「19歳の初期衝動が“ビジネス”に変わるまで」 vol.1 vol.2 vol.3 vol.4 vol.5 vol.6
〜前回のあらすじ〜
2002年、当時19歳だった僕は、彼女のノンちゃんと一緒にブランド“banal chic bizarre”を立ち上げる。メインの取り扱い店舗であったCANNABISから取引終了を告げられてしまったが、翌シーズンの展示会で新しく原宿にオープンした“device tokyo”に取り扱ってもらえる事が決まった。
2004年1月
京都のセレクトショップ“device”が東京進出して立ち上げた“device tokyo”は大成功し、連日多くのお客さんで賑わっていた。
僕たちは相変わらずリメイクのアイテムを作っては納品する作業を続けていて、当時Tシャツとトレンチコートのカスタムを沢山作っていた。
トレンチコートはなかなか格好良く、今でも再販しても良いのでは?と思う出来栄えだったが、Tシャツは今見ると笑えるくらいダサい。
ブリーチで輪郭をフリーハンドで作り、そこに目と耳のシルクスクリーンをプリント。
更にその上からスパンコールでメイクアップさせるという奇抜過ぎるデザイン。
毎回、これ本当に売れるのか?と思いながら制作していたが、これが売れてしまうから恐ろしい。
この顔シリーズは他にもいくつかあり、どれも作れば作るだけ売れていた。
CANNABISの時同様にブランドでは無く店の力で売れているのだが、勢いがある店だけにシンプルなアイテムよりもここでしか買えないアイテムの売れ行きが良かった。
奇抜過ぎる故にbanalはここでしか買えないアイテムのリストに上がっていたのかもしれない。
数ヶ月経ち、あっという間に次のシーズンの展示会が迫っていた。
今まで誘われるがままに合同展示会に出展してきたので、単独展をやるにもノウハウがわからず、場所も見つけられない。
どうしようと思っていたら、deviceから店の2階を使って展示会をやっても良いと言ってもらえた。
毎回本当に人の好意に甘えまくっている…
このシーズンは初めて総柄に挑戦したシーズン。
きっかけは忘れてしまったが、誰かに紹介してもらって生地の状態でプリント出来る工場と契約し、作ってみたのがこの柄。
のんちゃんが手書きで作ったこの柄は、本人曰く“ストライプ”だそう。
当時からずっと思っていたが、これは絶対ストライプでは無い。
その後、この柄のアイテムは某J事務所のTDさんが着た事で当時プレミアが付いた。
中古市場で定価の倍の金額で取引されていたらしいから恐ろしい。
この顔のTシャツもかなり売れた。
自分でも着ていて当時お気に入りだった。
両目分の製版をしてなかったので、片目を刷ったら洗って反転してまた刷るというのを繰り返していた。
沢山作り過ぎた為、劣化して最初の頃と最後の方で顔が全く違うことになっていたが、それもハンドメイドの魅力。
ということにしておいてほしい。
トレンチコートはシャツの様な軽い仕上がりに。
ブラックはのんちゃん以外の女性と会う時によく着ていた。
はっきり言ってしまうと合コン時の勝負服である。
ネルシャツのリメイク。
今見てもなかなか格好良いと思うのだが、これは売れた記憶が無い。
おそらくこのぐらいだと“わざわざ買う服”には到達していないのかもしれない。
テーラードジャケットのリメイク。
解体して顔料コーティングしてハトメを打ってボタンを打って完成。
デニムのセットアップ。
これはパターンから作ったもので、製品にブリーチ加工をしているので一点一点色の落ち方が異なる仕様。
実際、量産の時期に気温が低かったせいであまり色が抜けずにサンプルとだいぶ差が出た。
このTシャツもカスタム。
細かくカットしてから洗いをかけ、後染めをして完成。
足袋もカスタム。
色を落としてから大きなハトメを打って完成。
このハトメを開けるのが難しくて、追加オーダーは全て断った程大変だったアイテム。
私生活では、同い年がまだ大学3年になったばかりの時期なので、仕事のスケールに相反して年相応な遊びをしていた。
先ほど書いたように、この頃は無茶な飲み方をしたり合コンにも行っていた。
のんちゃんにバレないように行くのはもはや不可能なので、一応合コンに行ってくる事は伝えていたが咎められた事は無かったと思う。
この頃、テレビドラマでオレンジデイズがやっていて、大学生って良いな〜と思っていたのを覚えている…
のんちゃんは家にいるのが大好きでいつも座椅子に座ってテレビを見ていた。
滅多に友達と遊ぶ事もせず、基本的にテレビが友達だったので、バラエティー見たりドラマ見たりと、デザイナーの中では極めて平凡で地味な生活を送っていた。
この頃は下北沢に引っ越して、駅の北口から徒歩2分のアパートに住んでいた。
手刷りをしたり染色をした後に夕方から下北をブラブラし、夜はスーパーで品出しのアルバイトを始めていた。
バイト先は深夜から朝までひたすら品出しをやるのだが、働いているのは僕含め5人の男性。(そのうち1名~2名がモンゴル人)
そこで初日から心霊体験に遭い、コンセントの抜けた4番レジが勝手にピ、ピ、ピと鳴り続けたり、業務用エレベーターが落ちたり、知らない女性の声で放送室から呼び出しが掛かったり、有線の音楽が勝手に変わったりと結構な現象が起きていた。
携帯もおかしくなり、のんちゃんの母親に電話する時だけ電話がガーガー鳴って電話出来なくなったりした。
不思議な事に、毎回怖い目に遭っているのにバイトに行くまでその事をいつも忘れてしまっていて、あぁ、そうだここでいつも何か起こるんだ…と思い出すといつも悪い事が起きるというのを繰り返していた。
全く霊感とか無いタイプなのに、何故か僕が出勤の時にしかそういう現象が起きなかったらしく、昼間働いているレジの女性たちからも4番レジの一件以来、凄く冷ややかな目で見られていた。
この現象は冗談半分に持たされた塩をパンツのポケットに入れるようにしてからピタリと無くなった。
私生活の話で脱線したが、このシーズンも特にこれといったトラブルもなく次シーズンの展示会を迎えた。
場所はまたしてもdeviceのご好意に甘えて店舗の2階部分を使わせてもらった。
今回も総柄のアイテムを作ったのだが、これがめちゃくちゃ派手だった。
梅の総柄である。
もっと良いのがあっただろうと今なら言えるが、当時はのんちゃんがやると言ったらその感覚を疑いもせずに進行していた。
このシーズンはルックを撮影していないので一部のアイテム画像しか残っていないのだが、基本この梅柄で構成されていた。
梅のハット。
梅のサンバイザー
とにかく梅づくし。
梅フェア状態だ。
この梅柄、deviceではそこそこ売れたが、先シーズンと比べるとかなり売り上げが落ちていた。
唯一の救いは、このシーズンもTシャツが好調で、deviceや地方セレクトショップから別注の話をいくつか戴けたことだ。
この頃はまだ服が沢山売れる時代だったので、別注の枚数もかなり大きな枚数を発注してもらえたのは大きかった。
依頼の大半が顔のシリーズのTシャツだったので、この頃の僕は、服をブリーチして乾かしている間に午後のロードショーを観て、次の日は手刷りをして夕方のドラマの再放送を見る生活を送っていた。
これはdeviceの1周年記念で作ったTシャツ。
deviceのフォントでbanalのロゴを手刷り。
一枚一枚異なる色でプリント。
その頃の僕とのんちゃん。
のんちゃんはベルンハルトのパーカーにバナルのワンピースにヴィヴィアンのロッキンホース。
僕は古着のモッズコートにバナルのTシャツとパーカーとパンツにマーチンのブーツ。
この頃、今まで安定したシーズンを送ってこなかったのに2期連続で順調に過ごした事で、僕の中で何かもっとリスクを負ってでも刺激的な事がしたいと思うようになっていた。
2005年7月
ある日、原宿で洋服屋をまわっている時に、EXIT FOR DISというブランドの直営店に遊びに行った。
裏原の更に奥にある古い民家の2階部分を改造した店内に入ると、CANNABIS時代にお世話になった元スタッフの関さんがいた。
偶然会えた事が嬉しく、色々と話を伺ってみた。
関さんは、CANNABISを辞めた後にスタイリストをやりながら、EXIT FOR DISでも働き、店の一角で自身が手がけるカスタムTシャツを販売している事を教えてくれた。
まさに自分が求めていた刺激的な生活を送っている関さんに、
「僕も自分のお店とかやってみたいんですよね」
と僕が言うと、
「お店やりたいの?ここの店、2ヶ月後に畳むけど、その後入っちゃえば?」
と関さんが軽い口調で言う。
何でも口にしてみるものだなと思いつつ、僕はのんちゃんの許可をもらう為に一度話を持ち帰った。
帰宅後、のんちゃんに直営店やりたいと告げると、
「無理。絶対無理」
これしか言わない。
「潰れるよ?絶対ダメ」
これも言ってたな…
これだけ反対されても全く諦めようと思わなかった。
売り上げに手をつけてないからお金のリアリティーを感じてなかった事もあったのかもしれない。
おそらく、僕が初めてのんちゃんの意見を無視して推し進めた事がこれだと思う。
僕はこの数日後、EXIT FOR DISの跡地に直営店を構える事になる。
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