマにした執筆活動、イラストレーションの制作などをおこなう。
またブログやSNSによる発信も盛んにおこないながら、個展、イベントの主宰、Zine制作、ファッションブランドとのコラボレーションなど多岐にわたり活動中。

大石蘭 OFFICAL WEB :http://oishiran.com/"
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