こんにちわ天使弾道ミサイルです!今回は改めて自身が愛は0秒に至り、倒錯した妄想の中でミュージカルを敢行するに至った経緯について振り返ってみよう。
愛、皆さんは何だと思いますか?この言葉を捉える際に僕が思考したのは、万人がそれを発する瞬間やタイミングをディープラーニングしました。そう。僕はデジタルヒューマンなのです。あの人には愛がある。愛がない。愛が愛の判断材料になれば、その事によって愛がなくなる。つまり愛というはパラドックスであり、そこが僕の出発点でした。言葉っていうのはちゃんと分けて考えなければならない取り扱い注意の可燃物なのだ。その中で特に愛という言葉が言葉になってるのが超おもろいやん〜ってなってもうた!
言葉にした瞬間に2極を生む。愛があれば愛以外を生む。故に形にしてはならないのだ。知識や情報っていうのは開けてはいけないパンドラの箱で、それで何かを知ったつもりになった瞬間にその感覚値にはアクセスできなくなるセキュリティソフトなようなもの。つまりマトリックスなんだ。理解した瞬間に感覚が閉じちゃうんだ。
よく、思考と感覚なんていう。これも実は一つで、言葉ってのはそもそも分離する為にあるんよ。差別なんだ。差別しないと僕らは何も感じられない。完全な同一というのは感覚がない世界なんだ。故に思考も感覚も相互作用で一つであり、潜在意識も顕在意識もクソもない。俺らが違う!と思ったら違うくなるだけなんよ!
よし、ここまでで今までの鬱憤を晴らしました。体感というのを体感的に伝えるのは不可能なので、今、文章にしていますが、その時点で虚構になる。つまり死んだ人でないと、死については話せないんだけども、死んでるから話せない。愛というのはそういうものなんです。
先日、DJ Whitesmithくんと難波で寿司を食ってた。そこで興味深い話が出たのでいくつかご紹介しよう。僕たちは物事との関連性によって、自分を定義している。平たく言うなら、自分の大切な人がいなくなり、家族も死に、全てが亡くなった際に、行動が変容するなら今現在何を以って行動しているのか?この問いが持つ本質ってのは、物事との関連性はあるが因果関係はねぇー!ということです。物事との関連性によって自分を定義するが、そのことと自分の行動には乖離が生じているのです。要は目の前にチキンナゲットがあるから食うんじゃなくて、食うが率先してチキンナゲットが存在するんだ。この例えで余計わからなくなっただろ?何か漠然とした動きがあり、それを後付けで存在さしているんだ。波の動きがあり、それを海と呼んだり、池と呼んだり、小川って呼んでるだけなんだ。そこで逆転現象が起きる!小川とか池が存在しちゃうんだ!存在ありきで事象を見てしまうんだ。
ここで一旦愛の話に戻すと、誰かを好きになる。これは俺にとって強烈な磁力が働いてるとしか思えない。マグネットみたいなもんで、それを理解するために僕たちは傷ついたり悲しんだりするんだ。何でこの人が好きなのか?理由が欲しい。それは自分にとっての価値を認めたいからだ。好きな人がいる。その人をついつい思い浮かべる。これはもはや好きとかそういった概念を軽く通り越してんだよ。世の中の動きそのものなんだ。
では今ある環境ってのは100%自分で作り出している。不快なコンビニ店員も、目の前のおばさんの腰の曲がり具合も。何故なら全てがグラデーションで存在しているものを圧倒的な主観で定義づけちゃってんだ。故に僕らは猿が妄想した人間の姿なのかもしれない。人間と思っちゃたんだ。じゃあそれを受け入れるしかない。猿から人間ではなく、解釈を捨て、人間が猿に進化していくのだ。
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