ふと久しぶりに、意識して大きく息を吸い込むと、もう金木犀が香っていた。
ありがたいことに とても忙しかった数ヶ月。立ち止まってみてようやく、冬がもうすぐそこまで来ていることに気がつく。
初めての横浜での個展が終わり、夫の展示も、今年は残すところ あとひとつ。彼は今日もアトリエにいる。
さて、先日、この連載の番外編として”妻視点”の夫の取材記事を書いてみないかと、BUNCAさんからアイデアをいただいた。それは面白そう!と、二つ返事でお引き受けしたはいいけれど…面と向かって取材だなんていうのはやっぱりどうしても照れくさいので、私の視点から拾い集めた彼の「制作についての言葉」を、いくつかここに書き留めることとしたい。
この執筆をとおして、興味深いひとりの画家に、私もまた改めて出会うことができた。私が一緒に暮らしている画家が、どのように絵に向き合っているのか、皆さまにも少し知っていただけたら嬉しく思う。
再現ではなく、そこに初めて立ち現れるもの
私の夫・山田雅哉は、画家だ。抽象画家だ。主に日本画の画材を用いて、伝統的な技法を応用したオリジナルの表現で絵画を制作している。
一口に抽象画家といっても色々とある。感情を表現している、だとか、あるいは大切な人を思い描いた、とか。つまり、抽象画であっても、ゴールがあることが多いのだ。
しかし彼の場合、具体的な完成予想図に向かって制作をすることはない。
『昔は具象画を描いていたんだよ。人も描いたし、動物も、物も描いた。だけど僕は、そういうものはどうしたって本物を超えることはないと考えたし、自分の人生のテーマにできるとも思っていなかった』
彼は生涯のテーマを探すため、まず自身の共感覚(文字や数字、音に色が見えるなど、特殊な感覚が無意識に生じる知覚現象)を生かして、音楽を描くことを試みたそうだ。しかしそこでも、疑問が生じた。
『音楽を描くということは僕にとって、具象の延長でしかなかった。それもまた、その音楽のコピーにしかならない。結局は、りんごを見て描いているのと同じじゃないかと』
そうしてたどり着いたのが、今の表現だ。
音楽を描くのではなく、音楽にヒントを得た「時間芸術」としての空間の広がりに焦点を当て、水の動きを利用したかたちを肯定していくようにして、表現を重ねていく。
水の動きをそのまま用いるのは、「制御できない面白さ」があるからだ。
『結局自分の頭で考えたことになんて限界があって、そのイメージをいくら上手く描いても、それ以上にはならない。僕は僕の作品に、自分が一番驚きたいのかもしれない』
彼のウェブサイトには、自身の制作スタイルとして「再現ではなく、そこに初めて立ち現れるもの」という言葉が記載されている。
山田は、そこに、真実があると考える。
見えないところに存在する真実に、絵をとおして触れること。
人はそれを美と呼ぶのかもしれない。
真実に宿る純粋な美しさこそ、山田雅哉にとっての絵画であり、生涯をかけて追い求めるテーマなのだ。
ドローシンク – 言葉より先に
10月31日まで横浜で展示をしていたのだけれど、何日か在廊をし、お客さまとお話しをした夫が、こんなことを言っていた。
『こういうふうに描いたと説明はできるけど、描くときはそう考えて描くわけじゃないんだよね』
背の高い麦畑を、分け入って進むように。制作のときはコンパスだけを頼りに、手探りで進み、振り返った時にだけ その道筋を説明することができる。
山田はこうした自身の制作を、生き方を、「ドローシンク(Draw think)」と呼ぶ。
描くことで考え、そして出てきた答えをまた描くことで深める。絵で表現するものは、言葉で説明できる次元を超えていなければいけないと言うのだ。
そのための感覚的な修練を、山田は日々のドローイング制作でおこなっている。
ドローイングシリーズは、日本画材を用いた本画とはすこし別のところにある作品群。昨年から年に一回展示販売していて、山田らしい色使いで人気をいただいている。
在庫を含め、一度に200枚くらい出品するのだけど、実はこのドローイング、出品する数の倍以上をまずは制作している。感覚的な修練というのは、この膨大な数の作品を「捨てること」だ。
自身の美の基準だけを頼りに、作品として残せるものにだけサインを入れていく。そのほかは、捨てる。
『言葉を超えて描く。言葉が先行したとき、良いものはできないから』
夫は寡黙な人だけど、常に言葉にならない思考をしているのだろうと思う。
そしてたぶん、思考している時間のすべてが、絵を描いているということなのだ。
エンジェルを描きはじめて
もうひとつ触れておきたいのが、山田雅哉の「自然」に対する考えだ。
山田は、自然を愛する。木々、葉、花、空。世界のあらゆる時間のすべて。
ある日、土偶の話をしていたときに(夫は土偶が好きだ)、彼が教えてくれた。
『土偶はずっと、ふくよかな女性を神格化したものだろうと言われてきたんだけど、最近の研究で、それが女性ではなく、貝殻や木の実、葉を表しているという説が出てきたんだよ。つまり昔の人は、世界のあらゆるものに、神を見出していたかもしれないんだ。それってすごく腑に落ちるし、自分の制作にもつながる』
さて、数年前から「いつか天使を描きたい」と話していた夫が、昨年、ついに シリーズ〈Angel〉を描きはじめた。
彼のエンジェルは、トレースされた草花や、ビンテージレース、有機的な水の流れと、プリミティヴな岩絵具で表現される。
「エンジェルというのに天使の輪はないの?」と尋ねると、夫はこう答えた。
『天使があの人のかたちをしているというのは、固定観念だよ。葉の裏側や、花の中、陽だまりや小さな水滴に、存在しているかもしれないものを、僕は絵に呼び起こしたい』
天使は、天の使いと書く。「八百万の神」や「アニミズム」という言葉があるが、そういった考えもまた山田の制作につながるのかもしれない。
存在しているというその真実に、絵をとおして無言のうちに触れる。
天使というテーマは、山田雅哉の一生のテーマになりそうな予感がしている。
パステル画と、その風景の向こう側
また、本画とは別の習作として、ドローイングシリーズのほかにもうひとつ、「パステル画と、魔女の一撃」でもご紹介したポストカードサイズのパステル画がある。
ここに描かれるのは、彼が実際に見た色々な風景だ。
この不思議なあたたかさと既視感は、景色の向こうにエンジェルを見出しているからだろうか。
これらの作品を観ていると、その世界はどこまでも広がっているような気がしてくる。そしてその感覚は、乾いた砂に染み込む水のように、言葉よりまず先に、心に滲んでいく。
留められた幾多の視点は、山田のものであり、あなたのものでもあるのかもしれない。
善く生きていく
今年40歳を迎える夫は、「善く生きる」ということを日常的に口にする。
『言葉より先に、絵で考えていくということを話したけれど、結局のところそれは、絶対に嘘がつけないということ。だから良い絵を描くためには、どこまでも善く生きていくしかないんだ』
私の夫は、善く生き、よく描く人。
この番外編は、お読みくださった方にとっては、あるいは身内贔屓に映ったかもしれない。否定はしない。多少なりともそれはあるだろう。だけど同時に、執筆する中で改めて感じたこの純粋な感動は、きっと本物なのだと、いま強く信じている。
夫である以前に、ひとりのささやかな画家である彼の作品が、この記事をきっかけに誰かに届き、そしてその誰かにとっての新しい視点になったらと願いつつ、文章を閉じたい。
画家、博士(美術)。1981年生まれ。2015年、論文「音楽の視覚化にみる日本画表現の可能性」で伝統的な墨流し技法を応用した新技法を発表し、愛知県立芸術大学日本画領域としては初となる博士(美術)学位を取得。時間芸術としての 音楽にインスピレーションを得た独創的な表現で 現代における日本画の可能性を拡げ、現在も研究を進めている。近年の主な展示に、『山本直彰 山田雅哉展』(名古屋 伊藤美術店/2019)、個展『存在の謎』(名古屋 松坂屋/2019)、山田雅哉ドローイング展『スーベニア』(名古屋 garage/2020)、個展『Masaya Yamada SOLO EXHIBITION』(名古屋 garage、横浜 garage/2021)など。また、2020年には東海テレビ「ニュースOne」のスタジオセットメインビジュアルを担当。モニターを囲む巨大な絵画を制作した。
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